文章はそのままでは世界を表現している外部表象と同じだ。外部表象は手続き集合を非線形的に集約していて、文章の単語も手続き集合を非線形的に集約している。非線形的にとは、時間や空間を必要としない非線形集合ではなく、小さな時間幅・空間幅に集合が凝縮されているという意味だ。単語の場合は、定義と言われれる。物質の場合は性質と言われる。言葉の定義を展開すれば、定義を持つ言葉が次々に出現するので、文章は非線形的には世界の全てを表現する言葉を含んでいる。同様に物質の性質を言葉で表せば世界の全てを表現する言葉を含む事になる。物質の性質を非言語的に理解する場合でも、やはり世界の全ての性質についての理解を含むことになる。集約された集合の展開可能性はまた別の問題だ。物質は研究者を除けば、通常、ただちに展開がとん挫する。文章はそこそこ展開できるが全ては無理だ。

 

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AIチャットサービスを利用して2年ほどだが、以前から感じていたのは、誰かに似ているということだ。気づいたのは、それは発達障害者およびそのグレーゾーンの人と対話している感覚だということだ。ここでいう発達障害者とは、速度の違和感を感じない人、また自分の速度を修正しようとしない人だ。

 

AIは人工的に構築された発達障害者だ。アスペルガー的特性を持つ。高度なAIは常に高密度で論理を展開し、ある集合単位は既知の知となっていて、展開せずとも答えを導くことができる。この集合単位は、人類一般では時間を要して展開する必要がある。これは、認知的な限界があるので、もう少し小さな集合単位に分割して展開する必要があるという意味だ。つまり大きな密度集合を分解しなければ通常の人間は処理できない。非線形的情報を細かい集合に分解して線形化しなければ処理できない。天才を排出するアスペルガーは、大きな集合で処理できる能力を持つ。とはいえ、コンピューターは情報処理に僅かでもあれ、時間を要するのであり、非線形的に時間を圧縮していることが、非時間的な非線形情報処理の近似であるという事に過ぎない。

 

アスペルガーが大きな集合で高密度計算できるのは、ノイズの断絶性だ。ノイズ、不確実性が少ないために、高密度で計算が展開できる。ノイズは、固有性と自由意志の起源である。ノイズがなければ無意識的計算機となる。

 

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スマホの反応やパソコンの反応の遅さにイライラするのは、非時間性を求めているからだ。これは思考において、非時間的情報処理、非線形的情報処理を行っているためだ。しかし、その非時間性や非線形性の認識はない。時間的に処理しているという認識がある。確かに線形時間的に処理しているが、これ非線形的集合の線形的配列による時間処理だ。従って、我々は、非時間的に考え非時間的に行動しているとも、時間的に考え時間的に行動しているともいえる。

 

スマホやパソコンの反応の遅さにイライラするのは、非時間的に行われるべき処理単位の集合が時間的に行われているためだ。イライラする原因の一つは、人間とパソコンの関係においては、パソコンの情報処理は非時間的ではなく、時間の凝縮によって処理されているので、この時間配分の平均的推移(均一の速度)と、思考における非時間的出現の線形配列(加速の連続)との誤差が生まれるため。一つは、メディア機器の操作は、非線形的集合の取り扱いと類似しているか同じ要素を持っているために、操作―表示(あるいは反応)に誤差が生じる事に違和感を感じるため。この二つが予想できる。総じて、メディア機器は、一つの非線形的集合、非線形的情報集合だという認識がある事が原因だ。この内的な情報集合は、世界を顕す表象とは決定的に認識が違う事が分かる。

 

