JRの復興支援商品のひとつ 仙台・東京間5000円の人気かしらん、行きのやまびこは満員御礼だったけどいつものスタイル(フランスパンに赤ワイン)で江戸入りする 相変わらずのひと・ひとでごった返す東京駅構内を迷子になりながら東海道線に乗継、横浜のルミネまで 茂木先生の朝カル「脳を活かした英語上達法」の講演に参加する 始まるまでぼ~っと外を眺めると遠く海が見えた もし今津波が来てもここは8階だから大丈夫かな・・・ 未だ震災の恐怖は消えていない 久しぶりの茂木さん、汗を拭きながらまずは「BLACK SWAN」から切り出す むかし西洋では、白鳥と言えば白いものと決まっていた そのことを疑う者など一人もいなかった ところがオーストラリア大陸の発見によって、かの地には黒い白鳥がいることがわかった 白鳥は白いという常識は、この新しい発見によって覆ってしまった・・・「ブラック・スワン」とは、この逸話に由来、ほとんどありえない事象、誰も予想しなかった事象の意である 著者タレブは、2000年もの平和が崩れたレバノンの出身 現在の人類は抽象的なことを理解する力に欠ける 我々には文脈が必要である 無作為性と不確かさは抽象概念である 我々は起きたことを尊重し、起きたかもしれないことは無視すると警告 茂木さんはここで今回の大震災に触れる 日本はもともと翻訳文化ゆえ創造性に欠ける 英語は重要だが今さら単語の丸暗記に時間を費やすなんてナンセンス 愉しくなければ意味がない(脳科学ではエピソード記憶というそうな) 英語ができることがそんなにすばらしいのですか?そうじゃないでしょう!(といっても彼の発音は流石だったけど)結論、英会話にしろ何でもまずはやるしかない・・・のであるが、 我々は学んだはず 貴重な時間大切な人生というものを 英語を学ぶことがより自分自身を磨き、より豊かに生きることに繋がればと締め括った 以前どこかの教授の脳トレをばっさり斬った茂木節は顕在のようである この私は、よーし今年こそ、赤毛のアンの原本を読破しようと決心できただけで満足 

帰り道東西線に乗継、吉田類さんの酒場放浪記で取り上げられた木場の「河本」という酒場へ立ち寄ることに 開店の4時を少し過ぎただけなのになんと満席 感じのいい常連の方々が席を作ってくれて無事、ホッピーとお薦めという煮込み(玉子付き)にありつけ幸せな気分 店内いたるところにゲゲゲの目玉オヤジが飾ってあって思はずわらってしまう こんな昭和なお店が仙台にあったら毎日らんらんとスキップして通うだろうな~ ところで昭和21年創業の老舗を切盛りする女将の眞寿美さん(みなさんそう呼んでました)は何歳なんだろう?いつまでもお元気でね お隣のご夫婦と会話が弾んで酒もすすむ私 閉店は7時、たった3時間の営業とは驚き 「お会計は12です!」 1200円ということらしい、全く呆けていない眞寿美さん(笑) 有難うございました 御馳走様でした 店内に素敵な日本語が飛び交う それでは雨の中を、門仲まで散歩してもう一軒行ってみるとしますか・・・   

「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。よどみに浮ぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しくとゞまりたるためしなし。世の中にある人とすみかと、 またかくの如し。」いいですね~大好き、この一節 鴨長明の描く無常感は私がお店を営む上でのSOURCEともなった そんな方丈記に「元暦の地震」という章があるのを御存じ? 時は1185年、今から約900年ほど前の都(京都) とんでもない大地震が起こった その恐ろしい様子は、この世のものとも思えなかった 山崩れが起こって土砂が河を埋め、海が傾いて津波が陸に押し寄せた 大地は裂けて水が噴き出し、巨岩は割れて谷底に転げ落ちた・・・と綴られている 千年の時空を超えていま再び地は唸った 人の世の儚さをあらためて痛感する 科学の進歩に驕らずに自然の脅威を過去の歴史から学んでいれば、想定外という言葉を軽々しく口にすることもなかっただろう 未だに東電から海水注入の報告はなかった、あった、などと政府は本気で復興を考えているのか情けない限り この震災を通して様々な人間模様を垣間見た 先日お会いした小学校の先生はクラスの四分の一の生徒が県外に避難したと嘆いておられたが もし、わたしの子供がまだ幼かったら、大阪の知り合いのとこへ身を寄せるのだろうか・・・ そして災害ボランティアに参加した東京からの友から「人生観が変わりました 昨日、奈良・薬師寺執事 大谷徹奨(てつじょう)師の講演会に参加してきました 今ここを共に生きる事の不思議さ これをよっぽどのご縁というそうです あなたの後ろにある目に見えないけど脈々と引き継がれた命と 私の後ろにある目に見えないものが出会う、ご縁に感謝を」

