捜査の社会的意義を社会正義の執行とした場合に、社会正義には法的正義と道義的正義が同時的に含まれる必要がある。被害者に道義的な落ち度があった場合に、捜査の社会的意義が失われてしまう。それでは犯人の罪状を軽くするために捜査を行うようなものだからだ。
そして、社会的意義とは幻想である。議論無く、市場原理によって自動的に生成されたのである。
大衆が望むのは、道義的正当性を逸脱している加害者に対して報復的に罰を加える事だ(これは心理実験で確認されている)。そして、被害者は道義的正当性を逸脱していてはならないのである。法的な意味を超えて、加害者に罰を与える正当な理由が無くなると感じるからだ。この生物的な指向性に従えば、正当性において、道義的正義が法的正義より上位だとみなされているのである。しかし、この大衆の生物的指向性に基づく願望を、警察機構が反映する義務はない。
警察機構は大衆迎合主義に陥ってはいけない、と私は思う。ただ、事件の真相を明らかにするだけでよいのであって、そこに忖度など不要である。たとえ殺人事件の被害者となる事によっても、悪事が隠蔽されることが保証される権利が生じるものではない。
