被害の初期の頃は、声の主を信頼していて、指示に従って行動する事が何度もありました。声の主は、実在せず、意識的解釈による存在の錯覚だということを今は知っていますが(簡潔に記せば、生物にとってあらゆる音は命令であり、さらに人間にとってはあらゆる言葉は命令です。最初の命令は、その音・言葉について考えろ、という命令です。次に、行動につなげる命令を解釈します。)、当時は、無意識や脳の事は全く知識が無かったので、どっぷり妄想にはまりました。声の主の命令に従っていた頃に、時間に間に合うように走れと指示され、500メートルほど全力疾走し自宅の自室に戻ると、声の主が、「今から1分間息を止めろ」と言いました。今、考えると笑い話(なぜ、笑えるかと言えば、その反道徳性です。苦しんでいる人間に対してさらにむち打つような一言。その意外性、即ちサプライズ、あるいは誤差が面白いのです)なのですが、その時は真剣でした。私は素直に従い、何とか1分間息を止めました(なぜ従っていたかというと、声の主の実在を信じ、また信頼もしていたからです)。この時に途中から、息を吸わずに喉と腹を躍動させて息を吸うような動作だけを真似るという動きが無意識的に発生しました。

 

 先日、平静時に軽く息を吸った後に2分間息を止める事ができた、と書きました。後半の1分は、意識的にこの時の喉と腹の動きをします。毎回、必ずしも2分はできません。最初の1分まであまり労せずに達した場合に、2分をクリアできる事が確定します。

 

 

 

 最近の研究と発見によれば、人間の中耳は魚のえらが起源だという事です。人類の中耳は魚のエラから進化、最新の科学研究で明らかに | Science Portal China (jst.go.jp) 

 

 インドネシアのバジャウ族は素潜りで10分潜れます。身体的な特徴として脾臓が大きくなるDNA異変があるという事です。水深60mに10分素潜り 驚異の漂海民族にDNA変異 - 日本経済新聞 (nikkei.com) 

 

 

 

 江頭氏は途中から記憶がなくなり、放送分に写っては居ませんが、水上に上がった時には意識が無かったそうです。自ら上がった瞬間の目は確かに、意識が飛んでいる感じでした。つまり、江頭氏は途中から解離しています。自己意識は消え、行為主体だけが行為を行っているという事です。これは夢遊病患者が無意識的に歩き回るのと同じ状態です。もっとも行為主体が意思を持って、行為を実行したのではありません。人間もまた規範従属システムなのであって、この時、行為主体は江頭氏の強固な感情、強い念を以て形成された規範に従属していたのです。

 

 人間は水中に入ると、潜水反射があり、心拍が抑えられ、陸にいる時に呼吸を停止するよりも長い時間、息を止めることができるそうです。この潜水反射は、人間がもともと半水生であったという説の根拠の一つとなっています(水生類人猿説、またはアクア説)。自由に息を止める能力を持つ生物は人間だけではないのですが、この能力は言語発達に寄与しているそうです。

 

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 テクノロジー犯罪に利用されている精神工学兵器は、ある側面から見ると、ターゲットの衝動性を高める訓練をターゲットに施しています。ある不快な言葉があります。それは、私が可能性の思考として思い浮かべた雑念から不快度によって抽出された物です。意識と無意識に記銘されています。はじめ意識からそれを引き出そうとします。最大の不快語では無く、2番目3番目の不快語を連呼し、あるいは最大の不快語の周辺にある言葉を連呼します。そして私は、引き出そうとしている言葉が何であるのかの曖昧な輪郭を思い出します。それを思い浮かべないようにする事が辛い作業なのです。これは起床時から始まります。精神工学兵器は、簡単に無意識からダイレクトにその言葉を引き出し連呼させることもできます。しかし、最初は、意識にストレスを与え続けるのです。その言葉を思い出す事が衝動性です。その言葉を思い浮かべたい、楽になりたいと考えるのです。実際には楽になりません。不快そのものです。また私は、できるだけ何も言葉を思い浮かべないようにしていますが、どうしても雑念が沸いてきて、何らかの言葉を思い浮かべ、あるいは気が付くと、言葉をすらすら思い浮かべ、それを繰り返されています。これも背景音とリズムがストレスを与え、言葉を引き出しているのです。さらに最近は独り言も増えてきました。不快感に耐えかねて、感情が高まり、出力の欲求が高まっているからです。以前書きましたが、出力欲求を高める高周波を送信していると考えています。性器周辺の身体的加害も同様です。歯ぎしりも最近は増えてきました。これも衝動性を高められたからです。ストレス反応とは衝動性の表れです。

