人には固有の速度があり、人によって速度が微妙に違う。この速度は単調ではない。速度は密度から派生する。密度は密度で構成され、密度は何層もの階層で構成される。世界はこの階層性のある密度集合で構成されるので、やはりそれぞれの密度集合が固有の速度集合を持つ。この密度集合は物理的な意味でもあり、形而上的な意味でもある。むしろ、形而上的な見方の方が本質を捉える。つまり表象を見ても、そこに密度という観念は想起しずらい。静止している物体に対して速度という観念は全く想起できないのだが速度を持つのである。

 

 他者を含めた世界の速度に合わせる事はストレス圧が掛かる。しかし、合わせている。このストレス圧の在り方を例えるならば、粘性体だ。粘性体の中で動くようなイメージだ。粘性体は全方向的に、特定の速度を持っていて、その速度に従えば圧が掛からないとする。その粘性体の固有の速度で動くならスムーズに動けるが、少しでも速度が違えば速くとも遅くとも負荷がかかる。そして、我々は、全く同じ速度では動くことはできない。

 

 世界は粘性を持っているが、むしろ粘弾性を持っていると表現した方がいいだろう。世界は思うようには進めない。思うように進む速度を目標速度だとすれば、可能な速度は努力とストレス耐性によって漸近グラフのように目標値に近づくが、目標値には達しない。これも例えるならば、ゴム状の物体を押し続けることだ。この粘弾性に拮抗する反粘弾性がストレス耐性だ。相撲を見ていると分かるが、そこはあきらめてはならない地点、というのがある。その体勢で力を入れ続けなければならない地点がある。その体勢は苦しいが、そこであきらめるとだめな地点がある。

 

 物質も、生物も、社会も、事案も、抽象概念も全て密度と速度で構成されている。