そしてもうひと方「復興には30年かかると言われています。それにはまず、瓦礫を片付け、居住の確保、そして、仕事です。と同時に、小中学校の確保、道路、橋、堤防、港の建設。再建しなければならないものしかありません。気の遠くなる道のりです。そこで、私も含めた私達が30年かけて出来ることがないか、考えてみました。答えは、簡単でした。復興に関心を持ち続けることで、30年間支え続けること。生意気言ってすみません。具体的には、特定のエリアを決め、関心を持ち続けるのです。自分と関連がある市町村やエリアなら最少のエネルギーで長続きするでしょう。ヤフーやGoogleのお気に入りに登録する感じで、気になるエリアを一つ決めるのです。ラグビーが好きなら釜石。ワカメで有名な南三陸町。あるいは、旧姓がらみで南三陸町もいいですね~お鮨が好きなら赤貝で有名な名取市閖上地区や塩釜。中華が好きならフカヒレの気仙沼。ジャイアンツファンなら陸前高田。その地域に関心を向け名物や酒蔵を調べ、罹災してなければ少し購入し、罹災していたら励ましの手紙を書いたり、販売できるようになったら一緒に喜んだり・・・。有名出身者を調べたり、義援金を振り込んだり、必要とされている救援物質を送ったり、などなど。地域を絞ることで、出来ることがたくさんあります。また、復興の僅かな変化やプロセスを肌で実感出来ます。しかも自分の関心事に近い部分と関連がある地域なら、簡単、長期、継続、愛に溢れたフォローが可能です。名づけて『お気に入りオペレーション』復興支援には、我々のような被災地以外の人間の長期継続フォローが必要不可欠です。皆さんも、ぜひ何処か一つの市や町をお気に入りにしてみて下さい。継続フォローするために色々調べてみてください。そして、そのお気に入りに選んだ地域の良さをどんどん周りの人に宣伝してみてください。さぁ、長期に渡る復興支援のスタートです。」前のブログで御紹介した、あの彼の言葉です 私は生きることの本当の意味をほんの少し齧ったような気がします 震災の夜、寒さに震えながら母と抱き合って夜を明かしたこと 翌日灯った電気のあかるさ、数日後蛇口を捻って出たお水、一ヶ月後のガスの再開でやっと湯船に浸かったあの感動・・・忘れちゃいけません そして ひとは共に支えあって生きていくのだということを

お店を始めてから一年過ぎたころと記憶する 看板のない真っ黒の扉をガッ!と開けて生意気そうな男性が入ってきた その時、カウンターには夜勤明けの看護師の女の子たちが仕事の疲れを一杯のビールで癒していた 咄嗟に私は「ここのお店にはルールがございます まずは現金払い売掛なし 私も含め皆様お名前で呼び合います(要はママと呼ばれたくない)また、お隣の方に話しかけないこと(女の子たちに絡まないようにと)これが守られなければ退場となりますが・・・」彼は大人しく〆の酒を呑んで帰って行った 無愛想に接したにもかかわらず、翌日もふらり現れていつしかお店の大切なお客様となった しかし、数ヶ月後転勤で仙台の地を離れてしまった あれから10年・・・お店に突然その彼が現れた 損保会社の彼は、今回の震災の応援部隊で急遽二週間仙台へ入ることとなり、昔の仲間にこの店の移転先を訪ねたのだという なんとも嬉しい限り 聞くにT海上の地震保険の査定部隊は1500人、その数に驚く 大型バスで何時間もかけて各被災地へ入る その移動時間を利用して査定の研修を行う(これこそ想定外の震災故、専門の査定員だけでは足りない) 宿泊はホテルではなく各支店の会議室に雑魚寝だそうな 千年に一度の震災、保険というのはこの時のためにある ここでお役に立たなければとの熱い思いが伝わる 査定は一日3件から4件が限界 へ~そんなもんか?とおもっていたが 本日、実家の査定に立会い、納得 雨の中を泥だらけになって、軒下から屋根から家全体を丁寧にチェックすること約一時間 そして何枚も写真をとりすぐに本部へ転送(携帯が大活躍) 本部からの回答後、書類を記入し終了 都市ガスの開旋のときも「大阪ガス」の方が回ってこられ「がんばりや」と懐かしい大阪弁を聞いたときじんと胸が熱くなった メディアには映らないけれど沢山の方々の支援応援のお陰で、少しずつ少しずつ復旧と共にこころの悼みもやわらいでいくのだろう 「いつかまた会えることがあれば・・・」と、私の査定を最後に彼は仙台を後にした 昔のちいさな出会いに感謝である 俳優の松尾スズキさんは新聞のインタビューで、今年50歳になり今頃になってやりたいことが増え逆に年齢が足りないと語る 先日50歳のお誕生日を迎えたアンディは、やっと折り返し地点?と余裕をかました それぞれの大切な時間・・・ そして生きていれば、また懐かしい仲間と再会すこともできるのだ 必ず、いつかまたお逢いしましょう