オオタ☆ヒロユキ過去データ -126ページ目

11/7~12/2

11月7日(火)先勝・庚子・六白・除・翼・觜・立冬(太陽視黄経225°)近江神宮御鎮座記念祭・不成就日・おうし座20番星の星食(出現)・プレヤデス星団の食・水星が金星の南・おうし座(南・北)流星群が極大・小惑星リグリアが衝・P/2000C1ハーゲンローザ彗星が近日点を通過)

 紫禁城の屋根に止まる三羽の鳥。
 一羽増え、二羽増え、やがて城を覆いつくした。
 そして、紫禁城は黒い城と化し、闇夜と同化した。

 紫禁城の屋根に止まる三羽の白鳥。
 一羽増え、二羽増え、やがて城を覆いつくした。
 やがて、紫禁城は白羽城と化し、その羽根を広げて、空の彼方へと飛んでいった。(ように見えた)

 紫禁城の屋根に止まる三羽の黄色い鳥。
 一羽増え、二羽増え、やがて城を覆いつくした。
 そして、紫禁城は黄城と化し、ここに「黄天」の時。
 太平道が復興した。

 紫禁城の屋根に止まる三羽の青い鳥。
 一羽増え、二羽増え、やがて城を覆いつくした。
 そして、紫禁城は青い城と化し、蒼天の時は、再来した。

 太平道の教祖「張角」の唱えた
「蒼天已死 黄天當立 歳在甲子 天下大吉」

 その言の呪の示す「黄色」の時代は終わり、蒼天(前漢以前)の時、ここに復興す。

「黄天巳死 蒼天當立 歳在甲子 天下大吉」

 時を整理し、道を修復する。

 蒼天(木=甲寅)の時に回帰し、歴史は一へと戻ってきた。
 この大地から、きしみながら生えてくる木々。
 そこから、あたらしい花が咲くだろう。

 それは、太平道教祖「張角」の興した「黄巾の乱」とは違う、精神の戦い。

 美しいメロディが、黄河の上を走りわたる。

 千本の弦が、アジアの海を揺らし、三日月の先を、さらに削る。
 アジアの星の誕生を祝う歌が聞こえてくるだろう。

 「蒼天の乱」は「黄巾の乱」とは違い、武器ではなく、言葉や花、薬を持ちて、人の心へと届けていく安らかな贈り物。

 乱ではなく、一片の詩を君に。

 蒼天、赤天、黄天、金天。水天。
 五つの時代が順行し、時は今、移動を始める。
 大いなる席替えの時が。

 「蒼天」の下で、人の言葉が静かに語られる。
 憎しみとは何なのか?
 争いとは何なのか?
 広い竹林の賢者会議の時間が始まる。

 上と下は、その心持ちで席替えが成され、病む者が、黒衣を燃やす吉日が再来する。

 人の心が少し軽くなれば、それだけでいい。
 蒼い空から、教えられるもの。
 そこから、すべてが始まっていく。

 題「黄天巳死 蒼天當立 歳在甲子 天下大吉」





11月8日(水)友引・辛丑・五黄・満・軫・参・世界都市計画の日・京都伏見稲荷大社火焚祭

 再現した雌雄一対の双剣に金粉を塗り、大桑木の前に建てた祠から取り出す。
 そこに生ずる蒼い輝き。
 霊魂の飲む三つの盃を剣の前に置きて、(アジアを軸とした)歴史の風向きを三霊に問う。

 風によって盃は揺れ、黄河の如く黄色をした紹興酒は、風に翻弄されて、やがて静止した。

 これは、黄河の躍動か?
 あるいは、人の欲によりて、大河、大国が左へ右へと、翻弄されるという暗示だろうか?

 二十一世紀は、中国の時代となると予言した、数書の存在が過ぎる。
 剣を握りて、一振り。
 霊気を斬り、此岸と彼岸を繋ぐ橋を断つ。

 一仕事させた剣に、大樹の実を塗り、布を手に素早く一拭き。
 剣に、美しき花輪を掛けた後、祠へと仕舞う。

 桃の花を四方へと置くことで、結界を張っておいたこの聖域。
 四神の和するこの空域で、鳳凰の羽根を用いて織った鳳凰の羽衣を身に纏いながら、奇門遁甲における吉方位を向いて、三礼。

 再び祠を開けて、時を読む道具に、時の航路を訪ねる日である次回の節気日まで、祠の扉は閉ざしておく。
 二十四節気に合わせて揃える二十四神具。
 果たして、今後、どんな神具を手に入れるべきか。

 まだまだ祠に在る神具は、数えるほどしかない。
 雌雄一対の双剣も、形而下的に在るだけで、実態は形を成すものではない……。

 二十四節気の気を読む道具。
 季節に呼応する道具よ。
 果たして、何から集め、どう扱うべきか。
 時を読む神具。
 二十四種の神器を、我、今、探さんとす。


題「節気と呼応する二十四種の神器を探す旅。その一」



11月16日(木)仏滅・己酉・六白・開・斗・角・一粒万倍日・月が最遠・金星が木星の北・月が赤道通過
11月17日(金)大安・庚戌・五黄・閉・牛・亢・奈良談山神社例大祭・千葉中山法華経寺御会式・一粒万倍日・アルゴルが極小・小惑星パティエンティアが衝・P/1991V1シューメーカ・レビィ第6彗星が近日点を通過

 北海道の地震。この亥の五黄の月かつ太陽の蠍座入宮時期は、何と不安定な月だろうと、腕を組む。

 前回の地震の際、常陸(茨城県)の地にて、鹿島の神々が石棒(石剣)で地中に住む龍の頭を釘刺した。結果それが「要石」となり、国家の地震を抑える説に触れた私。

 そして、自前の「七星剣」を大地に刺して、それを「要石」としたものの、一角では弱いのかもしれない。
 せめて四方に剣を刺し、「要石」も四隅に配置させるのが、封じ手としてよいのではと、予見。
 水晶の四隅+中央配置と同じ論。

 北海道の四方に剣を刺すのが儀式としてもよい形式。だとは思うけれど、私は私の四隅から「要石」を形成していこう。

 住処の四方に、粗塩と米とを置いていき、中央に、塩か何かで北斗七星を描き、それを軸とす。
 そして四方に、剣を刺す。
 地脈の流れをこの空間部分だけでも孤立させ、その躍動を抑え封じる。
 脈診により鍼を打つ鍼灸師の如く。

 本来ならば、杭のように固定してこそ、即ち「要石」なるものの、儀式では、一時の応急処置。
 無論、形式復興への水脈作りとして、儀式から始めよう。

 さらに、時に応じて、北斗七星に呼応させるが如く、七つの剣を七箇所へと刺していく。

 いや、こんな案はどうだろう。
 人を(地上に描いた)五芒星または六芒星の陣の中へと立たせ、十二星座のうちの、自分の持つ星座と同じ星座と呼応させるように、剣を地面へと(星座を形作るように)刺していく。(刺しては、抜いていく)
 そうやって、個人個人が大地から受ける地熱と厄を、自身を象徴とする星座に呼応して、大地へと「要石」となる剣を刺して行く事により、厄を抑えるというスター・セラピー。
 
 チャクラに石を載せて、チャクラの状態を整えるストーン・セラピーがあるように、この新案「スター・セラピー」は、ニュー・セラピーとして、社会提示していけるかもしれない?
(五芒星H.O式新占術技法として、実践も前提に、プランを進めよう。

 占術の新案など、編み出す事は不可能に近いこの情報社会で、面白いところに、目を付けられたかもしれない!?)
 
 教科書の無い占術。まさに私の目指していた境地。
 自分は、占術家としての天性の才覚が、ひょっとすると在るのかもしれない??
 星座、易、四柱など、伝統系占術派は多い反面、独創性を追求する占術家は、きっと少ないと思う分、考えてみると私は異端な存在なのかもしれない。
 才能があるのかもと、ふと過ぎる。(朝起きれば、現実は厳しいと、醒めそうだけど……。ホント、消極的だ……。いや、自信を持たず、問題に向き合うから、占術の案が浮かぶのかもしれない。負への対策として)

 話を戻し、個々にでもそうやって、地の脈を整えていけば、地脈における陰陽の動きを、追うことも夢ではないかもしれない!?

 地球の鼓動。
 そのリズムの乱れる現代には、新しき「要石」が必要なのではないだろうか。


11月18日(土)赤口・辛亥・四緑・建・女・氏・三隣亡・水星が留・しし座流星群が極大(条件:最良)
11月19日(日)先勝・壬子・三碧・除・虚・房・高崎えびす講市・一茶忌・八専始め・しし座流星群の第2極大・水星が月の北

 十九日の明け方頃、不思議な夢を見た。

 私が占術をしている「_Yカフェ」のオーナーが祀っている店用の神棚に、強烈な光りが降臨し、次の瞬間、神棚から、力強い光りが放たれた。

 その後光の如く輝く光りの輪の神々しさに圧倒されてしまった私は、ただただその光景の前で放心状態になり、約一分強ほど続いた光りの宴の終わり頃、何なんだ、今の光りは、何の暗示なのか?と飛び起きて、考え始めた。

 まさか、天照が、店に訪問にし来たのか?
 と、昨日までやや灯を弱めていたその神棚に、(自宅から)問いかけてみたが、返事はなかった。

 ふと、そういえば今日は(私も参加する)タンゴのミロンガ(パーティー)が店であるので、そこに来られる有名な外人タンゴ・ダンサー。
 その来訪の暗示かと考えてみたけれど、外人の報せを、神棚が報せるというのもどうだろう?


 しかし、一分強放たれた光りは、消えてしまった……。

 あぁ、もしも訪問されたのが神ならば、何だろう、灯でも点けに来られたのだろうか?

 ただ、点けにきた後、そこにずっとは止まってくれるような様子でもないな。そう過ぎった……。(別の場所へ灯を分けに向かった?)
 
 さて、本日、オーナーにその話をすると、昨夜、ある光という名前のところで、


驚くべき回答を口にされたので、すぐに普段鍵をかけてある、神棚を祀る奥の部屋へ行き、手を合わせる事にした。

 そして、その部屋が不浄な状態だったので、お祓いをする事に。

 しかし、不思議な符合だと思う。本日、光りと言う名を持つ某会にて、お祓いを受けたそうなので、その光りが、神棚へ降臨した光りだったのではないかと、二人、ハッと顔を見合わせる。

 光りといえばもう一つ。
 今、天文暦を見ると、先日は、しし座流星群が極大した日だった。
 やはり、何かあるかもしれない?

