今、障がいを持った子供達へ、iPadの講習会を各地で開催している。ITは日進月歩、そして未来を生きる彼らにとって今後不可欠なもの。FaceTimeという機能を使えば電話代は無料!しかも、映像はとってもクリアでキレイ!極端な話をいえば、ずーっとつなげた状態でもお金はかからないので、孫たちが遊んでいる傍らで、通話をつなげておけば遊んでいる様子なども遠く離れた祖父母が眺めることができちゃいますね…これは、MacStoreの店員さんの営業トークである。CDや書籍を購入したければ、今はAmazonでなんでも揃う。カード決済で翌日には家に届くという便利な時代となった。流行りのケーキ屋に立ち寄ればショウケースは空っぽ。店頭販売は開店から一時間で完売するという。ホームページに今月のケーキを紹介してますので、前日までに予約いただきたいとあっさり言われた。私の周りには、パソコンができない、予約したくてもホームページがみれない人たちが存在するのだが。それゆえ、私達のようなパーソナルサポートのニーズもあるわけで。しかし、パソコンも携帯もないウエットな時代に育ったものとして、現代のスピード・変化・自由といったドライな感覚に、スティーブン・キングの小説「IT」(読みはイットだけど)に漂う静かな恐怖感さえ覚える。心が置いてきぼりにされたような… 寂寥感は否めない。 ある脳科学者の、脳と心のお話の中に、「心は脳がつむぎ出すもの」「心は脳の内的現象」との解説があったが。 対して、森のイスキアの佐藤初女さんの言葉が思い出される。私たち人間は地球上のいろいろな「いのち」を食べて生きている。食べるもの、すべてが生き物である。「いのち」が「いのち」を食べている。おいしい食は心を開く…と。そして、そんなおいしい食の場に欠かせないひととの触れ合い。先日、生後6ヶ月の赤ん坊を抱えた娘と、今にもはち切れそうなお腹を抱えた娘と三人でアウトレットモールへ。久しぶりに親子で買い物をし食を愉しんだ。ゆっくりと回るゴンドラを前に、心が満腹になったのは言うまでもない。
現金は占有者が所有者となり、社会の中を流動する。一方、絆や、つながりは、育むもの。たとえ、友だちを「支給」しても関係性がなければ意味がない。「健康で文化的な最低限度の生活」が人とのつながりを含むとしても、そのつながりを育むのは心のこもった時の流れなのだ…とは、科学者でもある茂木さんの呟きである。人類の平和のため科学の分野はその専門家に託して、出会いから出会い、それがまた次の出会いへと。私のmissyonnは、心のこもった空間を大切に育てていくこと。昨晩も今夜も旨い酒を交わしながら。
私が前職でお世話になり、敬愛しているお姉様の娘さんは、三越のデパ地下で働いている。10年前はまだ見習いって感じだったけど、恐るべしDNA、今ではフロアのリーダー的存在のようだ。今日も、バッタリ!
お母様はお元気?母は今、船橋におります。何故に船橋?
早速、お姉様に連絡を入れると、何と日本語学校の講師養成短期集中講座に通うため、三ヶ月間学校の寮に入っているという。数ヶ月前に鳴子温泉バスツアーでご一緒したばかり、その時には学校の話など何もされてなかったが… 今月末に仙台に戻るということなので、その時にゆっくりとお話をお聞かせくださいと言って電話を切った。年齢はフィクションである、が口癖の彼女であるが、還暦を過ぎてもそのパワーは増すばかり。どんなに頑張っても、彼女を越すことはできないが、人生の大きな曲がり角の時に彼女に出会えたことは実に幸運なことだった。お陰様で弱音を吐かずにここまで生きれた。
今日も、未だ退院できずにいる娘のところへ顔を出す。お母さん、聞いて~。小中学校一緒だったキー君がね、漫才でデビューしたんだって!キー君は、娘の親友と結婚してすでに一児の父親でもある。はて、漫才でデビューっていう話はどこかで聞いたな?思い出した!お店の重鎮なお客様であり、私の憧れのお兄様でもある、木島先生の息子さんの話。そこで、私も娘もあることに気がついた。何故に今まで気が付かなかったのか。なんと、娘の仲のいい同級生キー君と木島先生の息子さんは同一人物だったのである。あの破天荒なDNAを受け継いでいるキー君なら、いつしか頭角を表すことだろう。しかしである。その昔、子供達の入学式や卒業式では木島先生とすれ違っていたわけで、小学3年の時には同じクラスだったというから、笑っちゃう。どこか嬉しいですねと、木島先生。縁は異なもの味なもの。世間は広いようで狭い。みんなどこかで繋がっている。知らないふりをする方が難しいね、と馬場ちゃん。悪いことしても、必ず捕まる… それは別の話か。ともあれ、あっという間に時は流れ、子供は育ち、次世代のネットワークでまた絆が絡まり合う。来月には娘にそっくりな次次世代を担うモンスターが娑婆に現れる。なんとなくワクワクする。
週末からお天気マークが続く。生後3ヶ月からの赤ちゃんも大丈夫やでという、肌に優しい日焼けどめローションを入手した。手遅れだろうが、毎年夏になるとクッキーフェイスだね、などと言っていられない歳になったからね。そこで安心して広瀬川の河川敷をすっぴんで散策して木陰でお茶もできる。いや、お酒でした。夕方から恒例の女子会。この世に生を受けてから半世紀以上波乱万丈を生き抜いた奴らはそれぞれに面白い。そして一同に会するとき化学反応が起こり新たな「はなし」で輝くひと時。かつて日本に宣教師が来たときに驚いたのは、民度の高さ、識字率の高さだった。お坊さんの教養の高さに打ち勝たなければキリスト教を布教することはできないだろうと考えられたそうである。しかも女性の教養が伝統的に高いことが特筆に値する。紫式部、清少納言の頃に、日本はすでに女性が文学の歴史に関わっていたし、今以上に社会へ参画していた時代もあった。いつの時代も女性の方が熱いと思う、のは私だけだろうか。しかし、私の娘のように出産、育児で女性は暫しの間フリーズされる。現場復帰を焦る日々。私も彼女たちも同じ気持ちを味わってきた。改めて、普通に出産し、普通に育てることの難しさ、他の家族や社会との関わり方、人生の不確実性を受容できるか否か。でも、目の前の素敵な彼女たちを見ていると、その経験があったからこそ、今人間としての深い味を出しているのではないか、とも思える。それは長く熟成されたビンテージワインのように回りを酔わせる。誰しも平等の一日24時間、その使い方はそれぞれに異なる。そして力学同様、情熱は熱い方から冷めた方へ伝わる。物の断捨離だけじゃなく人の断捨離も時に必要なのかもしれない。そんなことを考えながら、怪しい深夜営業のタケダに髪を切ってもらう。ちょっとだけ…のはずが、私の海馬に残っている記憶の中で一番ショートヘアーとなった。理容と美容両方の資格を持ちながら、普段はおっさんの髪だけを扱っているからだろうか。ロングヘアをバッサリ切る機会などそうあるまい。その夜のタケダはアーティストだった。まぁ、髪はまた伸びるからね(伸びない方ごめんなさい)不思議なことに、髪型を変えると、どこか性格まで変わるような気がするのだ。結論、過去と他人は変えられないが、明日と自分は変えることができる。この夏は水泳でもやろうかな。髪も短くなったし。太ったし。そういえば、炭酸ジュース好きの強い味方と言われたカロリーゼロのダイエット飲料、残念なことに人間は甘いものを摂取すると脂肪を蓄えるようにできているらしい…藤本先生より。