時間は物理的には規定できない、のではないか。つまり、物質の振動数や、電磁波の到達距離は、比例的で、定量であり続けるので、この「変化の変化の無さ」は、静止状態も許容してしまう。

 

・秒は、セシウム133原子の基底状態における二つの超微細準位の遷移に対応する放射の 9,192,631,770周期 として定義されている。

・メートルは、光が真空中を 1/299,792,458秒 の間に進む距離として定義されている。

もっとも、これらはいずれも「定義上の定数」である。セシウムの遷移周波数は、温度・磁場・重力などの環境条件によってわずかに変化し得る。また光速も、定義上は誤差をもたない不変の値とされているが、実際には重力場や媒質、さらには真空の量子揺らぎなどの影響によって、観測値に微小な変動が生じる可能性がある。従って、いずれも「測定される物理量」ではなく、「基準として取り決められた値」だ。それでも、変化の変化が無い物理的変化という意味で取り扱うには十分な事例である。

 

 

「物質の振動数や電磁波の到達距離が比例的である」というのは、変化が相対的に均一である(スケールが変わっても比率が変わらない) ということだ。このような世界では、「速い・遅い」「前・後」という区別が消滅してしまう。

なぜなら、全てが同じ比率で変化していくならば、“変化の変化”が存在しない からだ。そこでは「静止」と「運動」の区別すら消えてしまう。

 

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同じ単調なリズムを聞き続ける事は、変化の変化の無い世界をもたらす。閉鎖環境で、単調なリズムを聞き続けると時間感覚を失ってしまう可能性がある。ここで逆説的に反動が生じ、衝動性も高まる。しかし、閉鎖空間からも逃れられない場合には、時間の停止という、自己の実存の危機に直面するだろう。