 ちょうど、昨日スター・セラピーという案を閃いたところだっただけに、星は、光りは、私へと何かを囁いているのかもしれない?
 私は、フィクション(物語)ばかりを考えて、いつもコケまくっているが、ひょっとするとこの時代に、ノン・フィクション(リアル)の世界で、何かを提案する(提案者か何かの)役割(バトン)を、遠からず与えられようとしているのだろうか?
 ただ、私の人生、いつも紙一重。
 今後の日頃の行い次第で、運は訪れるどころか、到着する前に去ってしまうかもしれない。

 人生、運転(ドライビング・テクニック)次第で、人間は失格も合格もする。
 何かのサインが来ている。
 後は、テクニック。
 この世は物理世界ゆえ、理を離れては、事は成せない。
 ただ、この世は因果、縁で構成されているために、親や先祖の基盤に、子は自然と乗れるもの。

 その自然と続く道のような物が、私にも、見えざる神の導きによって見えてきた?
 後は、道を外れない歩行術、走行術を自身の経験から導きだすカンを言語化して、システム化していくだけだ。
 そう、即ちそれが、世渡りの地図となる。
 人生の勝利者は、少なからずその地図を、自身で築き上げているのではなかろうか?
 私の場合は、無形の道ゆえ、基盤は弱いけれど、透明の滑走路をカンを働かせて探っていかねば。
 透明の大道を。

 勇み足が過ぎた気もしない事はないので、少し後退して、しかし、あの夢は、不思議な夢だった。
 光り。それは神秘かつ美しきものなり。


11月20日(月)友引・癸丑・二黒・満・危・心・兵庫西宮神社誓文祭・(八専)間日・火星が月の北・天王星が留・76P/ウエスト・コホーテク・池村周期彗星が近日点を通過・アルゴルが極小

 九月二十五日に書いた「書行無常」という詩。
 創作意図は、その数日前に、書聖「王義之」の寓居「蘭亭」の写真を見て、何かを感じ、何か、自分は「王義之」からメッセージを投げかけられている?
 無謀にもそう直感した。

 翌日。ある物を買いに文具店へ行き、帰ろうとしたら、何故か、一本の銀色のペンに強く目が留まり「これは買えのサインかな」
 直感に従って購入。が、使用するペンは複数あるから、それは机に仕舞った。

 その夜、ふと、自製の御守りを製作してはどうだろうと天啓のようなものが浮かび、ペンで書いてみた。
 が、どうもしっくりこない。

 そこで今年の節分で、神社にて当選した縁起物のペンを使おうとしたが、ふと机に仕舞った買ったばかりのペンの事を思い出し、もしやこのペンは、今日から書こうとした、護符を書くためのペンとして、私の手元へと来たのではないか?
 そう予感し、そのペンで書く事にした。
 すると、そのペンは、とてもいい感触で護符を仕上げてくれた。
 だから、そのペンは、護符用のペンにする事にした。
 どうも、やはり全ての物は、縁と縁で繋がれている。そんな思いが走った。
 行ってみると閉まっていた店。行く気も無いのに招かれる店。
 閉店の店には、今日自分に必要な食べ物も服も何も無い。その暗示だろう。
 招かれる場は、今日そこで何かに触れないと、明日へ続く道が上手く繋がっていかない。
 そんな見えざる人生の道、橋。そのサインだと思う。

 その夜、寝る前に、ふと過ぎった。
 もしかしてこの護符用に使うこととなった強く惹かれて購入したペンこそ、「王義之」からのメッセージだったのではないだろうか?
 筆の神が与えたもうた。

 心から書こうと思わず、システマティックに始めた護符書きなら、筆に宿るものも弱いと思う反面、天啓によって書こうと思ったこのタイミングは、宇宙にいるであろう、(ここからは、私の宇宙論)人間のように肉体のある知的生命体が(電子以下の)粒子にも分解も可能で、さらに元の肉体へと戻るという再合成さえもできる科学力を持った者。
 彼等の流す電波を、私が受け取ったのかもしれない?
 そんな気がしてならない。
 無論、その宇宙の監視者は、単なる科学者ではなく、宗教的レベルの戒律をも守れる高度な倫理観、総じて理性を持ち、さらに教養を持ち合わせた(狭き門を通るという試験に合格した?)星の官僚たち。
 そんな気がする。

 天啓や、この説は、オーバーかもしれないけれど、その後、そのペンで書いた護符が効果を発揮したから、どうもその筆の力(現在と同等の力の寿命はインクが切れた時の予感)。そして、護符の言語+模様の神力。さらに書いた私の力も、まんざらでもないかもしれない。
 そう思え始めた。
 それは、とあるお店で効果を発揮し始めた。
 私が、護符の中の、鬼祓いと、人間関係の調和を意味する護符を、某店の方たちへと与えた際、それを書いていて、途中までしか書けず、さらにハプニングが起きて、紙を無くして、そのまま渡せずにいた人が、その後、一ヵ月内に辞めていった。
 
 周囲から、やや鬼のように思われていた煙たい人だっただけに、皆は喜んでいるようだけど、私が「調和、協調」を意味する護符を渡せなかった、たった一人が辞めたのは、不思議に思えて仕方がない。
 しかも、その店の重要地点にも護符を貼った事も、その要因かもしれない。
 これは、鬼祓いをし、協調する意味を持つ護符の効果か?

 実は、もう一人渡しに行くと、来客やら何やらで(渡しに行った際に何度も)障害が起こり、なかなか渡せず、ようやく渡せた人もいる。
 その人も、実は、(私のカン+店の人にもよると)やめるサインが在る様子。

 上記した通り、その護符は、鬼祓いの力もあるために、その後、その店は、円満な雰囲気になっているそうで。

 この出来事。効果がなかったのなら、こうやって、「王義之」の「蘭亭」の写真が強く気になったことから順序立てて書く事も無いでしょう。

 私の字は、決して上手くない。
 だけど、書の世界の扉を開けよと、「王義之」が語りかけているのだろうか?
 わからない?

 だけど、この間、更に新たな筆を手に入れた私。
 購入意図は、その筆を観た時、「もしや、次の段階の護符書き用に相応しい筆かも」と、過ぎったからだ。
 ゆえに、本日、その筆で(始めて今までに書いた事のない)大サイズの護符を書いてみると、これがとてもよい感触!

 この一連の流れは、人生の中の一点、一画ながら、結構、私の中ではドラマだ。



11月21日(火)仏滅・甲寅・一白・平・室・心・新月・京都東本願寺報恩講・五相伝・新月・木星が月の北・金星が月の北・うみへび座Sが極大

 俳句仲間のNさんのお店「幸」で夕飯を食べていると、店の壁に貼っていただいている私の占術の宣伝ポスターを観た方が、予知夢を見たと、話をし始めたので、そこに首を突っ込み、「夢談議」を開始。
 数ヶ月に一度、知人が、ある特定食品を持参してくれるところ、ここ半年ご無沙汰だったものの、一昨日、夢に、その食品(だけ)が登場したそうで。その翌日、その友人がその食べ物を持って、家を訪れたと。
 まさに、予知夢。
 その人はカンが強いだけに、さらにカンを大切にしていると。

 確かにカンは人生の羅針盤であり、信号だと思う。特によい感触のあるカンは青。ススメの暗示である事が多い。しかも青信号が黄色に変わるまでに判断しないと、機は逃れるかもしれませぬ。

 先日、「吉備津彦神社」へと参拝時に、「大神神社」で天啓を受けて、全国の神社(に、メッセージを伝えるために)巡っているという巫女さんと出くわし、その人の(大和言葉で歌うような)主張と、その言い回しに感激してしまった私。
 憑依レベルだ。
 確かに「大神神社」の霊験は高いと聞く。

 しかし、(神社側の依頼も無い状態で)「吉備津彦神社」の拝殿で(恥らうこともなく)いきなり始めた舞と歌調の祈りには、何というか、プロフェッショナルさを感じました。

 だけど、「七星剣」を拝殿に置き、ある私的祈祷をしようとした時に、その方が現れただけに、ふと、この剣がこの特異な人を招いたのかと、腕組み。(圧倒させられたので)
 確かにこの桃製の「七星剣」は、ただの物質ではなさそうだ。
 それに、何よりその巫女さんが、歴史的な名剣に纏わる非常に興味深い話もされていたし、何か、この剣の波長と同調したのではないだろうか?(予感

 しかし、この方、次はどこの神社へ向かうのだろうか?
 ちょっと、トンデモ説と思ってしまうような説を伝道しに、神社を回り、拝殿で文書を(和風調子にて)歌うような口調で神に伝える。
 しかし、その弁、口調が、恐ろしく本気で、玄人芸の域のため、体に電気が走ってしまったから、ある意味、表現者として凄いと思った。

 どういう事かと言うと、この方の主張は、ちょっとSF時代劇のような発想な面も、一部に混じっているために、そこのところは、もう少し歴史を勉強してから、焼きなおして理論を作っていただきたいところ。そう思ったため。
 だけど、口調がとても美しく神秘的なため、ちょっとした催眠術師だとも思う。

 反面、しゃべり方は、へなへなしているだけに、人に対して説得力を与えられず、弱い人とイメージされている人がいるとして。が、その人の思考や理論が、かっちりしていれば、他人は、その人のしゃべりの力(ある意味、タレント性)、演出力には、才能を感じずも、シナリオの力は感じるでしょう。

 だから、そういう方に対して、この巫女さんは、歴史のディティールのところで勉強が及んでいない部分に、専門家からは突っ込まれるという危うさも持ち合わせていると思うのです。
 しかし、あのカリスマ性は凄い。しかも綺麗なだけに、おそらく信者もいるのではないでしょうか?
 だから、そういう人は、部屋で地味に勉強すれば、理を身につけられるだろうし、しゃべりの下手な人の方は、少し私的レベルでも、タレント性を鍛えていくと、周囲の人気度も上がるはず。
 だけど人間は、考え方を変えられないから、なかなか不得手なところや癖は治せず、人に自身の弱点を半永久的にさらしてしまう生き物だとは思います。自分も含めて。
 自分を変えられる人。柔軟な人は、何よりも、新しい人生の階段を上がれる人。
 そんな気のする節入り前。


11月22日(水)大安・乙卯・九紫・定・壁・尾・小雪(太陽視黄経240°)愛知豊川稲荷秋季大祭・熊本八代妙見宮神幸行列

 節入り「小雪」
 節入り参りへと某神社へ行くと、蜘蛛の巣に出迎えられたので、箒を借りて、蜘蛛の巣と格闘。
 結果、拝殿も綺麗になりにけり。

 ただ、別の神社で、蜘蛛の巣を掃除した夜、蜘蛛の呪か、悪い夢にうなされたので、その時から、掃う時は、魔除けの言葉を唱えながら、蜘蛛の巣へと向き合う事に。
 世の中の何割かは、怨霊の泳ぐ巣窟で構成されているから、その交差点を自身から招いてしまった時は、切り返すテクニックがきっと必要と最近、実感している私。

 教訓。この世の負の空間を渡る際には、テクニックで渡っていかねば、身も危険かもしれない?

