引っ越しは無事に完了し、最後のミッションは娘の必需品を買い込み、アパートまで運び入れること。あとは注文しておいたベッド、ソファー、等身大の鏡などが配達され次第、組み立てることである。
ところで母娘の北欧ショッピングをホテルで待つことにした夫はこんなことをつぶやいていた。「僕はお店じゃなくて、ここのJapanese Gardenに行きたいなぁ~」
そんなのがあるなら私も行きたい!引っ越しは無事にできたから是非行きましょう!!
ということで娘の必需品を買いに行く日の朝にホテルからタクシーで約20分の日本庭園に到着した。
カンカン照りの暑い日だったが中に入ると道沿いに木陰が張り出していて樹木の「お陰様」なのだった。入ってすぐのこんな光景が何年も京都に帰れていない私の心を揺さぶった。
この入り口付近の灯篭を見るだけで、このお庭はきっと素晴らしいのだろうと見当がつく。これらは「もどき」ではなく、日本から運んで来たものだって分かるから。
どうやら回遊式庭園のようで、奥行きがあって広大だ。広さはアメリカの特権のようなものだけど空間が間延びすることなく日本庭園を構成する池や橋、それに藤棚、滝、石なども見事に配置されていた。
庭園の一番奥の築山に大切に置かれた灯篭にはシアトルの姉妹都市である神戸市から贈られたものと記されていた。そういえばどちらも港街ですものね〜
この庭園にはお茶室まであって普段はお抹茶がいただけるのにコロナで中止なのが何とも残念!今は立ち入り禁止になっていてお茶事の客人のための「待合」風景だけが道から見えた。
お茶室は資材も職人さんも全て日本から海を越えてやって来たそうでとても本格的。日本をぐっと近くに感じて、視覚的には日本にいるような錯覚に陥った。
さらに行くと右手に滝があり、大きな石の間を清流が静かに池の方まで流れていた。
上を向いて立ち止まっている夫の視線の先にはこんなものが。。
三羽寄ってしばらく居たけど「文殊の知恵」でも生まれたかな?
お庭の最後に展示室があり、この庭園制作が如何に大きなプロジェクトだったかを知る。プロジェクトの発案は1937年という古さだが実際に活動再開したのは1957年ということなので、おそらく第二次世界大戦で中断されたのであろう。
委員会を作り、造園費用の試算や資金調達を進め、在シアトル日本総領事に計画書を提出したのは地元の植物園から任命を受けたニール・ヘーグ婦人という方。総領事はすぐさま日本の複数の都市に援助を要請し、これに真っ先に名乗りを上げたのが先の神戸市で、美しい灯篭を二つ寄贈した。
時を同じくしてシアトルの植物園を訪れていた東京都立公園事業部の森脇氏は日本庭園予定地を目にして協力を申し出る。そういう経緯で茶室は東京都が担当することになったそうだ。
3エーカー(約3700坪)もの広大なお庭には600もの石が配置され、日本から景観設計家が数週間滞在して陣頭指揮を取った。その作業や橋を作る様子が興味深い。
造園に関わった人々の名前が出てくるたびに手を合わせて感謝したい気持ちになった。けれど説明の最後にびっくりするようなことが書かれてあった!
This charming garden was made possible through the generosity of one anonymous individual and his wife, living in the Seattle region, who bore a major part of the cost.
この魅力あふれる庭園はある匿名希望の個人とそのご夫人の寛大なる寄付を通して完成に至った。シアトル在住者であるこの夫妻は費用の多大な部分を負担した。
か、かっこいい!!
これだけの立派なことをして匿名希望というのはこちらの文化としては大変珍しいこと。
お名前は存じませんが、生まれ育った京都で数々の名庭園を見てきたはずの私もアメリカにいながらにして一瞬ふるさとに帰れたような、そんな心休まるひと時を過ごせたことに心から感謝の気持ちで一杯です。
1075 Lake Washington Blvd E.
Seattle, Washington 98112
(206) 684-4725
シアトルには他にも立派な日本庭園があるそうでいつか訪ねてみたいです。戦前に日系人が多く住んでいたところには日本文化を継承する貴重なものが残されていますね!