ミネアポリスで起こった白人警官による不当な黒人市民への残虐行為がニュースで流れたその日、私はアメリカに引っ越した翌年に起こったロドニー・キング事件のことを思い出していました。
それはロサンゼルスで起こった大暴動ですが当時住んでいたシカゴにも飛び火して外出もままならない非常事態へと進展していったのです。この暴動の理由も今回と同じような黒人に対する白人警官の過剰な行動で、1991年にスピード違反した黒人男性ロドニー・キングの逮捕時に警官4人が凄まじい暴行を加えた様子の映像が発見されたことに端を発しています。
しかし暴動は事件発生から一年後の1992年に起訴された四人の警官が無罪になったことがきっかけでした。その評決はアメリカに来てまだ数年だった私の目にも明らかに理不尽で、瀕死になるほどの暴行がなぜ無罪となるのかに大変驚いたのでした。
これに比べて今回の事件は逮捕された該当警察官の刑事的評決を待たずしていち早く抗議行動や暴動が起こっています。それにはこれまでの度重なる種々の人種差別事件へのいらだち、そしてロドニー・キング事件当時にはまだなかったSNSによる広範囲の映像の拡散なども関係しているように思います。
抗議活動は今や全米に広がっており、National Guard(州兵)の出動範囲(黄色く塗られた州)もここ数日で増大しており夜間外出禁止令が出ている地域もどんどん増えています。
出典:The New York Times(6/1)
報道を見ていると平和的にデモをしている人々も多い中で、そういうグループでもだんだん怒りがエスカレートして火をつけたり投石などという暴動行為まで進んでゆくケースがあり、さらに事件に関しての抗議というわけでもないいわゆる便乗者が、これはopportunist という言葉が浮かんでくるのですが、今の混沌とした状態を opportunity (チャンス・機会)だとばかりに店舗の破壊や略奪行為という暴挙に出ているように見受けられます。
この破壊行動や略奪のシーンが衝撃的で実害が大きい為に今回の事件の意味する核心部への視点がズレていくのを残念に思っているのは私だけではないはずです。
問題は市民を守るべき警察が弱い立場で丸腰の市民を死に追いやったということで、それはジョージ・フロイドさんの首を圧迫し続けた警官は相手が白人でも同じことをしたのかという人種差別の問題です。
あの事件の4人の警官が所内に出した報告書にはなんと「ジョージ・フロイドは逮捕時に体調不良が見受けられたので病院へ搬送」となっていました。その虚偽の報告の文面を読んで私は背筋がゾッとしました。他にも余罪がたくさんあるかと感じます。
通常は今回のように映像による証拠がない場合がほとんどでしょうからこれに似たひどい案件が誰にも知られず闇に葬られているはずです。
では、なぜこういうことが起こり続けるのか。
視点を変えて考えてみるとアメリカには貧しい黒人がドラッグに溺れ、武装したギャングを取り締まらなければならないという側面もあるのですね。こういった場面では警官側に過度の身の危険が伴い、「撃たなければ撃たれる」という危機感が発生する状況です。
車を止められて職務質問を受けた、なんの落ち度もない黒人市民がポケットに手を入れたというだけで不幸にも警官に射殺された事件もありました。ポケットの中には銃ではなく携帯電話が入っていたにもかかわらず。。
犯罪に手を染める黒人人口が多いという問題そのものにも目を向ける必要がありそうです。
それは彼らの貧困生活や教育レベルの低さにも密接に関わるのですが、白人との格差社会の是正に向けてアメリカ政府が今まで取り組んでこなかったわけではありません。
実際1961年にケネディー大統領が出したaffirmative action(肯定的措置)という大統領令以来、差別や貧困に悩むマイノリティーである被差別集団に対して進学、就職、賃金、昇給への格差是正が試みられています。
米国以外の国々でも人権条例の中にaffirmative acationが含まれていることが多く、大学や就職などの合否においてマイノリティーの割合が決められている国とそういった人数枠の設置を法律で禁じている国とがまちまちになっている状況です。
アメリカでは被差別集団に属する人たちの成績や仕事上の実績が下回るにもかかわらず優遇することは法律で禁じられており、能力が同等の場合に優遇するということですから実際どれほどの助けになっているのかいささか疑問です。優遇しすぎると今度はreverse discrimination(逆差別)として白人が不利になるという問題が出てくるのが難しいところです。
このため奨学金での援助など、違う方向からのサポートで貧しくとも優秀であれば学費の高いトップスクールに進学できる道が拓けているのは良いことだと思います。それでもこういった措置で社会の表舞台に立てる人はごくごく一部の人のお話です。
先ほどニュース番組でインタビューを受けていた黒人女性の言葉が頭を離れません。
「子供たちに外ではどう行動して何に気をつける必要があるのかを教えないといけないのがつらいです。毎朝子供や夫を学校や職場へ送り出したあとで今日は無事に家に帰って来れるのかを考えない日はないのですよ。」
この言葉に全てが象徴されているように思います。
こちらは昨日の南カリフォルニアの平和的抗議集会の様子です。
差別反対デモに白人の若者が大勢参加していることに少しばかり救われる気がしました。
今日は父の32回目の命日でした。