11月23日(木)赤口・丙辰・八白・執・奎・箕・神農祭・伊勢神宮新嘗祭・(八専)間日・五相伝・月の赤緯最南
11月24日(金)先勝・丁巳・七赤・破・婁・斗・不成就日・水星の日心黄緯が北に極大・D/1986W1ロバス第2彗星が近日点通過
11月25日(土)友引・戊午・六白・危・胃・女・山口防府天満宮神幸祭・(八専)間日・水星が西方最大離角

 魔をも斬る霊剣「鬼丸国綱」にて、身代わり符を斬る。
 生と死の境に置いて、もう一人の自分は、三途の川へと流れてゆく。
 罪を犯した手足を抱えた時、神イエスは、迷わずにその手足を「斬れ」と言うが。
 一体、その痛みに向き合える人が、どれほどいるというのか?

 無論、この身代わり符は、かって教会の発案した免罪符に似て、真の償いの代償としては、決して重いものではないかもしれない。
 だけど、人の苦悩を軽くしてあげたいから、霊剣(私的霊剣)を手に、私は、身代わり符を斬ろう。

 人の心に忍び込む不安の影。
 その影をこの紙へと投影して、自身をそこに焼き付けたら、この剣を手に、その分身へと斬り込む。
 お神酒にて濡らした「北斗七星」を刻むこの刃先に、炎も付けて、人の分身を、一刀両断とす。

 二つに割れたその身体。
 (分身の)心の臓の音の鳴り止まぬうちに、炎の中へと放り込む。
 唇に祝詞を走らせ、その炎を見送る。

 空気を伝い、炎業菩薩となりて、昇天していく。

 紫の炎へと、今、こころしずかに、合掌。


 題「浄化の門」


11月26日(日)先負・己未・五黄・成・昴・虚・ペンの日

 二十五日は「憂国忌」でした。
 今までに憂国忌という兼題で俳句会に出した句を、並べてみませう。
「憂国忌 割れたガラスに口付けて」
「憂国忌 アポロの杯にて乾杯す」
「憂国忌 演習場の砂煙」

 確か、どれも特選が入った気が。
 桜桃忌(太宰治忌)と憂国忌(三島由紀夫忌)を私が詠むと必ず特選が入るのは、感覚なり縁に近いものがあるから?

 だけど暗い青春時代は終わり、今は自由でとてもPOPになった。
 と、ぶり返しながら、句会に持参しなかった以前書いた憂国忌の句も披露。
 「憂国忌一喜一憂祓い行け」「桜など見れぬ季節に憂国忌」

 本日はペンの日だけに、キャッチーな話題でした。
 と、本日の句会。欠席ですが、今、憂国忌を詠む事に。

 「ちぎっては投げ、ちぎっては投げて憂国忌」 一声

 一声とは、私の俳号です。発案時は、十六歳。

 十六歳といえば、(何かで成功したいと)姓名判断でペンネームをたくさん作り、そこで残った名前が三。
 でも使う度、(格好よくとも)自分に合わない名前はどんどん捨てていき、名前を書いて、紙の上から光りが発したのを(幻かもしれませんが)感知したのが、今、文芸サークルを中心に、小説を書く際に使っているペンネームです。

 そういえば、その頃から(国語教師の影響で)俳句も書き始めていて、主張よりも、自然を詠まねばと、十七歳の時に強く意識。

 詩人の銀色夏生さんが、高校の夏休みに詩を百書いて、詩人になったと「月カド」に書いていたので、夏休み中に百一編の詩を作って、その国語の恩師に見せに行くと、「詩人になれる」と絶賛されたのも遠い昔?
 けれど、私はその後、むしろ……。
 短歌も並行して書いていて、趣味で、服のデザイン画や、抽象画も描いていました。

 バンドもしていて、凄く人気が出た。けれど、自分は、何か大きな命題にとらわれていて、肝心な事を忘れていた。と思う。
 日常の中にある小さな思いとか、思いやりとか、会話の楽しみとか。

 今考えると、濃い日々だったと思う。(今の私には、そのエネルギーも勇気も無いだけに、まさに溢れんばかりの若さか?)
 けれど、元々、マイペース派なのに、当時は、疾走しすぎた結果、早くエンスト……。
 その後、人生に失望していき……。
 それに、今、思うに、人間、無理をすると、後が詰まる。それを身を持って知った私。

 こう書いてみると、劇的な日々だったと思うけれど、今は劇的な日々とはいえないし、過去の事は、他人ごとのように思えてしまう。そう、今は過去は、過去として切り離して、目の前の現実を生きようと思う。
 劇的ではないけれど、大切な日々だ。
 波乱や魔の苦さを知っているだけに、それらを遠ざける日々だけれど、日常の中にあるキラキラとした物を愛していきたい。
 小さな一歩。小さな優しさ。小さな思いやり。
 小さな欠片を大切にしながら。


11月27日(月)仏滅・庚申・四緑・収・華・危・東京品川千体荒神祭・海王星が月の北・へび座Rが極大

 今年の11月1日で新札発行一周年となりましたが、昨年の今頃、「この度、新札に登用された偉人達は、この国に、病魔が到来する事を暗示し、予告しているのかもしれません。
 それだけに、病気に縁のない、もっと別の偉人を登用し、運の軌道を変えた方がよいのでは?」と予見文を書いた私。
 樋口一葉、野口英世共に、病気に縁深いでしょう。

 ゆえに、最近、お札を手にしたら「病魔退散」と「金銭浄化」の呪文を唱えてから、数種の自製護符にて魔方陣(結界)を作っている魔方陣財布へと入金している私。

 お金の表層に溜まるバランスを崩した陰陽。その不和を、このホワイト・ホールで洗濯。
 魔的な余韻のあるコイン、お札は、使わずに、浄化箱(護符と粗塩と水晶の欠片で構成)に寝かせ、気を抜いて、さらに呪文を唱えてから使用。
 金融会社(銀行含)の前でも時々、金銭浄化呪文を唱え、金銭に宿る呪を解こうとする試みをしてみたり。

 というのも、この世は、怨霊の渦巻く崇られた地域が多いと思うだけに、その地域の空気を洗濯する方法はないかと考えた結果、色々と、生きていくための対策を始めた私。

 形から入るより、原理から問うから、よく人に相談を受けるのかもしれない?
 マニュアル外の手法を、草案する癖があるから?反面、新しい学問には手を付けられず、某所での立ち読みと、(小説を軸とした)読書(とTVと新聞)が、自分の知の台座。

 でもパズルのピースの如くに引き離された万物を、相性に沿って集めていき、幸福な形を再生させていきたい。

 街に掛けられた古代からの呪を解いていかなければ、人の心に溜まる魔は、減少していかないと思うし。

 昨今は、年末に地震も多いですし、この弓状列島の呪区域を歩く度に、何か魔祓いの呪術を土地へと供えていき、陰陽のバランスを修正していく。

 人生、悪い事が重なる事が多いし、運の開く人も少ない。
 宿命に差がある事を知っていても、優劣における劣者は、子を産み、差別に苦しませながらも、吾が子へと、生きることを強要していくもの。
 そして人は、人生という幸福と呪いで構成された道を、逃げることなく歩んでいかねばならない。
 鏡に映る世の中が、苦悶の地図を示しても、誰も地図の書き替えを発案し、唱える者はいない。
 十字路でうずくまり、明日を見出せぬ者もきっといるだろう。

 だけど、崇りの地区で、土地の呪と共に沈む前に、私が植えている呪術という名の街路樹を目にする事があるならば、きっと幸いだ。
 地の呪いを解くために街路へと植えている目には見えない木々。

 その木に花が咲く頃には、きっとあのエッシャーでさえ、真面目絵を描き出すことだろう。
 陰陽の調和が整っていけば。

 人生は、崇りとの闘争劇。
 だから、呪われた街の片隅で、呪い抑えの呪法を私は、花弁のように撒いていっている。
 無論、自身に掛けられた呪いでさえも祓いきれぬままでも、諦めることなく。


11月28日(火)大安・辛酉・三碧・開・觜・室・親鸞上人忌・税関記念日・一粒万倍日・上弦の月・おうし座λが極小・天王星が月の北

 「酉の市」参り。
 神楽月の上弦の月を見上げて、ふと郷愁。
 ポエム(&スマート・スマート)が一つ生まれけり。

 上弦の月が蒼いから、私のイマージュは、その遠くに見える七つの星へと心を寄せる。
 城下で、ギターを奏でる音が聞こえる。
 半音外れのラブレター。
 君とよくあのベンチに腰掛け、聴いてもらっていたっけ。
 冬ざれの、街灯の下でくちづけをして、そのままエデンの園まで疾走していく。

 十九歳。最初の一頁目からめくれたリルケの詩集が、風に吹かれ、無人のベンチで言葉の音符を街に流している。

 何もかもが走馬灯。
 空まで逃げて、振り返った時に、街の灯火がこの胸を、言葉にならない感覚で締め付けた。
 僕等の乗っていた一角獣は、ただ天をめがけ、疾走していく。

 その速足を止めるブレーキも無いままに、この世の境へと差しかかろうとした、その時だ。

 幸町のエデンにできた水溜りが、僕の顔を映したのさ。
 天のエデンと、地のエデン。

 君の行く場所は、地上にもあるからと、幸町公園の水溜りの前にある機関車が、ヘッドライトを点して、僕等を呼び戻した。

 マフラーが揺れている。
 大地に降り立った時の振動で、自分のこころの一番隅っこにある正直配線まで、ごまかすことも、できぬままに揺れている。

 上弦の月が蒼いから、もうすべてを許しちまおぅ。
 月面にて、噂になっちまう前に、今夜のことは、星に流そう。
 この唇から零れる白い息。

 少しだけ、斜め上に向けてみた。
 二人で、ふーっと風を送る。

 ホラ、上弦の月が消えたよ。

 そうやって、白い息で空の色を、ミルク色へと変えていく。
 そう、僕等が立つこの地上のエデンから、闇の世界を真っ白な色へと変えていくのさ。

 数十秒の布教運動。
 白と黒のシーソー・ゲームだ。

 そして、この眼鏡の中に、いま、世界は閉じられた。
 史上最大の宇宙(もの)を、最短にて密室へと変えた確信犯。
 消失させた月光の奇術師。

 CQCQ……。
 こちら地上のエデン。天上のエデンの皆さん、そちらの調子はいかがですか?


 題「冬の聖地」



11月29日(水)赤口・壬戌・二黒・閉・参・壁・熊本大津山阿蘇神社大祭・(八専)間日・一粒万倍日

 昨夜の夢の中に、七福神が出現!
 で本日、よく夕飯を食べに行くお店へ行き、最近座っていない席にたまたま座ると、そこに七体のミニ「招き猫」が置かれていた。

 夢の中では七福神だけど、ここで会ったのは七体の「招き猫」
 符号していたのです!

 と、実はその「招き猫」はただの猫ではなく、もう二年近く前に、客寄せ祈願で、私が「招き猫」を買うよう、お店に提案して購入していただいた猫だけに、で、今夜、その親猫の前に、ミニが七体置かれていたので、店に(小粒か、子連れかまではわかりませんが)新たな常連客が根付きそうな予感?

 しかし、最近、そのお店に光り(オーラ)が陰っていただけに、よい暗示ですね。
 夢を見た私にも何か関係がある?

