K2は世界でも最も難易度が高い山の一つで非常に多くの人間の命を奪っています。それにもかかわらず,彼らのリスクテイキングは社会的に認められています。一方で,K2登山よりリスクがはるかに低い「富士山弾丸登山」は批判されます。

これらを分かつものは一体何でしょうか?少なくとも「(命を落としたり怪我をする)リスク値のみで線引がなされている」わけではないことは明白です。

 

つまり

・我々の社会は,何らかの条件(要素)によって,許容するリスクの値を変えている

ということになります。

 

今回の比較では,どちらも登山です。

・技量はK2登山に挑む人の方が高く,かけているリソース(時間や費用)も遥かに大きいでしょう。

これが理由でしょうか。つまり(トレーニングや経験も含めて)かけているリソースが大きいほど,許容されるリスクが大きくなっていくということでしょうか。

これが正しければ,ある程度(とはいえK2登山準備未満)のトレーニングや準備を積めば(そしてそれを証明できれば),「富士弾丸登山」も許容されるのでしょうか。

 

いずれにしても,リスクの値以外を判断基準に入れているなら,それを客観的に記述できないと思わぬ不幸を生みそう。