①個人的な 粘性(ベクトル性の加速を阻む逆行的な速度、または同期させて加速を阻止させる速度)は個人の資質(速度調整能力のレベル)として、それはそれで個人のベクトル性を制御する壁となる。この資質に欠いている場合(速度調整能力の障害)であっても、②社会的な粘性が壁となる。また③物理的な不可能性の高さという壁もある。ベクトル性の加速には、カテゴリー的には少なくとも三重の壁があり、また社会的障壁と物理的障壁はカテゴリー内でいくつもある。このため犯罪は抑制される。犯罪は現代社会においても、古代においても抑制されており、犯罪が抑制される傾向は歴然として在る。また非文明社会においても、社会規範は守られる。
③はベクトル性が集合化し、強化された場合には、障壁を破る方法が考案されてしまう。①と②が主たる障壁となるが、世界と自己の同一性を超越的に確信している場合には、①と②が同じカテゴリーとなり、ベクトル性の制御は個人の資質に帰し、またはグループの資質に帰してしまう事になる。
これが、オウム真理教の一連の事件を考えるための一つの構造だ。