 オーラで思い出しましたが、この間、「大山名人杯 倉敷藤花戦」の試合前の写真を山陽新聞で観た際、「斎田」女流四段の顔を観た瞬間。あの実力者「清水」藤花に勝てる?
 そんな気がした。何かオーラのような輝きが見えまして。
 で、見事、「斎田」女流四段が勝利。
 だけど、思うのです。今回は、勝ったけど、清水市代さんは、相当の腕前かつ努力家なので、次回は、奪回しそう。
 多分、今、斎田さんに運が来たという事でせう。


12月2日(土)先負・乙丑・二黒・満・柳・胃・京都知恩院仏名会・不成就日・月が最近・じら座Uが極大

 今、日本では「アイス・スケート(女子)」が華の時だと思います。
 つまり、「アイス・スケート」に、スターが現れる事が、地球の歴史が開始された時点で、既に決定されていたのではないかと?
(毎年の五輪優勝者に到るまで。無論、占術から観た運命だけでは、答えが至らないように、二重、三重の仕掛けを施し、おそらく優勝者を誕生させている?神は?)

 話を戻し、華の時。それは、数年前ではなくて、今年から次期「五輪」まで、多分。
 アカシック・レコードに、そう刻まれていたとしたら?
 無論、努力家はたくさんいた。けれど、今のように女子スターが群雄割拠する時期は、非常に稀な時期なのでは?(特徴的な証拠に、男子には織田家の子孫までいるし)

 そこで私は、この世界現象を俯瞰して、思うのです。
 日本に、雪の女王が近付こうとしている?その暗示、象徴として、女子アイス・スケート選手に女王の卵達が出現しているのではないかと?

 確かに今、日本は色々な意味で寒い国となりつつあると思いますし。
 雪の女王。雪女。
 それは、何かの精霊かもしれない?

 だけど、もしも日本に、太陽の神ではなく、雪の女王、雪女が近付こうとしているのならば、経済の凍りつきか、冷たい心を持つ女性リーダー(女性首相)の登場か何かまではわからないものの、そのスケートの女王候補達の活躍に潜んでいる暗示を、私的に紐解いてみると、もしや彼女達は、表の役割はスケート会への貢献という反面、裏の役割として、この日本に、(遠巻きながら、何らかの形で)冬が到来するというお告げを担って登場した潜在的予報者(又は、雪女の化身?)であるとしたら? 

 氷上の女王の大活躍=日本に雪女到来の暗示?(女性をキーワードとした)冷たい何かが近付く暗示?
 (経済の論理に麻痺した挙げ句)悪い考えを持った女性が増える事に比例して、女性問題で失脚する人も増えるという暗示か?
 温もりを失ったクールな女性達が急増していく暗示?
 そんな風に思えてきた私。(そういえば、最近、雪国に地震も多い)
 そう、かって神のロゴス(サイン)とは、直接言語であったためしなどはない。
 ゆえに、暗号として印されると定義してみると、この現象には、裏の意図(神のコード)があるのではないかと?

 昨年は、新札の人物から、病気流行の暗示と、時流に隠れる「神のコード」を読んだ私。
 確かに今年は、健康的なニュースを見る機会は少なかった。
 さて、今、特別、スケート靴を履いた氷上の女王たちが、活躍するご時世だけに(無論、ミーハー的に私も楽しく観ているけれど)、ふっと、過ぎるものあり、こうして綴る事に。

 無論、今の私は、吉備津の神(土地の旧王)に問う単位でしか、神に関わってはいない。
 それに、問いかけても解答の得られる保証も無い。
 この歴史を管理する聖書における創造主及び聖なる星の幹部達の書いたコードなど、自力では知る事は無い。

 が、もし、その意思が、歴史が、暗号として、時代時代と共に、いや日々記されているのならば、暗号の特徴を追い求め、かつ、その特徴をつかめた暁には、いつか体系化できるのではないだろうか?
 無謀にも、夢想してしまう。
 
 楽観者と笑う者もいるかもしれない。
 が、この宇宙も人も元素記号の配列で構成されている物質の集合体だ。
 その配列も体系化されたコードであるのだから、地球の創造主も、同じ記号で、地球史のシナリオを描いたはず。無論、血肉通う。

 今日は12月2日の土曜日で、六曜は先負。干支は、平穏な部類に入る乙丑(五行では木の陰と土の陰。四柱推命から観ても、そのまま乙丑。方位はおおかた東北)の日で、九星気学では、家庭運のよろしい二黒土星の日(入星方位は中央)。で12客は「満」28宿は「柳」27宿は「胃」。
 国内では京都で仏系の会があり(仏に縁深い日?)、(12月に入り)太陽、水星、金星、火星と木星は、揃って射手座に入宮。という非常に射手座にスポットの当たる月(師走)。
 空の月が最近(最も地球に近付き)。くじら座Uは極大中。
 「原子炉の日」で、ナポレオンが皇帝に即位した日でもあり、安全剃刀の特許取得日。

 等々が、表のコードならば、裏のコードは、土地土地で何か惨事なり幸運が起きる前に、前兆として、表れるはず。暗号として!

 そして、その暗号を知る者はいない。(未来を予知できる霊能者は、脳内に映る映像や夢から、予知する事はあるかもしれないが、理論までに到れてはいないと思う。無論、断定は出来ないが)
 さて、冬の女王。 
 もし到来するならば、防寒具が必要だ。どんな道具かまではわからない。
 暖房があれば、冬をしのげるように、そこからは科学者の出番だろう。
 昔、発明家になりたいと思った時期があった。けれどどうも私は想像するばかりで、もう一つ才能に欠けていた……。
 しかし、壮大なことを考える性癖が、占術をやるうえでプラスになっている気もしています。
 この世は、表と裏。そして、神の暗号は、裏言語であるはず。

 この世の裏(陰)を生きる者が、いや、陰陽を彷徨う者が、もしもたどり着けるとするのならば、裏理論の尻尾ぐらい掴めたら、幸いだ。
 無論、天国に入国される方は、生涯、表通りを公明正大に歩いてきた方なのだろう。
 私は、その種族には、どうも到れていない……けれど、神の暗号。
 その彗星のような尻尾を、五芒星式望遠鏡という名の肉眼で、追いかけよう。

 星の雫へと、望遠レンズの先端を向けて。

2006/9/25~11/6

9月25日(月)大安・丁巳・四緑・成・危・房・福岡太宰府天満宮例祭
9月26日(火)赤口・戊午・三碧・収・室・心・彼岸明け・和歌山日前神宮例祭・(八専)間日
9月27日(水)先勝・己未・二黒・開・壁・尾・奈良吉野神宮大祭・長野穂高神社御船祭
9月28日(木)友引・庚申・一白・閉・奎・箕・庚申・一粒万倍日
9月29日(金)先負・辛酉・九紫・建・婁・斗・道元禅師忌・五相伝
9月30日(土)仏滅・壬戌・八白・除・胃・女・(八専)間日・月の赤緯最南・上弦・かに座Rが極大


 紹興に建つ「一字一千両」に値すると称される書聖「王義之」の寓居「蘭亭」内の「御碑亭」前で半電脳の筆を磨く。
 元旦の陽射しを浴びる事は理想だが、時は秋分。


 ここで研ぐのは愁いの筆。

 が、八方位に雲があるわけでもなく、光明のある西方を向いて、一筆を紙に記す。

 「御碑亭」に記された康熙帝、御真筆の蘭亭序の全文。そして、裏面に記された乾隆帝御真筆の蘭亭即時の七律詩。

 そこに、筆を記す康熙帝と乾隆帝御の像を建造し、書の復興を試みる夢を見る。

 それは、電子への宣戦布告。かつ攻防戦。

 波を逆行する詩人の戯言。

 「御碑亭」前の地中を掘ってみてはどうだろう。

 二十一世紀の書聖旗手には、ご褒美として王羲之の筆を掘り当てる事ができるかもしれない。

 その運の無い男は、ただ頭上を流るる雲を見ているだけ。


題「書行無常」


10月1日(日)大安・癸亥・七赤・満・昴・虚・炉開き・亥の子餅・共同募金・労働衛生週間・八専終り・不成就日
10月2日(月)赤口・甲子・六・平觜・危


お報せその一

亀の甲羅を用いた「亀ト」(+卜卦)占いを始めました!


台湾の「占い横丁」(あの有名なスポットですよ!)で行われている「米占い」も始めます!



ちなみに、米を入れる(私の場合)ランプ、亀の甲羅も、「吉備津神社」「吉備津彦神社」にて、念入れをしてきましたので、吉備津の神のご神託。

それを信じたいと思います!

さて、何故、道具に神の魂を注入する儀式がいるのか?


それは魂なければ抜け殻と思うからなのです。(それと、自身の住む土地の神ほどよいでしょう)


話を戻し。

道具に魂を注入する私の考えを少し披露いたします。

海外のムブルガの占いに、瓢箪製のマラカスを右手で振り鳴らし、声なり口笛で憑依霊の歌を歌い憑依霊を呼び寄せるという儀式をするそうなのですが、やはり神託を待つ際は、道具に霊的なものを呼ぶ儀式は必要と思うのですよ。

私の場合、祝詞も読みますが、(地元の神なり、大神なりの魂の欠片を注入させていただいた)「御神鏡」の前にて、儀式を行い、机上に「聖域」を作りあげてから、お客さまをお通しし、占いを始めようと、特に新店に入り初めてから強く意識するようになりました。

しかし、未来読みは難しいもの。
更に、未来を見通せる方法、技、儀式、道具の研究、カンを研ぎ澄ます修行を続けねばと思っているこの頃です!


10月16日(月)友引・戊寅・一白・定・心・張・小つち・土星が月の南

 この月末に行われる「すぴこん」(スピリチュアル・コンベンション)に、出演する事になりました。

 経緯は、「Yカフェ」に来店された某さんから、私のブースの中で、半分を使って占いをやってほしいと、バトンを渡されたためです。

 その方曰く「ここに出ることは運命だったのよ」と。

 出会いはその方を鑑定した際に「今、私の頭に、スピリチュアル・メッセージが閃いた。あなたはゴールド級の占い師だ」
 そんなオーバーな言葉をいただいたことがきっかけで、岡山スピリチュアルコンベンションへとお誘いいただくこととなりました!


