長らく入院していた母が2日前に退院してめでたく家に戻ってきました!手術も入院生活も乗り越え無事に家に戻れて本当に良かった。私は母の退院の直前直後にすることが本当に多くて自分の時間が持てたのがようやく今になりました。
今回の帰国で実感しているのは高齢者に対する医療そして地域包括的サポートの手厚さです。母は過去の手術の後遺症で片足に重い浮腫があり、そのせいで非常にバランスが取りにくく、老化と共に近年度々転倒するようになっていました。前回私が里帰りした時には胸骨を骨折、その前は頭部挫傷で11針、そして今年11月の上腕骨折です。
「必要になる日に備えよう」との思いで5年ぐらい前にアメリカから京都の地域包括支援センターに電話して、エリア担当の方に実家への訪問のお願いをしたことがありました。しかし、一人住まいで用心深い母がその方に会うことはなかった😂 母が骨折し始める前から転倒の予兆を感じ取っていた私は里帰り時に同じ事務所にもう一度連絡して今度は私がいる間に母と一緒に面談することに。その時に来てくださった方は“ケアマネ道”を極めておられるベテラン女性でそれはそれは見事に母の主治医と連携して介護保険を最速で取得、当時の介護認定は要支援2でした。それが度重なる転倒と浮腫の悪化で入院前には要介護3までアップ。
要支援と要介護のそれぞれに担当のケアマネさんが決められているので私が面談させていただいた方とは別の女性に代わっていました。母の退院直前の病院での説明会では病院側からは看護師さん、理学療法師さん、退院コーディネートの方が出席されて、母の現状説明と退院後の注意点などのお話がありましたが、そこには母のケアマネさんも出席されて大切なことを直接聞き取ってくださるシステムでした。母が入院していた病院はケアマネさんの管轄エリアから大きく外れているというのにわざわざ出向いて下さって。
それだけでもアメリカのシステムしか知らない私は感動ものでしたが、退院翌日にはそのケアマネさん主催で母がお世話になっている訪問介護の方々、福祉用具レンタル会社の方、通所リハビリの代表者の皆さんが実家に集い、「何をどれだけ、いつからするか」についての検討会を実施。皆さん玄関を上がって応接間に入るや否や「綺麗になりましたね〜!」と歓声を上げられます。色んなもんが散乱していた家を連日片付けた甲斐があった!
そうそう、退院当日には福祉用具の方が手押し車と段差解消グッズも持ってきて下さっていました。その日、私は母が気持ちよく帰れるようにと朝一番から最終の掃除や整理整頓をしていたのでエプロン姿で化粧っ気もなし。福祉用具の方は私のことを「家政婦さんやと思ってました〜」ですって〜 あんまり母と顔似てないからなぁ。。手押し車の選定までしはる、やり手のミーナ家政婦です
カタログで見つけて依頼しておいた段差用カバーもスッキリと取りつけて頂きました
ケアマネさんは検討会があった退院翌日の午後に主治医の訪問診察まで手配されていて、母はもう興奮状態に!その先生には母がまだ通院できた頃、付き添いで二度ほどお会いしたことがありました。先生は私のことを覚えておられたようで、兄と母もいるのに私ばっかりに話されます。お帰りになった後、母は「あの先生はいつもほとんど喋らずさっとお帰りになるのに今日は全然違った。アメリカとかお好きなんやろか?」って、、そんなことは全然関係ないでしょう 私が母のことをとても心配していることをきっとご存知なんです。だって「娘さんが日本にいる間に〇〇や△△もしておいたらいいと思いますよ」と色々教えて下さったのですからね。
世界広しと言えども、高齢者を守る為にここまで医療・福祉の各部門が連携できる国は少ないと思います。アメリカでもホームヘルパーを病院の紹介で雇うことは可能です。でも、それには費用がかさみますし、介護保険があって国が多くを負担してくれるようにはなっていない。そもそも国民皆保険がない国ですしね💦 土地の広さも相まってお医者さんによる訪問往診なんてほぼありません。ただ義父母のところへ理学療法師さんの訪問はありましたけどね。
ほんまに、、アメリカは「国民皆無保険」 オバマケアーで改善された点もありますが、基本的には各自が保険会社を雇用先から又は独自に選ぶ方式です。無保険の人が医療機関にかかると破産してしまうことも!一方、国に仕えた軍人とその家族には手厚い健康保険の補償があるのもアメリカ的かもしれません。
さて、そんな手厚い日本の制度ですが、母は私がいるから色んなことをしばらく休む決断を。。
その時にはそれが何を意味するか、私は全く分かっていませんでした
次回に続きます。