『サイコトロニック・オペレーション: ロシアGRUと世田谷一家殺人事件』 宮嶋 久雄 (著) 

 

 

Amazon詳細ページ

 

(「まえがき」より)

2025年8月からブログに書き始めた「意味」についての考察は、当初、私の同僚であった3名の発達障害者の行動異常を分析しようという試みだった。同時に、このうちの2名は、なぜロシアGRUのサイコトロニック・オペレーションと協調的に動いていたのかを解明しようという狙いがあった。この3名が世田谷一家殺人事件の構造を伴って、私の周囲に出現してきたと分かったのはブログを書き始めてからすぐだ。一人は判事の息子だ。この事は一旦、ブログに掲載したが、すぐに取り下げた。もっと、掘り下げる必要があると考えたからだ。この結果は「思考過程群」という長大な文章となった。私は十二分に掘り下げたと思う。過去に書いた出版物と併せ一冊の本として出版しようと考えたのは、昨年末くらいだ。途中、何度か確信を得たが、次々に新たなアイデアが想起され、また因果関係が収斂されるにつれて、整合性が次々に現れてきた。構造論に至り、この構想の一応の終点が見えてきた。これが今年の8月だ。

本書は、パーソナリティ障害、発達障害、統合失調症などの妄想障害や解離性同一性障害を含む精神障害全般、被害者現象(テクノロジー犯罪意識現象、集団ストーカー意識現象、電磁波兵器意識現象、TI意識現象等々)、サイコトロニック・オペレーション、諜報機関のオペレーションについての研究書だ。同時に、オウム真理教事件、世田谷一家殺人事件、ハバナ・シンドローム、ロシアGRUを結びつけるものだ。全てを結ぶキーワードは発達障害だ。

サイコトロニック・オペレーション(PO)は情報機関の行うオペレーションの一つであって、メカニカルな工学兵器ではない。膨大な数のターゲットを持つ事は出来ない。POの運用方法は様々に想定できる。基本的には被害者である事を認識させないので、独立したテロリストの養成に最も適している。テロリストに養成されるターゲットは発達障害者だ。ハバナ・シンドロームのような有音での運用もできるが、これはプロパガンダ的だ。私のように有音でPOを行使されるのは、異例だろう。POの運用においては空間を無視できるので証拠や因果関係を発見するのが困難だ。フィードバック・システムを接続しているのは電磁波などではない。空間での情報伝達を基盤とはしていない。フィードバックシ・ステムは、どこに在ってもよい。因果関係には世界生成理論を必要とする。POを運用しているのはロシアGRUだ。その背景には、サイコトロニクス研究で西側を凌駕していた旧ソ連以来のロシアの研究・技術的系譜がある。

構造的操作主義の蔓延、これは陰謀論世界となる。恣意的操作主義、これは通常の社会の在り方だ。形式では判別不可能だ。違いは「思考過程群 第九章」に記してある。ここで言う恣意性とは、一般定義とは違う。私の定義する恣意性は、願望や欲望とは真逆だ。願望や欲望は構造だ。恣意性は、非構造、非法則であって、記述不可能である、という否定形でしか表現できない。ランダム性も法則であって恣意性とは異なる。ランダム性は恣意性に漸近するだけだ。GRUのオペレーションは構造的操作主義の蔓延を目指している。彼らが足がかりにしているのは、発達障害者だ。なぜなら国家の中枢に存在するのは、発達障害の資質を濃厚に持った高学歴者であるからだ。これを認めない限り、既に社会に浸透している構造的操作主義を洗い出す事は出来ない。POは、このGRUオペレーションの一端を担っているに過ぎない。

本書の主たる目的は、私の汚名を晴らす事だ。私は過去の書籍で散々と恥をかかされた。汚名返上のために新たな本を執筆しても直ちに、その主張の間違いを発見し、また新しいアイデアが想起された。これは分解・再構造化の絶え間ない連続だ。私は、過去に構築した構造に囚われることなく、新たな構造を提示してきた。ブログも執筆してきたが、やはり新たなアイデアの想起が続いて、都度的に主張を変えてきた。この分解・再構造化を促しているのがPO自体なのだが、同時的にPOはこの分解・再構造化の連鎖的行為、即ち反構造的構造運動に対して強烈な不快感を与える。

私はこの思考の過程、この分解・再構造化の連鎖プロセスが重要であると気づいた。このプロセスに意味や主体性がある。ブログも本も、その記事単体、その本単体においては、私が常に存在している「今」の主張とは完全には同じではない。しかし、全体性を構成する重要な局所性だ。私は、読者が局所性に陥る事を最も憂慮する。従って、過去の書籍の単体は廃版とし、1冊にまとめることにした。また2025年8月からブログに連載している「意味」についての考察も「思考過程群」としてまとめ、併せて出版することにした。今はほとんど削除している。第八章と第九章は書き下ろしだ。

本書は要約できる本ではない。定義は変遷するので、その箇所だけでは意味不明だ。一言一句や段落や章や節は、本書の全体性を背景に持つ局所性だ。記述の時系列は逆にしている。一つの章を読めば、前章を読む事が要請されるはずだ。

論旨は矛盾的に変遷していくのだが、これは思考の正当な過程だ。過去の書籍で分解・再構造化を何度も繰り返し、論旨も変遷している。分解は、より小さな単位まで分解していった。それは懐疑主義の徹底だ。第一部の「思考過程群」は徹底した懐疑主義となった。直近の著作における懐疑主義との違いは、論理性に戻ってきたことだ。しかし、懐疑主義の徹底は、やはり論理性を逸脱せざるをえなくなった。つまり現実の性質は論理的には記述できない。これが現実の弱点だ。もっとも論理的整合性の起源を含めて、本書は論じている。論理性というものに絶対的正当性を与える根拠を提示しないのであれば、私を非難できない。それでも、私は、文章に、できるだけ、論理的整合性を持たせるように努めたつもりだ。

私は、この首謀者である思想家を突き止めるに至ったが、首謀者は既に他界しており、思想だけが独り歩きしている。

 

―――

 

サンプル A4版、文字8ポイント