世界は物質的にも形而上的にも、線形的又は非線形的に(=並列的に又は階層的に)、手続きで構成されている。非線形的・階層的という意味は時空を超越して凝縮されているという意味だ。

 

ある日のある時刻にAさんがXという行為を行っている時に、他の人が別の行為を行っているのは当たり前だが、これらの手続きは非線形的で階層的には、大きな集合では一つの手続き集合に該当する。ある一瞬、それは時間を持たない時空の瞬間だとすると、それは間違いなく一つの手続き集合である。しかし、次の手続きまでに間隙が存在し、手続きは離散化するので、時間を持つ一瞬では一つの手続き集合ではなくなる。過去と未来の全てを一つの手続き集合と見なす場合には、手続き間の間隙が存在しない必要がある。つまり、逆説的に、この場合には過去も未来も存在せず、時間も存在せず、一つであって、歴史も何もない。

 

つまり私が言いたいことは、世界は決定論ではないし、自由意志はあるということだ。決定論的世界などは存在し得ない。あるいは現実化しない。現実と世界というものの基本的な構成要素を持たない。そのような世界は、パソコンに収納可能な、シミュレーション世界だ。シミュレーション世界は、そのハードディスクに時空を超越して凝縮されているといえる。このような決定論世界は展開する必要はなく、そこにあるだけでいい。データ構造には間隙が無い。間隙さえ予定された間隙なのであって、それは手続きに過ぎない。

 

自由意志も不確実性も間隙に在る。