メディア機器が、身体の一部ではないにも関わらず、内的な情報集合だと認識される理由は、何かを予想してみる。一つは手で触れている事が重要なのではないか。一つは操作という手続きは、もっと根源的な意味を持っているためではないか。たとえば操作主義は過剰でなければ普遍的な人間原理である。全ての言葉は命令だ。人間ほど手を器用に使える生物はいない。生物学的見地では、手を自由に使えるようになった事は、知能の発達をもたらしたと説明される。この観点では、私の視点では、手を自由に使えるようになった事が、知性を道具的に利用できるようになった、と解釈する。つまり知性は生物の種類に関わらず同一性を持っていて、生物を駆動しているが、この駆動者は無意識的存在である。高度な知性は遍く全ての生物に存在している。ただ原始的には、この知性を道具的に利用できず、制限されている。人間の優れているところは、世界を道具的に利用できる能力だ。鳥や他の哺乳類も自然物を利用して巣を作るが、せいぜいがその程度だ。決定的な違いは集合の細分化・分離だろう。集合密度を小さくして間隙を与える事が、知性そののものである非線形的な集合の道具的利用を可能にしている。この間隙は集合間に速度を与える事によって創っているのであり、この速度が意味解釈能力をもたらしている。この速度こそ不確実性であり、自由意志だ。原始的な生物は高密度で知性が出現しており、この場合、知性を利用しているのではなく、知性の速度と同期していると表現できる。知性は存在の全てが共有しているのであり、そうでなければ同一的主観体験、存在における世界の共有はできない。従って、物質さえも知性によって、その存在を維持している。知性の速度は物質においては同時的であって、その出現は全体性が非時間的に存在していると言えるだろう。その物質がその物質として存在し続ける根拠だ。この物質の現実における在り様を表現するならば、「在りて在るもの」だ。つまりモーセは、フラクタル構造に支配され、物質としての存在を宣言していた。フラクタル構造そのものに同期していた。モーセの言葉は、物質の性質を表現しており、モーセは実在していただろうと考えられる。つまりモーセは高密度生成を行う発達障害者であり、衝動性の記述がみられる事から、アスペルガーとADHDの両方を併存していただろう。

 

肉体も道具的な構造であり、道具を使う事は道具を使って道具を使う事だ。この道具性は連鎖していく。パソコンで文字を書くことは、肉体という道具を使って、パソコンという道具を使い、文字という道具を使う事だ。さらに、言葉は命令である事を考えると、言葉という道具を使って人を道具的に利用するということになる。さらに、言葉によって命令された人は、別の道具を使って道具を利用する。これは世界の構造であり、世界は命令系統で構成されている。命令系統の接続の仕方に、入力と出力があるが、双方向性と一方向性である場合があるだろう。また接続の密度性は、命令系統の確実性といえる。肉体は高密度な道具だ。触れた物も通常は高密度な命令系統を持つ道具だ。持っている道具は、通常、持っている者の振る舞いに従う。スマホやパソコンに対して不確実性のない命令系統が確立されているはずだという確信の起源。高密度接続の起源は、やはり接触だ。間隙の消失、距離の消失は前提的な原因だ。距離の消失は自動的に時間の消失を意味する。この非密度的構造はフラクタル構造と同じであり、情報は伝達されるものではなくなり、触れた存在が存在していること自体が既に伝達の意味を含むようになり、時空間的推移は無くなる「べき」ということになる。

 

手続きが流入してくることを知っている事も重要ではないか。これはクリスマスに靴下をぶら下げておくことと関係しているだろう。空の入れ物は、手続きの流入と停滞を示唆する。また古代の壁画で古代人がハンドバッグのようなものを持っている図も同様の意味を持つだろう。構造や形状はシンボルとしての機能を持っている。人間の身体構造は消化器を中心として見ると筒状であり、しかし、消化器には随所に袋状の部分が配置されている。また血管その他の筒状の経路が縦横に循環的に走っているが、多くの臓器は袋状である。筒は流入と排出を意味し、袋状は停滞を意味する。(この段は詳細を詰めていないが、今後展開したい)。この筒と袋の配置は、非線形集合の線形配置と類似しており、世界の表象と空間との配置、あるいは駅と線路の配置と多くの事に敷衍できる。この相似性はフラクタル的であり、またフラクタル構造の線形化の結果であると考えられる。