4頭の馬を連系で買うとして、三連複ボックスでは4通りだ。3連単ボックスでは24通りになる。3連単は境界性が高いためだ。3連単の境界性は順番である。順番を具体化すると、次の時空の分岐が増える。従って境界性が時空を創出している。当たり前のような話だが。
「具体化する」とは、境界性を高めるという事だ。これを因果関係の構築で考えてみる。「今年は雨が少なかった」ので、「米が不作」で「値上がり」している。「今年は雨が少なかった」、「米が不作」、「値上がり」の3つに境界性を与えた時に、妥当な線形世界の因果関係が構築される。線形の因果関係においては、馬券と同様に順番の問題は必須だ。「米が値上がり」したので、「今年は雨が少なかった」、は成立しない。この因果関係は決定論的因果関係だ。つまりフラクタル構造では、境界性がなく、「今年は雨が少なかった」、「米が不作」、「値上がり」、の順番は無関係に、全ての因果関係が成立するだけでなく、一つの要素が全てを包含する。
4頭の馬を抽出(選別)したのも境界性の設定だ。ここで境界性の設定は差別する事だと明確に理解できるようになる。宗教はフラクタル構造だが、排他的で選民思想を持つ宗教もある。それでもフラクタル構造である理由は、信じない者は存在してはならないからだ。フラクタル構造においては、フラクタル構造を障害する不確実性は存在してはならないのである。
つまりフラクタル構造化とは二つの形態がある。一つはフラクタル構造に同化して(同化されて)接続する事(接続される事)。一つは、完全に排除する事だ。完全フラクタル構造を目指す思想や宗教または集団や国家は弊害であり、人間の性質を逸脱している。このため、むしろ逆説的に、不確実性によって排除される宿命にある。なぜか? 不確実性は物質性ではなく、世界に充溢しているからだ。その証拠に、人は簡単にウィルスにり患し、時には死に至る。我々はウィルスを未だに克服できないし、今後もできないだろう。
ベクトル性とは、再構造化のために(到達予定地点は完全フラクタル構造化)、境界性を除去する指向性であり、境界性の除去には二通りあるという事だ。ベクトル性は生物的合理性即ち欲望と、その分化形である合理性に、偏向させる。対峙するのは不確実性である。合理性は、不確実性との合致点でも成立し得るのであり、それは明文化された道徳に表れる。しかし、合理性と道徳は同一ではない。