物を落としたり、無くしたりすると喪失感がある。悲しくなり、焦燥感がわいてきて、死に物狂いで探す場合もある。このネガティブ感情の発生は、自己同一性の喪失の危険性がある事を無意識が検知し、意識に感情として上げてきたことによる。不安は、その危険であり、焦燥感は回復の為の行為に猶予が与えられていない状態だ。

 

 それらの所有物は、自己の権威を付与した仮説的な自己、即ち分身なのかもしれない。あるいは自己の完全体とは、所有物を含めるのかもしれない。これらの所有物に対する理解は、意識的な理解の仕方とは、別の理解の仕方で無意識に理解されているのだろう。

 

 また、所有物の意味を考える時に、その物が、自己の実在を証明する為の実在なのかもしれない。その場合は、世界の実在が真実としてあり、自己の実在は不確定だ。それとも唯一の実在である自己がその物に実在の権威を付与したのかもしれない。その場合は、世界の実在は不確定だ。生物の構造からいえば、世界の実在が不確定である方がしっくりくる。我々は、感覚器官と内部状態を使ってしか、世界を推測する事はできないからだ。ただ、無意識は意識とは別の世界の捉え方をしているのは間違いない。意識においては、知り得た世界だけが世界なのだが、無意識において、その世界は自己と同一となっている可能性さえある。意識の世界とは別の基準で世界を構築しているかも知れないのである。

 

 私の提案する仮説は、唯一の実在である自己が、世界に対して実在の権威を与える、という立場だ。不要な物は捨てる、という行為は、無意識の傲岸さを意識と知性が緩和した結果だ。本来的には不要な物は実在してはならないのである。無意識は、世界の事物に対して、実在すべきか否かの審判を下している。世界を拡げ、実在の可否の判定を行う。つまり、自己は世界の創造主となる。そして各個体は世界を同一化するという世界征服の野望を潜在的に持っている。しかしながら、近所に世界征服を企んでいる人はなかなかいない。集団的動物である人間の場合は、この世界征服の野望は、他者とのコミュニケーションによって打ち砕かれる。まず、その野望の核心、無意識の深層が持っている権威をリーダーに付与する。この権威は従属性だ。他者との同一性を図りながら、社会同一性を獲得していく。社会同一性とは、自己同一性だ。社会と他者、自己は同一なのだ。もし、自己同一性が喪失した時、無意識の支配権が大きくなる。権限が再び無意識の核心に戻ってしまったからだ。個人は、無意識の傲岸さに従って破壊的な行動に出る可能性が高まる。それは無意識からの、自己同一化を達成せよとの指令である。自己同一性の喪失が、犯罪の理由だ。

 

 お金は確実に自己同一化を達成できる道具だ。犯罪の多くがお金がらみであり、ほとんどの事がお金で解決するのは、確実に自己同一性を達成できる道具である事を皆が知っているからである。買い物が自己同一性をなぜ達成するのかと言えば、商品を買いたいと思った時に、商品を所有している未来の自己の仮説モデルが生成され、代金を支払った時に、この仮説的な自己との同一化が達成されるからだ。この自己同一化の作業は常に行われていて、たとえばトイレに行きたいと思った時に用を足している仮説的な自己が生成され、用を足した時に同一化を達成する。これは自己実現と表現されることもある。

 

 創造主という思想が世の中に存在する理由について考えてみた。

 

 

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 11月5日に、『テクノロジー犯罪の記録 自己洗脳の過程と霊感商法との接点』のKindle版を発売しました。

 

 

ホームページ『テクノロジー犯罪の記録と証拠』に加害の為の手続き作業を行っている人間の録音記録を掲載してあります。

テクノロジー犯罪の記録と証拠 (newspeppercom.wixsite.com)

 

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 なお、ペーパーバック版は4月17日に発売済みです。