「私」にとって宇宙人が不要であるならば宇宙人は存在しない。これは「私」にとって外宇宙が不要であるならば外宇宙は存在しない、のと同じ意味である。しかしながら「私」は、外宇宙が必要な人と交流したりその人の話を聞いたりその人の本を読んだりする事によって、その人と同様に外宇宙が存在するようになる。この場合の存在とは、まだ非実存的な存在である。非実存的存在とは、可能性でしか存在しないという意味である。さらに映像や画像で見ることによって、その外宇宙は実在的存在になる。これは我々が世界を拡張する方法だ。
しかし、宇宙人やUFOはこの人類の歴史数万年でもなかなか実存的存在にはならない。UFOは多くの撮影事例もある。にも拘わらず現実化されているとは言い難い(なお画像や映像は実在を証明することは出来ない。幻覚と、画像や映像との違いはない。これは目の前の視覚的な像が幻覚であるか現実であるのかのいずれかの証明を行う事も出来ない事と同じ意味である)。これは予め定められている許容範囲を逸脱しているためだ。つまり私は宇宙人は存在しないと考えている。その最大の根拠は、超高度な文明は存在してはならないからである。それは道徳の範囲を逸脱している。世界の枠組みを逸脱するのであって、世界の中から、その世界を逸脱できる存在は生まれないのである。
宇宙人やUFOは非実存的には存在してる。つまりあらゆる可能性の中に含まれている。稀に出現するのは、可能性の痕跡である。可能性の情報を引き出した者だけが見る事ができるのである。
現実に目の当たりにする出来事も全て非実存的プロセスに含まれるのであって、我々はただその非実存的プロセスの中から道徳によって選別され現実感を与えられているプロセスだけを現実と感じているだけだ。
実在化する、あるいは現実化される、という意味は、情報が共有されるという意味である。即ち同じ情報を受容しているという感覚だけがあればよい。その情報に同一というタグが付与されていればよい。宇宙人やUFOあるいは幽霊その他超常現象では、このタグが不安定(再現性に乏しい)だが、写真や映像は同一化タグを安定の方向に導く。しかし、それでも安定させることができないのは、道徳の逸脱度が高いからである。
幻覚を現実だと感じる理由は、情報の同一化タグがあればよい。同様に幻聴の声の主が実在する他者だと感じるにも情報の同一化タグがあればよいのである。精神病は道徳を逸脱している状態であり、このタグが乱発されるのである。
つまり宇宙人や幽霊をよく目撃したり撮影する人は、道徳を逸脱している状態であり、道徳を逸脱することを願っている状態だとも言える。