 これは、不可思議な展開です。


 何故なら、自身が進んで門を叩くこともなく、向こうから話が来たのですから。


10月18日(水)仏滅・庚辰・八白・破・箕・軫・東京靖国神社秋祭

 今は何も作らない。

 世の中にある、そのままの素材を、糸のように編んでいき、そのままとそのままとを美しい配列になるように、繋いでいきたい。


 だけれど、二つの素材の相性だけは尊重しよう。

 だから僕は、素材へと耳を傾ける。
 それらが発す、求めあう者同士を繋げる道案内。
 それが今の僕の表現だ。


 フォー・チューン。

 まさに創作上でも占い人。


 道案内人として、吉備の街を彷徨う使徒。

 そして、この手から垂らす糸の名は、待ち人達を繋げていくための「赤い糸」

 不調和なる旋律によって狂わされた世界の循環を取り戻すために織っていく。

 この糸を失った世界の片隅にて。

 通りを振り返ると、街角の路地裏で、赤服の吟遊詩人の囁く糸織りの歌が聴こえてくるだろう。

 時には十字に、時には五芒星、時には六芒星……。

 そして、織られた服を身に纏う君は、その日から幸福の星と共に、この世を歩いていく。


 無論、全ての幸福を贅沢にも独り占めにするわけじゃない。

 小さな小さな幸福を、感じられる心を取り戻し、自分と世界の調和を、そして、自身の役目を感知するはず。

 そう、その服の名は、循環と、運命の道をそれぞれが歩む意図に気付く幸服。

 それぞれが歩むべき道を再生させる赤い糸で織った知の服。

 だから今は、何も作らない。

 世の中にある、そのままの素材を、糸のように編んでいき、そのままとそのままとを美しい配列になるように、繋いでいくだけ。

 目の前の素材へと耳を傾け、それらが発する、求めあう声を拾っていく。

 創作においてもフォー・チューン。

 人同士のすれ違いを修正し、縁を取り持つ織物屋。
 この手から垂らす赤い糸にて、二人の世界、二つの世界を繋いでいく。

 題「赤い糸」

10月20日(金)赤口・壬午・六白・成・牛・亢・秋の土用入り(太陽視黄経207°)えびす講 誓文払・一粒万倍日・三隣亡・月が赤道通過・おひつじ座Uが極大
10月21日(土)先勝・癸未・五黄・収・女・氏・(土用)間日・ 水星の日心黄緯が南に極大・オリオン座流星群が極大・いて座RTが極大
10月22日(日)先負・甲申・四緑・開・虚・氏・新月・京都平安神宮時代祭・京都由岐神社鞍馬の火祭・十方暮入り・不成就日・金星が月の北・火星が月の北・へびつかい座Rが極大

 「ラーメン博」というイベントの「占術ブース」に出場。
 ラーメン界とは疎遠ながら、ここに来てグッと近距離に。が、私は(駅付近にある)県営グラウンド内の「桃太郎アリーナ」という大ホール内の占術ブースにいたので、ラーメンは食べましたが、屋外に並ぶ麺ブースとはやや疎遠地帯にいました。

 しかし、ラーメンはラーメン通に聞けで、歩いていてマニアな会話をされている方に近付き、美味しいお店は何処かと(腰低く)訪ねた私は、頭は使いようと、再確認。
 実は周囲が、皆、外れが多くて、違う店にすればよかったと聞いていたので。

 さて、人間として普段生活している反面、席に就くと生命俯瞰の立場で言の葉を語らねばならないこの稼業。
 一人ひとりに誠意を込めて、私は言霊を伝えていく。

 人は、感情的な生き物だから、感情任せでぶつけても、向こうはカッとするだけ。

 相手の心を澄んだ水のようにするために、そして自身の胸の内の透度を上げるために、そして、神の波長を受けやすい状態にするために、机の四方に米粒と塩を置き、机上には塩を撒き、祓い具と鈴で清めた上で、持参した布上に、五芒星状に塩を置いて、時に石(パワー・ストーン)を置く。

 吉備津の神の札を置いて祈りを捧げ、この机上にお越しいただけますよう、儀を遂行。
 同時に、七星剣を抜いて、魔を祓う。

 今日は、鬼門に守護神、机上に御神鏡、八卦鏡、蝋燭、水晶等を置けぬため、呪術力の低下は否めないものの、誠意を込めて、人と言葉を交わしていく。

 しかし最近、東洋占術のメッカでもある「台湾」に惹かれる私。
 何か、台湾の「占い横丁」と自分との間に、見えざる赤い糸でもあるのだろうか?

 生前からの縁なら、それは超伸び伸びの黒ずんだ赤い糸っぽいけれど。
 今日も、台湾のミスの方が来日されていて、ビーフンを試食させていただいたり。

 その件はよいとして、しかし、世の中。
 結婚されるなら、勢い婚は辞めた方がよいようです。
 私も希望あれば、手相も観させていただく事がありますが、生まれ日と、手の方の暗示。この二つが符合する事も多く。
 だけれど、それ以前に、後悔しそうなら、結婚は、ピタッとくる相手が現れるまで、あるいは先祖に縁のある人からの誘いの時(この場合は、自分の好き嫌いより、出会う年が決め手)まで待った方がよいでしょう。

 縁を待って、時の実る時。パズルのピースがカチッと嵌まる時まで待った方が、この世の循環的にもいいと思います。

 魔が射した時に出会い、ゴールすると、別れも早いし、負債も多い……。

 人は、世の中全体で幸せになる公なる器の子供達。

 だってこの世は、一つの車輪であり、それぞれがその車輪を回す小さな歯車として日々を営んでいっているのだから。

 ゆえに、幸福も車輪が正常に動いている時にこそ、実感できるもの。

 事実、壊れた車輪、壊れた乗り物を愛する人などは、(偏屈な人が言葉遊びとして言う事はあっても)いやしないから。

10月28日(土)先負・庚寅・七赤・定・胃・女・宮崎神宮大祭
10月29日(日)仏滅・辛卯・六白・執・昴・虚・福岡香椎宮例祭

 すぴこん「岡山」入り。
 机上に透明の四柱を立て、某神社にて祈祷済みの塩にて邪気を洗う。(机上の鬼門に盛り塩)

 この空間には、人の念が周囲を飛び交い、濃い霧となって空間上に立ち込めているから、せめてこの机上周囲だけでも地熱を抑え、歪んだ波動を修正しなければ。
 気は洗ってこそ、美しくなるものだから。

 例えば「奇門遁甲」という文字は、毎年、福の神が行く方位が良い方位となり、その方位は、常に(とても早い足で)変わるので、その方位に向かうと福を受けるという意味。(悪い方位へ行くと厄を受ける事も)
 つまり、神の宿る方位とは、美しい気の流れている方位。逆もまたしかりでは?
 美しい気が流れる場には、神が宿るのではないかと。

 その「奇門遁甲」から考察。
 私の住む岡山県に日が射す年があった。1962年。国体があった年ですが、何故か、その年に生まれた方から三人も大きな賞を受賞された作家が登場した。(一人、重松清さんのみは63年ながら3月なので、節分で年を割ると、やや62年組に近いと判断し、グループに入れる事に)

 そこから私は、元々、1962年という年は国体があった年だから、単に岡山に運が来た年という程度の意味ではなく、元々、「奇門遁甲」

 つまり、福の神がこの吉備の国に訪れる(何周期ごとに巡る)約束の年だったのではないかと悟った。
 それと妙なことに、その年生まれの人に(地元レベルながら)賢く活躍される方も多く、特異な年だったのではないかと思考を固める事に。

 話をすぴこん当日に戻し。

 机上に座り、机上へと神を招く儀式を(人目に付かぬようひそりと)開始。
 机上の中央ラインに、指で五芒星を描きながら、中央にかって東海の中にあった「度朔山」
 その霊山の形、空気を思念しつつ、机上空域に、歴史の門を召喚す。
 そして、その思念で描いた「度朔山」に、北極星周囲を指す(天帝の居るとされる)「紫微垣」を支えるために、(私論ながら)七本の柱を同じく思念にて立てる。
 中央の柱をアンテナとして、それを器とし。

 次に地の神であられる「吉備津」の神を召喚するために祝詞を唱える。
 亀の器にも、神の念を受け止めやすく術を唱え、独自の占術空域を構築。

 四方に、塩。そして、魔除けである桃の木で造られた七星剣で、魔を祓い、鈴にて、神の音波と同調できるよう、その赤い糸(波)の周波数を探る。

 その際は、邪念。会話は避け、気を乱さず、机上以外に立ち込める霧から隔離された空域の中で神(おそらくは、数m単位の人間のような合成物からの原子分解も、原子の再結合も可能だと想像する天の官僚たち)の波を拾うために、胸中を澄ませる。
 己の瞳を(天の波を受けやすいと思われる)水晶とするのだ。無論、私程度の輩では無理な事だろうが……。

 かって「亀ト」を行っていた三浦半島の神祇官のト部は、11月初旬に、供僧九名にて早朝に海で浄めを行い「雷命神神社」に拝礼し亀を取ったという。
 ノストラダムスは、机の縁と足とを水で清め、手には杖を持ち、机に腰掛けて蝋燭の炎周囲から、神の輝きを見、神が降臨したらしき事を「百詩篇」にて書き残されていますが、超越した者の声を聞くには、その声の主を招くための礼、そして儀式作法が必要と気付いてから、私も始めた開始の儀。

 例えば、人それぞれ居心地のよい場所があるでしょう。
 居酒屋が合う人。高級店でないと嫌な人。人はそれぞれ普段の生活に近い場が和むなら、この世を越えた世界の人々が好む場所。空間。模様、言葉。
 それを運命料理人は、テーブルの上に置いていく方が、相手に届きやすいもの。

 無論、礼以上に心は尊いとは思いますが。(心のこもっていない礼よりも、見た目は粗雑、無礼に見えても、誠意のある祈りをする方の方が、思いは深いゆえ)

 ただし、心の持続はやがて形を成していくものなので、礼を習得された方は、普段、粗雑な方よりは、持続力があり、一瞬一瞬のパワーは弱でも、「継続」「素直」という霊界帖の項目には、○がされて、結果。
 それなりの仕事。役を天から与えられているのかもしれない?

 私のような風来坊気味な面のある人間は、礼は好きでも、自分の死角も多いゆえ、未だに貧乏かつ、運が開かれず、この街の片隅を彷徨っているのかもしれない……。

 さて、自ら求めずとも、何故か導かれ、参加することとなった「すぴこん岡山」
 実は私もお金があれば、色々なブースを回りたくてうずうず状態でしたが……。

 高額なブースが多いので、机上にて、この三丁目劇場の土地神に、色々と呼びかけて、空間を俯瞰。
 この地の土地神に、縁起ものの米を供え、土地空間マッサージ。

 しかし、赤字になるかと思ったけれど、自身の営業努力(歩くお客を明るく呼び止め! やはり言葉は私のテーマだし、書き言葉は無論、話し言葉も大切なアイテムかつオシャレ術)や、吉備津の神の加護もあり、何とか黒字に!

 しかし、吉備津彦神社の巫女さんの身内やら、妙に「吉備津彦神社」「吉備津神社」に縁のある方の来訪が多かったのも、私の祝詞や、日頃の参りが吉と出たのか?

