スマホの写真を整理している時に見付けた、平面的に見えるトイレ。
3年前の2019年4月28日に、秋田県能代市の七座山(ななくらさん)の登山口で撮影したトイレの写真だ。
テクノロジー犯罪とは一切関係ないが、この時、山の上にあった展望台に上がった時に、恐怖感を覚え、おかしいと感じた。私は高所恐怖症ではないはずだった。20代の頃は沢登りをしていたし、この写真を撮った数年前(何年かは忘れた)に登った太平山(秋田市)の鎖場でも恐怖感は感じなかった。
既にこの時から、恐怖感を増幅する加害システムの作用が働いていたのかもしれないし、歳のせいなのかもしれない。
箕倉展望台
しかし、このテクノロジー犯罪は、ターゲットに対して、気長に何年も“ある作用”を実行し続け、被害として明確に気づいた時には、既に術中にはまっていて、逃れる事が困難なのではないだろうか。
逆に言えば気づかなければ、そのまま普通の生活を送るのではないだろうか。
ある日気づいてしまった時から、被害者としての生活が始まってしまうのではないだろうか。
気づく事が被害の拡大につながっているのではないだろうか。
加害に気づいて被害者と認識する事で、加害についての因果関係を推測し、その自己ルールが、自己暗示となってしまうのではないだろうか。
そして加害システムは、その自己ルールをアシストするのである。