上と右が神聖であるという「上下」「左右」の非対称性を、生物学的な進化の歴史や天文学やあるいは物理学で説明するのは本末転倒で、循環論法となる。境界があるだけでは、まだ意味を持たないが、それぞれが意味の傾向を持っている理由は謎である。上下の非対称性は納得できるが、左右の非対称性は納得できない。上下は単純な不公平性で直感的に理解できる。しかし、左右の意味は、二元論的な単純さを超えて、歪(いびつ)さ、多重的な不公平性を含んでいるのだが、この歪さが生じる理由が不明だ。

 

 予想では右は、もう一つの上であり、左右とはもう一つの上下だ。しかし、それでも右が上である事は不公平に感じる。これは上が上位である事が不公平である事が、さらに多次元的に表現されている。それでも「右」が選択的に上位に確定されている理由は不明だ。

 

 全体性と局所性が同一のフラクタル構造の場から、この差異が選択的に生まれる事は考えられない。この差異は選択的である。不確実性の投入が原因であるとしても、選択的であることの理由にはならない。つまり差異だけでなく意味や価値の軽重という不公平性が在るからだ。一つが選択されている事は、あたかも意志が存在している事を示唆する。だから神が想定されるのだろう。あるいは世界の設計者が想定されてシミュレーション仮説が生まれるのだろう。

 

 しかし、もう一つ、この選択性を解消する解釈の方法がある。それは多世界解釈である。我々の世界は右が重要であり、上が重要であるという、ただそれだけだ。別の世界では、左が重要だろう。下が重要な世界は想像できないが、可能性としては排除できない。

 

 左右についていえば、どちらが重要でも何も変わらない。従って、左が重要な世界は実在している可能性が高い。我々の世界と対称性のある世界は、実在可能世界だ。実在可能世界の対称性は上下には適用されないはずだ。なぜなら実在不可能な非実在的世界であると予想できるからだ。つまり鏡像対称のような世界は実在していると予想される。

 

 一卵性双生児は片方が左利きである確率が高い事が知られていて、これはミラーツイン現象と呼ばれている。参考までに。