 実はこの8月にあった映画「バッテリー」のエキストラに参加した時(ロケ地=岡山県営グラウンド内の野球場)。
 なにやら、決勝か準決勝戦で、主人公の「横手二中」の相手が「吉備中学」という岡山の学校だそうで。
 その際、ただ一人「吉備」(中学)と書かれた応援プレートを持たされた私は、その際、これも「吉備」の神の導きかと過ぎった。(その応援シーンは映っても小さいでしょうが)

 そうそう、会場に来られていた博識のMさん。
 私もブースを離れられたら、Mさんともっと話したかったと後悔。

 だけど、今日は儀式のフォーマットを公開しましたが、フォーマットは今後も進化する事でしょう。
 何故ならまだ途中だから。

 禁書にて焼かれた手法や、秘儀は、まだまだ歴史の闇に隠れているはず。
 その扉を開くために、神霊を探る記号を机上に並べて、歴史の扉をノック。

 今度は司馬遷の後ろ髪を引いて、その毛先を手繰りたい。
 その髪の糸で紡ぐ歴史の服は、きっと、禁書という名前をしていることでしょう。

 髪の糸に宿る記憶は、さて、何を囁くのだろう。


11月1日(水)先勝・甲午・三碧・成・参・壁・燈台記念日・新米穀年度・一粒万倍日・三隣亡

 一日参りにて、願いを一つのみ祈願。

 北海道で震度四。
 太陽、金星、火星の蠍座への入宮も影響している可能性も?

 そこで、八方位分析官として、対策を一思案。
(星の動きから、暗示を読み取れても、どう対策を練ればよいかまでは、ホロスコープではひねりだけないだけに。対術を考えることにいたしましょう)

 その昔、常陸(茨城県)に地震が多いために、鹿島の神々が大きな石の棒(石剣)で龍の頭を釘刺した結果。それが「要石」となり、「要石」が国内の地震を抑えているという一説があるのですが。
(鹿島神宮内に要石は祀られているようです)

 そこで、自前の「七星剣」を大地に刺す儀式を行い、祝詞を読むことに。

 大地に埋める(模擬)龍がないので、龍を模す何かも用意したいところながら、とりあえず、その刺す儀式を要石として、平安を願い候。

 この世は唯物世界ゆえ、唯物の側からアプローチしつつ、その中核に、唯心を据えて、事を行えば、道理は通ると、霊的世界の門前の木に、短冊を掛けたし、心境。



10月30日(月)大安・壬辰・五黄・破・華・危・重陽節・紅葉忌・京都天竜寺開山忌・不成就日
10月31日(火)赤口・癸巳・四緑・危・觜・室・世界勤倹デー・ハロウィン・十方暮終り・天一天上

 三十日(旧暦九月九日)。五節句の最後である「重陽の節句」
 不老長寿の薬とされる菊の花に口付けをして、県内の神社を、数社巡る。
 某神社で「大玉串」を購入し、手帳に本殿をスケッチ。
 「お御籤」は大吉。

 重陽の日が命日であった中国の林黙娘の神像を本日、家に迎え、命日の逆転。即ち、(重陽の力を借りて)林黙娘像に命を吹き込むという復活の儀式を行い、家の護り神の一つとして祭壇に参列。

 三十一日はハロウィン。
 ケルトの「ドルイド教」では11月1日を新年とするために、新年の祭りを前日深夜から始めたために、その風習をハロウィンと呼ぶそうですが。

 どうも、この収穫祭、祭司が炎の前で儀式をし、その残り火を各家庭に1日の朝に渡して行く事で、個々は家庭の釜戸に火を付け、(魔的な)「妖精(バンシー)」を家に入らせぬようにする儀式だとか。
 となると、現代のハロウィンの魔的な衣装、デザイン群は、家に妖精を迎えるようなサインのような気がしてならない私。
(事実、あの意匠は、精神の波動を破壊し、結果、迷いや悪念が生じて、世界の正道なる動きを見る眼が曇るので、なるべく避けたい心境。人の未来を読む目が曇れば、占術力も減退していくだろうし)

 そういう論理から、オバケ南瓜とかには、余り近寄らず、常に魔除けの塩や道具で自身を防御。

 それに、低所得生活者だけに、諸々の凶兆から脱さないと、因果の輪は断ち切れないし。

 縁起道の正道を通り、魔的な空域から離脱する飛行術を私は磨くエース・パイロット。

 ハロウィン通りに、妖精避け護符を飾り、そこに(魔系)妖精禁止区域と名付けた結界を張り、歴史修正委員会という観点から、正道ハロウィンを復活させた方が、史実に近付くのではあるまいか?

 そう、例えば、幽霊衣装を着た集団へと、節分の豆まきをしていくスタイルにした方が、本来のケルトの収穫祭に近い姿となるのではないかと。

 その儀式を行う企画者は 「ハロウィン修正委員会」
 そして、豆まきをする者は、「豆術師?」

 オバケ衣装の集団に対し、(西洋)豆を「鬼は外」とまいていき、お化け集団を町から追い出す日本の節分と、ハロウィンの融合したハロウィンのニュー儀式。

 和風ハロウィンの誕生です!

 いかがでせう?

 が、己の敵は己の中にあることも多いので、まずは、自身の中にいる魔的妖精と格闘することから始めることこそが、欲の多い人間として、人間の成長を促す美徳とも呼ぶべき行為なのかもしれませんね。

 全ての人に、実りある十一月が訪れますことを!

11月5日(日)大安・戊戌・八白・建・星・昴・満月

題「占星術通り一番街・B112」

 (中国)「度朔山」の桃の花を一輪摘みて、鬼門へと供える。

 書「山海経」の記述を元に、桃の木製の大きな人形を門戸へと立て、神茶と鬱壘と虎を描き、葦の縄をかけ鬼を防いだ黄帝。

 確かに、鬼の通り道には近付かない方がいい。

 「度朔山」の桃が、一体何処にあるのかはわからないが、その桃を机上へと召喚し、その実へと手を伸ばしてみたい。

 この電脳上に敷いた占星術通り一番街「B112」
 ここでそんな神秘想に耽っている。

 鬼門の方に、鬼の出入りを確認と一報。

 さぁ、出かけよう、鬼門へと。
 壊された鬼門の鍵を付け替え、鬼祓いの旗を立てておく。

 しかし、その目印を見た鬼達は、片手に持つジャック・ナイフにて旗を切り裂き、論理的方法で鍵穴を破壊していく。
 そして、闇夜に街灯の下にてマントを翻して、足早に駆け抜ける。

 しかし、行方を推理し、先回りしておくことで、出くわした鬼達に、度朔山で摘んできた桃の花を一輪、差し出すのさ。

 桃の効能で、鬼門の死者の悪意を祓い、鬼門へと返すために。

 君の寝床には、(鬼避け用の)御守り刀は置いているか?

 要望あらば、虎に乗りて、桃の花を横笛にし、桃製の大麻を振りに向かおう。
 君自身が、悪夢を断ち切りたいのなら。

 歴史上、陰陽寮が、秘儀の書を省略化していった結果、錆び付いてきた占星術の奥義たち。

 その奥義を手探りで探るために、占星術通り一番街という空間を構築したい。

 電脳上に、建造する平安京を模した碁盤の目。
 縦九(の通り)と横九(の通り)とが交差する、新たな通りを。

 魑魅魍魎の徘徊する電脳上に新たな聖地を。
 その区画に天球儀と呼応する「天地相応域」をも築き、天地の調和を軸に、地の方を改造していこう。
 そして、理の道を進めていく。

 いや、その理は、私の関われる範囲を超えているかもしれない。

 だから、占星術通り一番街「B112」で、桃の香りを発するパイプをくゆらせながら、鬼門前に生えた木々の揺れのみを、当分は監視していることにしよう。

 そう、今日も鬼門をすり抜けてくる、鬼門からの使者たちと戦うために。


11月6日(月)赤口・己亥・七赤・除・張・華・土用明け (土用)間日

 菩提樹の花粉。大地に一つ。
 夢まぼろしを産む種は、しずかに落ちていく。

 菩提樹の花粉。大地に二つ。
 土から生まれた大樹が、母なる大地を癒していく。

 菩提樹の花粉。大地に三つ。
 風化した悟りの道。それを花粉が洗っていく。

 風の中で。
 冬木立となる菩提樹が、忘れられた道へと、何かを問いかける。

 道に耳を当ててみよう。
 未だ記憶されているであろう太古の声を聞こう。

 この世で見聞きしてきた概念を脱す新しい耳で。
 あたらしい耳を獲得するのだ。
 わずらわしいこと。それを禊祓い、削ぎ落として。

 あたらしい世界。
 二〇〇六年。立冬。
 花粉に包まり眠りに就こう。

 そう、古い概念を捨て、この耳にあたらしい音を注入するのだ。
 人を呪詛させる言葉ではなく、心洗う粒子の結合する相性良き粒子達の結晶の声(ことば)を。

 菩提樹の花粉。大地に一つ。
 夢まぼろしを産む種は、やがて人を育てていく。

 家族はやがて、別々の道を歩むようになるのだろう。
 だけど、この菩提樹の下でもう一度笑顔で向き合えるのなら、この手に受け止めた花粉の跡を、それぞれに見せ合おう。

 黒い(欲望の)霧が、人の心を呑みこみ、家庭とは常に火種を含んでいるもの。
 物理的な損得で人は争い、精神論は、余裕ある者でもなければ、信ずることはできない。
 
 良心との格闘を繰り返しても、それを超える聖者に達することは、容易ではないはず。

 人の心に燃え上がる怒りの炎。

 菩提樹の下で、もう一度、(家族間にて)契約をやり直せるのならば、公平な分配を約束し、憎しみの炎は消した方がいい。

 この世に生まれた時から、尽きることなき欲望。それが、互いを争わせ、弱い者は、駆逐されていくもの。
 だけどこの世には、温かい家庭もあり、そこには柔らかい風が吹いていることだろう。

 その風が大樹を育て、その花粉が、良質の人間を育てていくとするならば、腐った水を飲む暮らしはやめて、濁流から抜け出した方が、幸せは近付くだろう。

 汚れた手は洗えば落ちる。
 魂も、しかり。

 題「禊祓いをポップに」






2006/8/1~9/22

8月1日(火)友引・壬戌・五黄・平・室・心・大宮氷川神社祭・諏訪大社下社祭・水の日・(八専)間日・五相伝・スター・ウイーク(~7日)・アルゴルが極小
8月2日(水)先負・癸亥・四緑・定・壁・尾・鬼貫忌・青森ねぶた祭・八専終り
8月3日(木)仏滅・甲子・三碧・執・奎・箕・熊本八代宮例祭・秋田竿燈まつり・上弦・木星が月の北


 この街の「花火大会」の火には、伝統が息づいていますね。
 まず、総社市にある「鬼ノ城」で「魂火」を採り、ランプに移し阿曽姫が巫女をしていた阿宗神社(総社)で魂火に祈祷(火祭り)後、今度は吉備津神社の御釜殿の火と魂火を混ぜて4日金曜日PM7時からの花火大会にその火を使用し、さて開始です!