 

 この呼吸停止が、衝動性を抑制する訓練になる事を発見しました。息を吸いたいというのは生物的な欲求であり、息を止めるのは意識的な活動です。2分クリアするというのは行動計画に該当します。30秒を超えた辺りから、強烈な呼吸の欲求が上がってきます。そこから呼吸を再開するまで辛い状態が続きます。生物的な欲求に意識が反する事によって、意識に辛さがあがってくるのです。生物的な衝動性の抑制が人間の苦悩であり辛さなのです。つまり人間意識は苦しみを味わうためにある、といえます。呼吸停止のチャレンジを終えた後は、ストレスを高める音声を聴いても、自発的に言葉を思い浮かべないようにする事が簡単になります。このため精神工学兵器は、強いストレスの音とリズムを発生させます。たとえば、不規則で、予測不能なリズムです。ジョギングも同様で、ジョギング時に、音声の不快度が高まり、この世の地獄を味わう事になりますが、やはりジョギング後にはストレス耐性ができているのです。辛さに耐えて走り続けるからです。精神工学兵器はやはり不快な音声を発生させ、元に戻そうとします。

 

 ストレス耐性を臨時に作って、以後、衝動性から解放される、という方法は、陸上競技ではよく行われています。いわゆるアップと呼ばれるもので、本番前に強めの強度でたとえば百メートル走ります。これは同一性の原理を利用しているのですが、運動科学理論では身体面でしか説明していません。直近に心拍を上げた状態を作ることによって、本番はその状態が再現しやすくなります。これは身体的なストレス耐性を臨時に作るということです。同時に、このアップで精神的なストレス耐性も臨時に作られ、辛さに対抗する事ができるのです。走るのを止めて楽になりたい、これが生物的衝動です。

 

 ジョギングは通常、終始、楽なペースで走ります。習慣化されれば、一定の楽なペースで走り続ける事は楽しく快適です。はじめ少し辛くとも5キロ以上でさらにエンドルフィンが分泌されて爽快感も沸いてきます。習慣化は人間の規範従属性です。歩行はドーパミンが自動行動化し、行為主体に一任状態にできます。意識主体は周囲に注意を払うか、別の事を考えたり、スマホを操作したり、アイスクリームを食べたりしながら歩く事ができます。走行も運動の軌道は自動化されていますが、継続にはジョギングレベルでも若干の意識の介入が必要です。つまり本来的には楽ではない。辛い行為です。継続によるストレス耐性の強化とエンドルフィンという報酬に対する期待が、辛さを緩和しているのです。習慣化が定着し、エンドルフィンを求めるようになった場合には生物性の強い行為ですが、逆に考えれば、これは人間意識が自己の生物性を利用し、行動計画の実行を促進しているということになります。

 

 ところが、私のジョギングは終始、辛いものになります。10mで、もう走るのを止めたいと考えます。そして、10キロ走るとすれば、10キロの一歩一歩をまさに意思の力で動かしています。ドーパミンが、その機能を果たしません。ドーパミンの分泌量に対応して、発生する言葉の不快度が高まり、また不快な言葉、侵入思考・雑念の発生を恐れ、抑制しながら走る為に、不安と恐怖の状態が継続します。つまりドーパミンの分泌量に比例してノルアドレナリンの分泌量が増えています。またノルアドレナリン信号を増幅する作用が常にあります。このため走る毎に、ジョギングは恐怖対象、回避対象となるという、通常では考えられない状況となっています。普通は、定期的に走っていれば、ドーパミンが、この運動を習慣化します。ただ、私は、ジョギングが精神工学兵器に対抗する最も有効な手段だという合理的に判断によって、行動を実行しているのです。

 

 

  地上で呼吸を止めるという行為は自殺行為とは決定的に違います。首つりや割腹、飛び降り、入水などは、ある瞬間を越えると、自発的には後戻りできなくなります。意識が関与するのは一瞬です。呼吸停止は、最初から最後まで意識が関与します。

