もし、精神障害を持っていたとしても、生涯、健常者として振る舞うことができたら、果たして、その人は精神障害者だったといえるだろうか?逆に考えれば、精神障害者とは、健常者として振る舞う事が困難な人たちだと言える。自己の苦しみや生物的衝動を社会的異常性を以て出力することはしないで耐えられる事が、健常者が健常者たる所以である。
東国原英夫氏は最近の発言がいくつも叩かれているが、加齢とともに内省的自己の機能が消えてきているためだ。もし、少し前までの彼であったならが、その言葉は演者としての皮肉の言葉であり、冗談やジョークの一つとして自虐性をもって語られる言葉だ。つまり倫理的、道徳的な問題のある発言であること、誰かに叩かれる発言である事を、前もって自覚していて発言する「ボケ」としての発言であったなら、それは笑いのネタとして発言したのであって、この場合は内省的自己が客観的に自己を監視し、他者を意識し推論している。他者が自分を笑ってくれることを想定しているのである。しかし、最近の発言はまさに「素」で言っているのだ。笑ってもらおうとは思っていない。自虐的な「ボケ」の提示ではなく、いわゆる天然の「ボケ」になってしまっている。健常者として振る舞う事が困難になってきたという見方ができる。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――
2024年1月11日に、『思考盗聴の正体 2』をAmazonから発売しました。
ホームページ『テクノロジー犯罪の記録と証拠』に加害の為の手続き作業を行っている人間の録音記録を掲載してあります。
テクノロジー犯罪の記録と証拠 (newspeppercom.wixsite.com)