①構成や形成によっては、真円や真球、直線は実在できない。つまり現実には、方程式や関数に忠実な図形は構築できないし、存在できない。全ては離散的となる。この離散的性質は、空間の性質に止まるものではなく、時空の性質だ。別々にその性質を持つという意味ではない。時空の性質が離散的である、という意味だ。
それとは別に、
②世界がモザイク状にバラバラに展開しない決定的な理由は発見されていないようだ。世界が、連続性という抽象概念が理解できる範囲で、同一性を持って変化する根拠である。この根拠については、非線形的に構造が保存されていると、最近の記事に書いた通りだ。
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不確実性を含まない純粋保存構造まで分解すれば、フラクタル構造に接続されるだろう。純粋理解は不確実性の完全除去に成功した場合だ。これは精神現象だが、精神現象と物理現象を分けるのは無意味だ。その起源は抽象概念以前であって、同一だからだ。日常的な習慣行動は、不確実性を完全にではなく、一定のレベルまで除去した場合に、その行動が再現され続ける傾向があるということだ。ある行動が、不確実性を小さくした事に成功した場合に、報酬的な神経活動が生まれて、以後繰り返される。その行動は速度を与えられていない。手続きの高密度現象だ。トラウマ事案の再現性は、不確実性を小さくした事に起因する。不確実性が小さくなるのは主体においてであって、これは道徳の喪失ということになる。道徳を完全に喪失した場合には、これは純粋理解である。世界に道徳の不在を確信した時だ。これは世界に反ベクトル性が存在しない事を確信した時とも言い換えられる。「私」という主体が存在しない事を自覚的に確信した時とも言い換えられる。だから非力な時代に遭遇する虐待は、純粋理解に達し、彼らをフラクタル構造に接続してしまう。可能であれば、つまり力学的合理性の関係性において圧倒的優位であるならば、同じことを他者に実行しようとする。このフラクタル構造に接続された者はフラクタル構造の布教者となるのであって、これは犯罪構造の一端を説明するものだ。
似たような現象はオウム真理教の一連の事件に見出せる。オウム真理教は、思考を高密度生成し、密度間の速度調整ができない性質を持つ人(私の定義による発達障害者)を重点的に、布教活動の対象としていた。これらの人々は、一般に高学歴者と呼ばれているカテゴリーに所属していることが多い。信者は麻原彰晃氏のフラクタル構造に接続され、麻原氏の相似的な駒となった。
麻原氏には不確実性がない。これは逆説的な論理の展開で見出せる。思想は狂信的で、破壊性を持っている。以前書いた通りに、論理の整合性は実在できない。本来的な理解というものは純粋理解という反射反応によって達せられる。論理的整合性の発見による理解は、この純粋理解の様式に近い。何が似ているのかと言えば、不確実性が無い事だ。論理の整合性は、分解を続ければ続けるほど、不確実性が小さくなる。しかし、完全除去には到達しない。一方、純粋理解は、不確実性の無い事(無くした事、無意識の反射的分解の最終段階まで進んだ事)の超越的確信なのであって、これが先行した場合には、論理的分解による整合性のレベルなどは、理解を阻む要因としては弱すぎる。だから。狂信的な信者を洗脳から解こうとして、論理性で説得してもできない。論理は必ず破綻する事が決定しており、純粋理解を超える事はないからだ。
通常の理解は道具的理解であるために循環論法になる。道具的理解は構造的理解であって、これは意識的思考の様式だが、道具的理解を現実の世界に適用した場合には必ず論理が破綻する。これは前回書いた通りだ。数学も構造的理解の様式だが、数学世界においては、論理が破綻しない。一方で、数学と現実との整合性を図る事は、むしろ現実の構造を数学的論理無理やりあてはめているようにも思える。公式的な展開が現実の妥当性を欠いているという事実は、最初に書いた直線や真円が実在できない事が示唆している。
脳は物質であり、それ自体は道具的理解の為の道具、構造的理解のための道具、構造化メカニズムであって、いずれ脳と同様の構造は人工的に構築できるだろう。意識は、しかし、構造の受容器であると同時に、不確実性の受容器でもある。不確実性は原「私」であって、意識の「私」に不確実性を刻印し、痕跡を保存構造として残す。世界の表象もまた道具的理解のための道具だ。
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宇宙飛行士の神秘体験は純粋理解に達した事を示唆する。宇宙には不確実性がないのではないか。不確実性の消失が原因だと仮定する。しかし、宇宙船もあるし、他の乗組員もいる。物質的表象には不確実性の痕跡はあるし、人間も不確実性の存在だ。真空というものが関係してそうだ。真空がまとまっていて、かつ多い。
宇宙空間には実は時空が存在しないとか、真空には時空が存在しない、という事を仮定してみる。
時空と言うものはそもそも先立って存在しない。時空は物質に伴っている。私は真空はフラクタル構造である可能性を指摘したい。たとえば、地球の環境でも、空気中の分子の間隙は何なのか? あるいは原子構造の間隙は何なのか?
真空がフラクタル構造であるならば、密度化しておらず、即ち離散化しておらず、その真空の空間あるいはその場は「1」として同一性を非離散的に維持している。フラクタル構造で考えた場合に、宇宙空間は低密度ではなく、高密度であり、ほぼ真空であるということは高密度であるという事であり、不確実性がほぼ無いという事になる。完全な真空に限定した場合は、密度さえないのであって、物質が存在しない真空には、不確実性が無い。
フラクタル構造であれば、そこは非密度状態となって、完全同一となる。
保存構造は、このフラクタル構造に保存されていると予想できる。このフラクタル構造は、現実におけるあらゆる同一性カテゴリーの起源であるとも予想できる。また非時空的、非線形的な光ファイバーケーブルのような機能を持っている事も予想できる。
全ての存在が同一的な主観体験(物質も含むのだが、他に表現が見つからないので主観体験と表現する)ができる根拠は、現実にフラクタル構造が充溢していて、このフラクタル構造から保存構造が供給されているとも予想できる。これは非線形的な情報共有システムと表現できる。もっとも、この情報共有システムには多くの制限があるのであり、通常、個人の主観体験は他者に共有されず、主観体験は個人視点であり、時空の同一性を以て共有されているのは、保存構造だ。
密度化されていない、一つであるとは、そのフラクタルの場の内部においては、伝達が生じない。伝達の必要が無い。伝達媒体が不要。同時的である。
宇宙空間で神秘体験を経験した宇宙飛行士は、神を信じるようになり、帰還後、宗教活動に没入する事例もある。
この段は、過去の記事と矛盾する箇所だ。密度要素間に速度があり、速度を与えているのは不確実性だと過去の記事に書いている。これはフラクタル構造と、物質的世界(時空的世界)にレイヤー的な差がある上に、この構造を明らかにしていないためだ。
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表象はそれ自体が保存構造だが、知覚はその全てを表さない。このため保存構造は隠れているように知覚する。表象の保存形式は概念的なものの保存形式をシンボリックに表している可能性がある。 つまり普遍的同一性を持つ基礎的な保存構造に、不確実性が殻のように重ねられているという原子のような構造だ。