自由意志を既知の知として意識に上げることなく持っている人が超越的俯瞰者であり、この人は普通の人だ。健常者という表現でもいい。従って、意識的な客観的な態度は、超越的俯瞰者としての立場を証明しない。
しかし、判定の材料はある。非超越的俯瞰者とは決定論的な因果関係支配の人だ。思い込みが激しく暗示にかかりやすいだろう。暗示にかかりやすいとは自己暗示にも掛かりやすいので精神を病みやすいだろう。発達障害者は、この因果関係支配の人々だろう。一般定義の発達障害と私の発達障害の定義は違う。それは今まで記してきた通りだ。
偽薬効果であるプラセボ効果やノセボ効果が表れやすい人は、因果関係支配されている人といえるだろう。コロナワクチンで副作用が重症化したり、死亡したりする理由について、因果関係支配によるものではない、ということを証明することは出来ない。発達障害者に、ネガティブ情報を与える事は、危険な行為だと言えるが、しかし、普遍化はできないだろう。普遍化はできないという意味は、ネガティブ情報の出所が、真偽の確信の鍵を握るという事だ。これは発達障害者が騙されやすい事と関係しているのだが、騙すには情報の出所と情報の与え方に工夫が必要だという事だ。
たとえば、麻原彰晃氏は発達障害者をターゲットに信者を獲得していった。麻原氏には全く清潔感が無く、なぜ、このような人に信者が騙されたのか、私には不思議だ。
一つに考えられるのは、不確実性を放散しない事は、発達障害者を騙す前提条件だということだ。発達障害者は権威主義者だ。権威とは不確実性のない存在だからだ。たとえば警察官は不確実性のない権威である。大きくて強い事は物質的な意味だけでなく、観念的な意味においても、不確実性が小さい事を意味する。これは密度即ち内在する加速度が大きい程、大きく、強く、不確実性が小さいということだ。内在する加速度が大きいとは、不確実性を減殺する能力に優れるということだ。これは経験的に理解できるはずだ。強く大きい人(重い人でもある)に守ってもらおうとする。盾をもって矢から身を守る。これは物質的、物理的現象の経験的事例だ。これらの弱肉強食的事例は、完全因果関係支配の世界だ。
麻原氏の場合も強い加速度を持っていた。加速度とはベクトル性である。麻原氏の強い“ベクトル性”についての逸話は事欠かない。
宇宙飛行士の神秘体験も、不確実性の消失または減殺・矮小化が原因だろうと考える。この事例は幾つかの構造が考えられる。一つは、既に加速度が生じていて、不確実性を矮小化もしくは消失させているということ。一つは、密度感が与えられているということだ。宇宙飛行氏が帰還後に宗教に没入するケースがあるのは、ここで依存体質が構築されたことを示唆する。
超越的俯瞰者は 不確実性を自律的に矮小化するために、時間・速度を調整できる。従って依存体質とはならない。
単純化した構造はこうだ。フラクタル構造が未完である事は、不確実性を接続できるという事だ。でなければ、自らの不確実性は自由意志として存在できない。不確実性の接続構造を持っているということが超越的俯瞰者たる健常者として、自由意志が既知の知であり、意識に上げる必要のない知識となっている基盤である。つまり完全予測可能世界を要求しない存在だ。弱肉強食世界は予測不可能世界の到来だが、ここにおいて、完全予測可能世界が期待されることになる。従って、死の直前には不確実性の接続構造は破断され、死によってフラクタル構造に接続してしまう事になる。即ち、この時自由意志の死を迎える。人間においてはこの死に相当する絶望に遭遇する機会が格段に増える。観念的な死である絶望に遭遇するからだ。従って絶望に遭遇した際には、フラクタル構造が完成してしまう事になり、以後因果関係支配となり、精神の病に至る。ただ、この完成してしまったフラクタル構造は再び未完となり、不確実性が接続可能になる事もある。
フラクタル構造が完成している場合には、不確実性は拒絶される。不確実性のないフラクタル構造だけが接続されていく。これは因果関係構造の拡張だ。自己に限定されているフラクタル構造を他に拡張していくという意味でもあり、自らが完成済みのフラクタル構造に接続していくという意味でもある。しかし、推進しているのは普遍性を持つ無意識であり、どちらも同じことだ。フラクタル構造の拡張と接続によって世界を決定論的世界、因果関係支配の構造に塗り替えようとするのである。これは操作主義者の性質を表しており、また操作主義者は別の操作主義者の駒にもなる事も説明する。どちらでも、フラクタル構造の拡張という目的において、同じ意味を持つ。従って、信者は自らが騙されたことを棚に上げて、新たに信者を騙そうとするが、これも騙しているという認識ではなく、フラクタル構造の拡張という意味しか持たないのである。