 

 呼吸停止はストイシズムです。自己抑制です。それは自己の生物性からの乖離を目指すものです。思うに、ストイシズムには二つの条件が必要だと考えます。一つは生物的衝動の反対である事、一つは自己の規範として行う事です。江頭氏の芸風は、明確にストイシズムを体現しています。

 

 道徳は反生物性です。例えば窃盗は生物性です。目の前の報酬は自分のものにするのが生物的真理です。盗んでいけないのは、法律や常識、道徳に反するからです。暴行も生物性です。気に入らない相手は殴り倒すのが生物的真理です。呼吸をする事も、生物性です。なぜ法律や道徳で禁止されていないのでしょうか?では究極の生物性として、生きている事を挙げておきます。生物性を否定する事が道徳であるならば、なぜ生きる事を禁止しないのか?という問題です。

 

これはexistence(実存)の欲求(あるいは指向性)と、reproduction(複製)の欲求(あるいは指向性)との違いです。reproductionの欲求は、生物の活動の全てです。生物の入出力の全てです。人間社会はこの欲求のまさにreproductionであり、それらのreproductionはさらにreproductionを作り出します。自己複製の欲求は、実存戦略の一つとして生み出されたものであって、二次的な欲求です。自律的実在としての生物システムが時間的同一性を維持し続ける、即ち実存し続ける為の戦略です。現存する動植物の全ては、数十億年前の一つの自己の複製です。そして多細胞生物の一つ一つの細胞も自己であって、個体も自己であって、総体としての生物も自己であって、それらは実は一つの自己、1種類の自己、ただ一つの自己です。地球上にはたくさんの個体が生存していますが、自己は一つしかないということです。数十億年前の一匹の原生生物という自己です。たくさんの自己がいることは、原始的なシミュレーションを可能にしました。飛び降りて死ぬかどうかを知る為には実際に飛び降りて見れば良いのです。いくらでもシミュレーションの駒があるのです。人間は意識でシミュレーションを行いますが、それでも確実に勝ち馬を当てる事はできません。生物の総体が行う原始的シミュレーションの凄いところは確実に勝ち馬を当てる事ができることです。全ての馬券を買うことができるのですから。人間も、生物という一つの自己の、シミュレーションの駒です。

 

 実存の欲求が生物の根源です。自己複製の欲求は二の次なのです。単純化すれば、実存欲求はノルアドレナリン恐怖系で表現され、自己複製の欲求はドーパミン報酬系で表現されます。報酬支配よりも恐怖支配の方が従属性は格段に高くなります。ヤクザは報酬系で一般市民に近づき、次第に恐怖支配に移行していきます。闇バイトも同じ手口です。誰も気付かない報酬としての餌は「情報利得」です。情報利得は、ほとんどの人は餌だとは思っていません。コミュニケーションの始まりにおいて、既に餌・報酬を貰っているのです。

 

 呼吸は、実存の欲求であるがために、道徳的な禁止事項とはなりません。それは欲求であると言うよりも、本来は指向性です。しかし、その指向性は、意識によって抑制する事によって欲求に変わります。もし心臓を停止したり、逆に心拍を強めたりすることが恣意的にできる人であれば、心拍の正常化は欲求に変わります。

 

 

 全力疾走の後に、「1分間、息を止めろ」という言葉はなぜ、私の頭に浮かんできたのか。もちろんその声は他者やAIが送信したのではありません。これはストイシズムが現れたのです。

 

 ストイシズムは、自己意識が、身体との自己同一性を確認し、あるいは強固にする作業です。自己意識が身体に対して従属性を問う作業です。これは自己意識が身体に従属するのではなく、身体が自己意識に従属するのだという事を確認する為に行われるのです。

 

 

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 まとまりがなくなってしまいました。各文節は、それぞれ掘り下げていくと、長い文章になるので、端折りました。

 

 今回の記事の要旨は、計画した呼吸停止時間をクリアしようと試みることは衝動性を抑制する訓練になる、ということです。

 

 

 

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ホームページ『テクノロジー犯罪の記録と証拠』に加害の為の手続き作業を行っている人間の録音記録を掲載してあります。

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