8月7日(月)友引・戊辰・八白・収・華・危・東京佃まつり・下関忌宮神社数方庭祭・鼻の日・土用明け (土用)間日水星が西方最大離角・きりん座Rが極大・84P/ギクラス周期彗星が近日点を通過
8月8日(火)先負・己巳・七赤・収・觜・室・旧お盆・木曽御嶽山御神火祭・己巳立秋(太陽の黄経が135°)土星が合


 百名山の一つ滋賀県「伊吹山」(1377m)へ。晴天。

 山頂にある日本武尊像に参拝しようとすると邪魔。

 なるほど、盆も近いし、ここは、荒ぶる伊吹神(白い亥)の方へこそ、手を合わせるべきという予兆かもと、脳を切り替える。

 像は無いものの、白い亥(神様)へと合掌。

 亥と、縁あるし、和気清麻呂を祀る(岡山県)「和気神社」で、昨年に得た天啓度数レベルⅢの天啓(モチ、自己解釈レベルですが)も踏まえると、日本武尊よりも、亥を崇めておく方が座りがいいと解釈。

 *伊吹山の亥とは、神の化身で、日本武尊も、ここ伊吹山で破れ、病死。

 しかし、麓の関が原の某寺院を参りつつ、魔を受けぬよう祓いをして帰宅する事に。

 ちなみに「伊吹山」山頂は冷房のような風が吹き付け、美しい花々による宴を堪能させていただきました。



8月15日(火)仏滅・丙子・九紫・定・翼・觜・終戦記念日・関西盂蘭盆・徳島阿波踊・一粒万倍日・52P/ハリントン・アペル周期彗星が近日点通過


 盂蘭盆の夜。

 四神相応の地に「紫微斗の園」を設けて、空から降る人々を待つ。

 一面に真菰を敷き、園の四隅には青竹。

 中央に置いた精霊棚に、天帝の子、(両手で巨大な子宮を抱える)天子の像を置き、四方を清めてから、個々の参列者が出会いたい人の「戒名」を書いた札を供えて、祝詞を読む。

 「一夜限りの降臨を」と唱え、「ひふみ祓詞」を唱える。
 その横で、行者が、十種神宝を模した十の道具を揺らしながら。

 人含道善命報名親子倫元因心顯煉忍君主豐位臣私盜勿男田畠耘女蠶続織家饒栄理宜照法守進悪攻撰欲我刪。
(ひふみよいむなやこともちろらねしきるゆゐつわぬそをたはくめかうおゑにさりへてのますあせえほれけ)

 左右には、かって西海の聚窟州に在ったとされる「返魂樹」を模した楓柏の木(特別香りのする木を選別)と、その根を水煮し汁から精製した「返魂香」を焚き、静かに精霊の降臨を待つ。

 斎明天皇の頃には、飛鳥寺の西方へと、宇宙の中心にあるとされる「須弥山」の像を建て、盂蘭盆会を設けたらしい。
 須弥山。周囲に在る七つの金山と鉄囲山を含み「九山八海」と言われた宇宙の中心を模す事で、盂蘭盆の夜、精霊を集めたというが、まだまだ材料が不足していたのかもしれない。

 私の思案した、この「迎えの儀」も、非力な儀式かもしれないが、こうして、精霊迎えの道具の再配列を試みるのも、意義が在ると、あえて胸を張らねば、唇噛み締め。

 時満ちて、天使の抱える子宮(天地の胎道)を潜り、精霊が降ってくれば、さぁ、会話に花を咲かせよ、待ち人達よ。

 一時の再会を、彼岸と此岸に「天の船」の渡される今日という日を、心残りなきよう、過ごせよ、祝え。

 題「新・盂蘭盆迎え儀式」



8月16日(水)大安・丁丑・八白・執・軫・参・京都五山送り火・箱根大文字・静岡三嶋大社祭・松島灯籠流・五相伝・下弦の月・おうし座ηの星食(札幌に出現)
8月17日(木)赤口・戊寅・七赤・破・角・井・滋賀建部大社夏祭・小つち・小惑星ケレスが衝・小惑星デンボースカが衝


 太古、大陸の周囲に、六十四の海があった(私的考察ゆえに真相は不明)。
 そう、大陸の六十四隅に、六十四個の穴が存在し、そこに雨水が溜まっていたのだ。

 その、今日ではもう境を失ってしまった六十四の小海の前に、六十四本の「返魂香」を焚いていく。

 海の記憶よ蘇れ。

 小海の跡の前で、碧い月から降り注ぐ雫を集めながら、舞を踊る。

 その碧が、「返魂香」の蒼い炎と同調し、時に月の骨をも燃焼させた。

 その炎が大気をかき混ぜ、やがて、月の記憶をも、幻として、大気中に映写していく。

 海の記憶よ蘇れ。

 今、六十四の小海に、六十四の月が映っている。

 天と地が反響し、世界の中心地である大陸の中央に一つの紋が浮かび始めた。
 そう、地震だ。その地震によって、黄色い帝国の中央部が変動し、その代わり、大地、その中心部に(白黒二色で知られる)陰陽紋が、生じたのである。

 一難後の、吉兆印。
 
 人々は、神亀縁起を思い起こし、その陰陽紋の土台を彫り、神亀像を建造した。

 陰陽紋を背に乗せる神亀を!

 すると、その周囲に六十四個の凹が生じ、雨が溜まると、自然と六十四の小海が蘇った。

 その水で顔を洗うと、きっと涼気が得られるはず。
 何故ならばそれは、陰陽の器。
 易六十四卦と符合する大地の海。

 六十四卦に神力を蘇らせる時が来たのだ。
 それは、吉兆の地で、吉年吉月吉日にのみ、約束された光り。

 やがて、海面から、月の姿は薄まっていく。
 代わりに、六十四の小海に、六十四の太陽が映り始めた。

 長い眠りの果て、六十四の小海(地)と、六十四の太陽(天)は、面と面を向き合わせ、長く封印されていた本来の力を再生させる準備に入る。

 封印されていた本来の六十四卦の神秘(ちから)を、再生させる朝を迎えるために。


 題「百二十八卦」



8月18日(金)先勝・己卯・六白・危・亢・鬼・伝教大師誕生会
8月19日(土)友引・庚辰・五黄・成・氏・柳・月の赤緯最北・小惑星インテラムニアが衝


 生命線の上に流れる小河は細く生命力豊かだ。何故なら、どんな消しゴムでも消す事が出来ないのだから。
 その上で踊る千の神。
 その手に邪気があるなら、疫病神がやってくるだろう。
 手の上に、火車が回っている。
 黒い乗り物が、人生の時間割りに割り込んでくる厄の時だ。

 手の平に付いた火は燃え広がり、脂を落とす以外、停める手はない。
 祓う道具を探しているなら、ここにある茅の輪製の扇を振ってみせよう。
 それでも駄目ならば、定めとして受け止める以外ない。

 手の上に走る線が、ターンを開始した。
 一筋の河は堰止められ、その中を流れる水は逆流を開始する。
 生命線の原点にあるであろう(私論ではあるが)胎動の入口へと人は還っていくのだろうか?

 人の亡き後に残るその線は、残された嘆きの壁。
 その手の上で破軍星が回転し、死を完了する黒い祝詞を唱えているのかもしれない。

 生と死の均衡が、鬩ぎ合う時を終えて、魂は身体を離れる。
 分子レベルに凝縮された高データを内臓する魂が、生命線の原点部に存在する胎動へと戻り、黄泉の扉を押し開ける。

 二つに分かれた河があり、役人から手渡された指示書に書かれた船に乗り、人は天国行きか地獄行きの二つ、いやそこからさらに分離した百通り、千通りの河の支流を渡り、千万通りの行き先へと渡っていくのかもしれない。

 楽しくやるなら、船上で、カードゲームに興じよう。
 船から降りて、河の中で河童になることは不可能だろうか。
 そう、人は死んでも欲望を越えることなどできない性分。

 三つ子の魂は、果てしない。

 だけど船の上での楽しみ方一つで、命運は変わるかもしれない。
 この瞬間に、悔い改めれば、この地球上から戦争もなくなるという論理と同じで、瞬間、瞬間の改心とは、天国にいようとも地獄にいようとも、通知表を書く者の目には、必ず留まるはず。

 命は、凝縮された記憶を宿す化学物質となろうとも、人間という集合体であろうとも、どれだけ想像でき、どれだけ全体を考えて、行動できるかで、確かにどんな空間であろうとも住みやすい環境にはなっていくもの。

 そう、特にこの世は神経という縛りのおかげで、人は常に平常心ではいられないから、その上に重荷が足し算されていけば、色々なことに背を向けていくもの。
 だから、人に安心を与えられる人が政治家になる論理が生じ、人は、他者の心の余壌に、自身の裸の心を寝かせていくもの。

 河の途中で、船の点検ができる技術者は、やはり周囲から感謝されるだろうし、壊れた船を修理すれば、役人も、待遇を改善してくれるかもしれない。

 三途の川をクリーンにする漫画を船の中で書いて船員を啓蒙し、川掃除をして、功労賞を貰って、地獄行きの者達の刑を少しでも減らしてもらおう。

 人を救うのは知恵である事に気付けば彼等も、生前、知恵ある者に耳を傾けなかった事を悔やみ、その悔やみから、知恵を得るだろう。

 船の中で個展をやろう。だけど騙し絵だけはやめた方がいい。
 芸は身を助けると、重宝される可能性もあるかもしれないが、トリック・アートや抽象絵画の運動をした結果、乗る船を格下げされたら負担増だ。

 船の中で音楽を演奏し、役人のご機嫌を取ろう。あるいはずっと船に居たいなら、上等な船舶免許を見せて、自身が舵を取ればいい。
 霧の多い回路を通り、漂流船として、彷徨い続ける。

 人の延命効果など私にもわからない。
 ただ、掌の中に縁起陣を作り、四方に豆と塩を付ける儀式を頻繁に行ってみてはどうだろう。

 方法は、天地人。そして時代によって新しい技を思案していけばいいじゃないか。
 そう、私の方法は、既成の論法に一工夫を添える私流。

 手の平に黒い霧が掛かってくれば、掌の上を漂う空気を逆流してみるというのはどうか?
 そのまま時間まで逆戻しすることが可能かどうかはわからない。
 だが、人間の体内にある羅針盤とも呼べるこの掌を清め、陽へとかざそう。
 そうやって、邪気を祓いながら、掌上に縁起陣を敷き、その線上に幸運の鉄道を走らせよう。
 
 そして、その掌に、七福神を招きいれ、生命線上には寿老人と福禄寿の御殿を建てて、そこに住んでいただこう。
 すると、生命線そのものが、寿の紋を刻む、あるいは寿老人または福禄寿の形となり、その加護により、短くとも後天的な寿効果が成されるかもしれない?

 続けて、頭脳線、商売線には恵比寿、大黒、天布袋を。感情線には、感情抑制を意図に毘沙門天を。
 結婚線には、弁財天に住んでいただこう。

 そう、紋は囁く。
 神が降臨するサインを宿した紋は、静かに。


「新・占術理論体系『三途縁起 ~紋は囁く~』」


8月20日(日)先負・辛巳・四緑・収・房・星・鎌倉宮例祭・不成就日・はくちょう座流星群が極大・カシオペヤ座Vが極大
8月21日(月)仏滅・壬午・三碧・開・心・張・水星が土星の北・アルゴルが極小

 パンドラの箱が開かれた時、もし箱が二重、三重となっていたら、どうだろう?
 そこから飛び出した悪魔たちは、幻となる。
 本当の箱は、開いた箱の中に納められているのだから。
    (パンドラは叙述を仕掛けたのか?)
 
