保存構造(抽象概念以前の非構造的な構造)と「私」の関係について。原「私」は不確実性であり、自己生成する不確実性なので、保存構造ではない。意識の「私」は不確実性の刻印としての「私」なので保存構造となる。
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保存構造の原本はフラクタル構造だ。保存構造は文脈的であって、構造を保存する構造も保存構造に含まれている。チョムスキーの提唱する普遍文法が、保存構造を抽象化した場合の構造に近いと予想される。さらに具体化されて言語文法となり、さらに言葉となる。
完全性を失ったフラクタル構造の展開は全て複製だ。複製は必ず不確実性を伴って展開する。展開とは変化だ。世界はフラクタル構造の複製で構成され、具体的なものも、抽象的なものも、全て複製であって、同一性を持つ。展開の仕方の一つは時空の離散的展開だ。時空は、速度によって生み出され、速度は不確実性がフラクタル構造に与えた圧力だ。
変化は連続性がある時に変化と認められるのであって、連続性のない変化は、断絶だ。時空の制限においては、変化は必ず離散的となり不断の変化は存在できない。フラクタル構造に時空を与える事(速度)を与える事は、既に、フラクタル構造の完全性を喪失させている。
時空による全体性の複製は、時空の離散単位の数だけ複製が生成され続けるということだ。しかし、この時空の全体性の複製とは、時空という一つの枠組みの展開ではない。複製された構造の主体体験的(物質も含む)な時空の展開が、それぞれの存在(創生として複製された構造)が独立存在としての差異を持ちながら同一体験として展開される事によって、時空が全体性を以て展開している。(ここは前回の記事を訂正している)。
創生としての複製は、物質の創生だが、我々の生活する場は物質的には低密度であり、物質の創生は終了している。物質の創生は多密度化をもたらし、時空は低密度化をもたらしている。どちらが先とも言えない。
時空的も、創生も、「1」として密度を持たないフラクタル構造を密度化している。時空の密度化を、時間的な密度化と空間的な密度化に分けることは出来ない。時間と空間は共に距離的な意味を持っていて、速度で集約される。
物質の創生は多密度化だが、宇宙は低密度化に向かっていて希薄だ。惑星は既に低密度の宇宙にあって高密度だ。惑星は、再高密度化の一端であり、フラクタル構造の復元という指向性に沿っている。惑星はフラクタル構造的であって、密度要素(複製されたフラクタル構造である物質)を文脈的に繋げる。つまり「関係性」という観念、その抽象概念が存在する理由は、フラクタル構造にある。従って、この関係性あるいは文脈と言うものは、やはり構造として保存されていて、その保存構造は法則や因果関係として物質が明示的に表現する。ただし、この視点は生物視点である。非生物視点においては、保存構造だけが展開していて、明示的な世界が展開する必要もない。
関係性によって、新たな複製が生まれる事になる。これは創生ではなく、構成によって複製を創る方法だ。いくつもの複製が重複して存在できるようになる。生物は、その重複的複製の存在だ。多細胞生物はさらに重複性を高めている。また生物は、形而上的な増幅可能性、形而上的な複製の大量生産が可能な形態だ。進化は複製の増産可能性を物質的に表現したものだ。生態の多様性は、物質的にも、形而上的にも、複製の増産を意味する。
行為も時空的には複製の重複だ。生体としての同一性を持った時空的複製は物質的複製だが、行為は、さらに物質的複製を複製した事に該当する。
抽象概念は物質も表現しているが、物質が表現している抽象概念は現実の規則だ。生物の出現以前においては、抽象概念は物質を以て表現しなければならず、かつその表現しているものは現実の規則に限定されていた。生物の出現によって、現実の規則、自然法則以外の規則を表現できるようになった。これが主体性であり、自立性だ。石は食べるという抽象概念を顕さないが、生物は表せる。これは反応についてもいえるのであって、物質も反応はするが、生物の反応よりも一義的であり、生物の反応の多様性も、規則表現の主体的な出現といえる。生物は、その活動自体が抽象概念の表出だ。従って、抽象概念は保存構造の一つではあるが、表出しなければ、残らない。つまり意識で抽象概念を量産しても、現実の行為や、文字などによる記述、現代においては映像などで、その表現を表象化していなければ、残らない。
人間意識における抽象概念について。抽象概念の保存構造の基本的な枠組みは同じであって、賢人の言葉は、今に通じるものがある。かといって、停滞するわけではない。概念も進化する。これは概念というものが、表象化された不確実性の痕跡を取り込んでいくからだ。従って、思想は新たに創出されていく。
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ある行為が抑圧された時、この行為のベクトル性は別の行為として発現するか、もしくは内的抽象化に向かうだろう。行為の抑圧は、複製の抑圧だ。複製は圧力によって行われるが、さらに二重の圧力が加わる事になる。
もし、もしベクトル性が未分化で原始的である場合に、つまりベクトル性が単純な一義的性質あるいは一義的に近い性質を持っていて、性欲や攻撃のカテゴリーに留まっている場合に、ベクトル性は高密度であって、即ち強固だ。またベクトル性が分化していて、分化の進化形態である合理性まで分化していたとしても、多密度分化の分岐がそれぞれ高密度で、強固である場合もある。強固なベクトル性が抑圧されて、他の行為につなげられない場合には、この抑圧されたベクトル性は内的抽象化という複製を強力に推し進めるだろう。抽象化された複製は、出力の機会を待つ事になる。出力されない場合には、このベクトル性はより現実の複製の前提(生物の複製の前提)を逸脱して、人格の多重化を生むだろう。抑圧の条件は主体が脆弱である事。脆弱であるとは、完全性のレベルが高い事。すなわちフラクタル構造的性質を持っている事。ストレス耐性が弱いということになる。完全性のレベルが高いとは、内的表象に対して速度を与えられない事。これは発達特性ということになる。
人格は類型的性格の集合だ。類型的性格はベクトル性別の人格に相当し、同時的に動いている。原始的である程、高密度だ。高密度を時空展開すると、短周期となる。原始的ベクトル性は短周期であり、熟考型ではない。衝動型だ。そして、このベクトル性は同一性を求めるので短周期に反応する。短周期の表象に反応する。短周期であるとは高密度であるということだ。高密度性は、欲望の対象が持っている。欲望の対象というものを考えれば、高密度のものがいかなるものかを特定できる。高密度であるとは、不確実性が小さいということだ。密度要素間の間隙が小さい。これは観念的である場合もあるし、物質的である場合もある。物質的である場合には、知覚がその高密度性を教えてくれる。音は、高密度性を分かりやすく表現する。たとえば短周期のリズムは衝動性をもたらす。また周期性は連続音だけでなく、パルス的(純粋パルス音は存在できない)であっても、それ自体が周期を表現する。音は密度の密度...を延々と表現できる。
ベクトル性人格が高密度で構成されている場合には、密度間に速度を与える事ができない、という性質を表す。