鈴木はどのようにイチローになったか 安打記録の陰に日本の経験 | ビジネス人間学

 米大リーグ(MLB)マイアミ・マーリンズのイチローが米国でプロ野球選手としてのキャリアをスタートさせていたら、どのような記録を打ち立てていたかを想像してほしい。

 2001年に27歳でシアトル・マリナーズに移籍するまで、日本の9シーズンで1278安打を記録したことを考えると、可能性は果てしない。比較してみよう。大リーグ通算安打記録を持つピート・ローズが27歳までに記録した安打数は903本だ。現役の好打者であるアレックス・ロドリゲスは27歳までに1257安打を放った。

 21日時点でメジャーでの安打数が3000本まで残り「4」となっている42歳のイチローだが、もし日本で10年近くプレーしていなければ、メジャーで4000本安打に近づいていたのはほぼ確実だろう。4256本というローズの記録にも迫っていたかもしれない。

 仮定の話に興味を持っていない人物はイチロー本人だ。

 イチローはインタビューで、自分が自分の経験の産物でしかないと述べた。また、日本での経験がなければ今の自分はなかっただろうとし、米国にもっと早く来ていたら安打数が増えていたと考えるのは的外れだと指摘した。

 イチロー自身と、日本で彼を観察したり一緒にプレーしたりした人々にとって、これはゆがめられた仮定であるだけではない。彼らによると、日本での9年間は、才能はあるが小柄な有望選手をスーパースターに開花させるカギとなった。イチローは野球には自慢げな米国人に非凡な流儀で挑む自信があった。

 高卒ドラフトでプロ入りした後、イチローは有望選手の一人として春季キャンプに参加した。打席でのイチローは他の大半の選手よりも大きく投手寄りに体重を移動させ、時にはバッターボックスからはみ出てしまうこともあった。当事の打撃コーチだった新井宏昌氏は、イチローの一風変わった打撃スタイルをもっと理解してやりたかった。

 練習メニューの一つだったトスバッティングをしていた時、新井氏はこの若者が何かを持っていると確信するようになった。

 新井氏は当事のイチローの特異性を指摘し、その本質を理解しようとしたと話した。同氏はトスのテンポと位置を調整するという実験に打って出た。大半の選手は素早い調整を求めるためこうしたトスを見逃しがちだが、イチローはあらゆる球をスイングし、ほぼ全てのトスを芯で打ち返したのだ。

 新井氏はトスのスピード、位置、タイミングは問題ではなかったと語る。同氏によると、大半の選手はボールを見ようとするが、イチローはそれを打とうとするのだ。

 その後、新井氏は監督に対し、このひょろりとした若者にはもっと華やかな名前の方がふさわしいと進言した。ユニホームには「SUZUKI」の刺しゅうが入っていたが、これは米国では「スミス」と同じ位ありふれた名前だ。イチロー本人からの提案はほとんどないまま、チームは登録名を「イチロー」に変更した。

 オリックス・ブルーウェーブ(現バファローズ)の1軍登録選手として初めてフルシーズンを過ごした1994年、イチローは当事の日本プロ野球記録となる210安打(130試合)をマーク。また、打率も3割8分5厘と、当事のパリーグ記録を打ち立てた。

 福岡ダイエー(現ソフトバンク)ホークスの監督を務めていた王貞治氏は、イチローのオリックスと1シーズンに20試合以上対戦する機会があった。王氏によると、投手はイチロー対策としてさまざまな戦略を試したが、イチローは独自の対抗策を展開したという。

 王氏はイチローがシーズン200本安打で選手としてのキャリアをスタートさせた点に言及。イチローが20歳の時にはすでにあらゆる対戦相手が彼をマークしていたと話した。ただ、現実的には高い技術を持つ打者に単純な戦略は通用しないとも、王氏は指摘した。

 オリックスでイチローのチームメートだった田口壮氏は、イチローがアプローチと準備の面で揺らぐことはなかったと語る。

 MLBでもセントルイス・カージナルスなどでプレーした田口氏は、イチローの最も印象的な資質として自分の信念に確信を持っていることを挙げた。田口氏は、イチロー自身がどんな状況でも自分を変えることを許さないため、誰も彼を変えることはできないと話した。

 田口氏は、日本で10年近くスター選手として活躍してなければ、イチローが米国で変化を求める圧力に抵抗などできなかった可能性を示唆。同氏によると、日本での経験が試合に臨む際の並外れたアプローチに対する信念を固めたのだという。

 イチローは正しいのかもしれない。間近に迫った3000本という記録に、あと何本のヒットを上積みできていたかと考えるのではなく、単純に彼の生み出してきた3000本を楽しむのがベストなのだろう。

 (筆者のブラッド・レフトン氏はセントルイスを拠点に活動するジャーナリスト。日米野球をカバーし、この記事では日本語でのインタビューも行った)

By BRAD LEFTON