昨晩、佐々木君との会話が琴線にふれた「昔、広瀬通りにラインゴールドという洋食屋さんがあってね、小さい頃そこへ叔父によく連れていかれたもんです・・・」なんとこの私も父に連れて行ってもらった、その一人である 昔はファミレスなんてなかった時代、恐らくどこの地方都市にもある、今夜は久しぶりに外食というこうか~なんてときに向かう洋食屋 こじんまりとした、でも品格のある静かな店内、そして初めて銀のナイフとフォークを使ってドキドキしながら食べたはまじまりだったと記憶する シェフのお薦めのドミグラソースの味は、側頭葉のどこかに残っていると思うが 私の子供たちにはそんな懐かしい味があるのだろうか 餃子の王将か大阪のたこ焼きか・・・まさかマックのハンバーガーだとしたら大変申し訳ないことをしたかな 朝に、二郎さんからお借りした「魚柄の料理帖 人生楽しく食べること」という本の中にあったトンコマキャベツというメニューを作ってみたらなかなか旨かった やはり母の口癖のように、料理は子育てと一緒 手間と愛情をかければ良く仕上がる・・・である 今の時代、子供にテレビやゲームを観させておけば時に忙しい母親には楽であるが、昨日の河北に怖い記事が「テレビを見過ぎると、脳の機能の一部が低下し、年齢相応の発達が遅れる。感情が乏しくなり、笑顔も消える。 携帯やインターネットも同様で大人の場合認知症を速める。」週に一度くらいは、テレビのない時間を、おいしい時間をつくること それはひとがひととして生きてくうえでやはり一番たいせつな時間なのかもしれない 遠い昔がいつもそうであったように



勝山公園の木々は、今年も見事に色づいてきましたねぇ 幼い頃はここでよく遊んだし学生時代は時間を忘れて友と語り合ったところであるが 昔から美しい衣替えを何度も繰り返していたのだろうが誠に残念ながら全く気がつかずに生きてきた自分を悔やむ 人生も中盤を過ぎるころになると、いままで見えなかったことが見えてくる 通り過ぎた沢山の人たちのやさしさも然り・・・ 石井やで菓子パンを購入したら藤崎チーズ売場の藤本さんからお呼出、すぐに向かう 賞味期限切れのチーズを沢山いただいたのでお返しに菓子パンを 別れてフォーションに立ち寄りまた菓子パンを購入したらみゆきさんからお呼出、すぐに向かう 菓子パンをふたりで分けて暫し雑談していたら中野ちゃんからメディアへのお呼出、すぐに向かう 満面の笑みの雪ちゃんがお出迎え 1階のカフェでお茶してさっき頂いたチーズを御裾分けして別れると外は木枯らしが吹き始めていた 今晩はまた御裾分けの予感(笑) 酔っ払いがちゃんと家に帰れる「帰巣本能」のごとく 人間は大人になってから様々な処で様々な経験を積んだのち、いつしか自分が生まれた街に知らぬうちに引き寄せられるのではないだろうか・・・ 野外美術館のようで美しい定禅寺通りを眺めてそんなことを想った 
朝から調子がいい ロッテが勝ったからではないけれど 家の用事を済ませて急ぎ二郎さんのところへ 二郎さんがクマに食べられてないかを確認するためにである(笑)昨日二郎さんは岩出山へ、そこから熊出没注意の山をふたつ越えた蕎麦もみじ野へ 薦めたのはこの私である お店は営業中、二郎さんは無事であった あの山路を往復二時間も歩かれたそうである 秋晴れでとても気持ちのよいハイキングだったと 同じころ、私たちは会津の街を歩いていた 小学校の遠足以来の鶴ヶ城を暫し眺める いまでもお土産の木刀は家にあるけれど私の記憶の中にその姿は見つからなかった そして以前にもお邪魔した若松食堂に寄り、名物ソースかつ丼と餃子にチャーハンに肉野菜炒めを食べて呑む ご近所にこのような食堂があったらいいのになと思うこのごろ 酒も回ってあっという間の福島まではウェイティング すっかり日も暮れた福島でホッピーで締めくくる晩秋の旅・・・今年も終わりに近づいている 昨晩、夢の中に元気な父があらわれて一緒に酒を交わした トランヴェールの伊集院さんのエッセイにこんな言葉をみた「哀しみにも終わりはある」