 そう、パンドラは、箱を開くことで、人類に教訓を示したのさ。
 それは、嘘という名の薬。(舌を)ぺロッ。

 だけど、パンドラの箱は、もう一つある気がするんだ。
 何故って、この相対世界で、悪のみを閉じ込めるのは全能の神のすることにしては不自然な気がするからさ。
 善を閉じ込めた箱もどこかにあるさ。

 かぐや姫の望んだ五つの宝。

 仏の御石の鉢。
 蓬莱山にある珍しい木の枝。
 中国にある火ネズミの皮衣。
 龍の首にある五色に光る玉。
 燕の持つ子安貝。

 そこに、六つ目のお宝「アナザー・ボックス」(もう一つのパンドラの箱)が加わるかもしれないと考えると、ドキドキしてこないかい?
 
 謎とは、人の冒険心をくすぐる素敵な媚薬。
 新しいストーリーは、読者を虜にしていく砂糖壺。

 あぁ、〇六年八月二十二日という、土星と海王星と木星のTスクエアのうえ、水星が土星と重なるという稀にみる天体配列の日。

 二十一世紀のかぐや殿は、六つ目のお宝を望みたいと、ここに宣誓す!

 宇宙のあらゆる善意と幸運を閉じ込めた、もう一つのパンドラの箱を。

 星の導きあるなら、開けよ、その扉よ!

 題「ダブル・ボックス」

9月3日(日)大安・乙未・八白・閉・昴・斗・不成就日

 戦争が近付けば、神は〈岩戸に〉隠れていく。
 伊勢そのものの表情も曇ることでしょう。
 曇った鏡〈神鏡〉には、きっと神は宿らない。
 あの(伊勢神宮の)神々しく神秘的な空気も、濁り、病んでいく事でしょう。

 理で考えれば、反論もあるかもしれない。
 だけど、肝心なところは本能こそ、真実を嗅ぎ分けるもの〈真の知〉であるはず。

 神鏡といえばこの間、家の守護用と新店用に「御神鏡」を二つ購入し「御神鏡」に神力が宿りますよう、入魂の儀を吉備津神社に参り、行なった帰り道、ふと背後を振り返ると神社方面の雲から、神々しく立ち昇る龍のような夕焼け雲に遭遇し、驚き急停車。
 余りの絶景に、しばらく眺め手を合わせる事に。
 
 祓い道具として特殊な「扇」も購入し、その扇にも神力が宿りますよう、入魂の儀を別の日、今度は、〈相生の論理から〉その扇と相性の良さそうな某神社にて行い、自身の占術空域に、聖域を構築する計画を推進。

 やはり、確率的にお悩みの多い方々の来訪が多いものですから、その魔祓いをする道具にも、神力が宿らなければ、道具の発する力の効力は弱いもの。
 そう考え、私的儀式を実践。

 陰陽の理を最高のレスポンスにて神的表現することを意図に、私は新しい方法を思考し、その道具を用いて、私に望む人達の心を、洗っていこうと思っています!
 
 この世界は、悪意の檻で四方を閉ざされた押し合いの空域。

 そのパラドックスの壁、そして縄を、祓い道具、覚醒道具で凹凸を付けていき、この日常の中で、思考改装運動の火を点け、祓い道具を片手に、固定観念との闘争を行っていかねばと、私は思う。

 世界のルールは、大局的に、人を病ませていく方向に向かっているだけに、とにかく、個レベルでも、一国という四方の中に、自身の身を置く小四方を構築し、正常かつ自然の理と呼応する生き方を考える思考の新域を生み出せたら、人間は、今よりちょっとだけでも人と上手くやっていけるはず。

 何故なら、平和とは尊いものだから。
 失わずとも、それに気付ける思考を育てる思考の新域を、あなたも、自身の四方に中に、産み、育ててみては?


9月9日(土)大安・辛丑・二黒・定・柳・奎・(新暦)重陽の節句・救急の日・月が赤道通過


 菊月に菊の家紋に雨の打ちつける。
 菊の節句に争いの種。
 前日の節気「白露」に、満月が重なり、月を食う部分月食(さらに月は最地球に最接近)。
 皇室の親王誕生は、未来に起こる喧騒の予感。

 男と女の地位についての論争が始まるのだろう。

 運命の順番を誤ったのは、おそらくは皇太子。婚姻の選択時に相手を間違えたばかりに、運命の配列の順序に狂いが生じた?

 子供の生まれる性、順序に定められた運命の配列は軌道を変え、王家の力関係は逆転していくのだろう。(定めの相手と結ばれていれば、人相は皇太子と同じ顔の女子ではなく男子が生まれていたのではと過ぎる?)

 誕生の影に起きた月食はおそらくは凶兆。

 地震か?皇室の未来の波乱の種。かっての陰陽師なら、どう読むか?

 平安の再生す平成京の歴史の中で、時代の変化が天文に、そして、地の象に生じ始めた。

 九月六日。戊戌の五黄。まさに、(中国の)皇帝の地位の縁起となった日と符合する土の王を示す日。(戊戌の五黄=羅盤の中央の中央=王の座)
 王の誕生日。 
 それだけに力関係は逆転するサイン。

 そして、待ち受けるは、女帝誕生への大論争……。
 そう、皇室は喧騒の星を内側へと抱えてしまったのだ。
 皇居内の〈秘〉陰陽師も悟っているはず。

 人は歴史に学ばない生き物。
 だからこそ、過ちは繰り返される。

 王家の跡目に男子が生まれぬ時世、歴史を振り返っても、兄弟は争い、さらに、二人の跡目の背後に立つ二人の黒衣の宰相が、双方を弁護しつつ台頭し、喧騒していくのが、悲しきかな、歴史の性……。

 国の乱れは、近付きつつあるのかもしれない……。

 それが私の視点。

 何故か、九月六日。最悪の目覚めで起きた……その理由は何かと、考えた挙げ句の縁起談。

 同時に思うは、皇室の方は、国民の父母として、減税策を提案していただきたいという思いも高まるこの頃。

 増税、高騰する燃料費。下は圧迫される中で、減税案を思案して欲しいところ。

 皇室に子が生まれれば、それを養うのは、何故か国の子供達なのだから。
 親なら、新しい子育ての資金政策を考えていただきたいところ。

 皇居内で野菜栽培なり、何らかの生産を行い、税金に頼らずに、新たな収入源を確保する新しい思考を。
 三皇五帝の三皇の一人「神農」さまに倣い、農耕を人間に教えた縁起を享受して、新しい生活の方法をご思考願いたい。

 人間は平等ではないから、下の人間は鞭打たれるのが慣わしのこの世界で、時に生まれくる知恵者が、世の人を導き、その時にのみ少しだけ法律が変わる時があるように、下の人間たちを救うのも、きっと思考の賜物。

 国の子たちである国民を愛し、敬うという新思考は、きっと、日本を救うはず。
 そして、それを教え、まずは、お手本を見せてみられるのも、親の教育方法として、妙案なはず。
 自然界の理を純粋に見つめる瞳があれば、誰しもに見えてくるはずの愛の理。
 そして、愛はいつか、君をも救う。


9月10日(日)赤口・壬寅・一白・執・星・婁・三隣亡・おうし座λが極小・アルゴルが極小

 文章研究会「ライター会議」旅行。一路姫路へ。
 姫路にした理由は、「Yカフェ」のオーナーとの不思議な縁に導かれたからかもしれませぬ?

 昨年八月、(亀の名を持つ政治家を擁護する)「亀論」を書いた翌日、浦島伝説のある渋川海水浴場へと招かれた私。そして、その直後(海亀のいる)「玉野市海洋博物館」「玉比咩神社」を参った時、これは亀の導きか、ここはある種の「竜宮城」かと喚起!

 そのピタリ一年後、姫の名を持つオーナーの店「Yカフェ」にて、新たに仕事を始める事となり、これは亀の導きかと思った?(一年前に亀を助けた縁で、ここへと導かれた?)

 ひょっとすると、姫の姓を持つオーナーは、私に夢を与えて下さる乙姫様なのかもしれない?

 と言うことは、もし玉手箱を手渡されたならば、開けない方が無難。

 世の中は、土地の神様が人間の配列を管理していると思うだけに、今回は姫の路を訪ねる事により、その地と霊的交渉を行ったのかもしれない?

 「姫路美術館」「姫路文学館」
 「姫路神社」「千姫天満宮」を参拝



9月18日(月)友引・庚戌・二黒・除・心・柳・敬老の日・京都豊国神社例祭・おうし座λが極小
9月19日(火)先負・辛亥・一白・満・尾・星・不成就日・かんむり座Sが極大
9月20日(水)仏滅・壬子・九紫・平・箕・張・彼岸入り・八専始め
9月21日(木)大安・癸丑・八白・定・斗・翼・(八専)間日・おうし座λが極小
9月22日(金)友引・甲寅・七赤・執・牛・角・(旧8/1)新月・旧八朔・三隣亡・金星が月の北・月が最遠・月が赤道通過・金環日食(海外)


 魔と戦うために新しい御守り数点と新アイテム「火打石」を購入。
 私のお店に来られた方は、帰り際にカチッと魔祓いをしてあげます。
 歴史ある人物由来の伝統的な扇と共に祓い道具として、七つ道具に数え、ミニ蔵(鞄)に安置。

 さて水晶、「八卦鏡」の凹鏡と凸鏡も再起動させて、厄との闘争期に突入。

 「Yカフェ」にある「幸福の樹」をこのお店の御神木にするプランを遂行中。
 来客された方は、二拝二拍手一拝して開運祈願されたらと思います。

 ゆめカフェ仕事日のエピソード。


 仕事日の前日、鳥がある物を運んでくれる夢を見て、翌日オーナーにそれを告げると、ちょうど(私の母方の先祖のいた)佐賀県にある日本三大稲荷の「祐徳稲荷神社」で元旦に頂いた御札があるというので、私の席付近に安置してもらうことに。

 これはよい予兆だと思う。

 妙な事に、その置いた隣に鳥の置物があり、夢の鳥はこの鳥だったのかもしれない!と(鳥に縁あるだけに)膝打ち!

 これはある種の守護として自身に運を与えてくれる予兆かもしれない?

 霊をも斬ると言われる「七星剣」も入手し、開運の儀式を行う事に。

 縁起の遍路の如く、縁起道を歩き、魔に満ちた過去の霧を七星剣にて祓う。

 占術を離れ、唯物論的に考えても、人間、物事が上手くいかないのは、世の中と自分の思考が悪い因子で成立されているから。

 ならば、悪い因果を切り離し、幸福の風の吹くラインを不完全な会社のルール、マスコミ等には惑わされることなく、見極め、その方向に舵を取れば、軌道修正されるはず。

 この世は、太古からの正攻法と祖霊達が定着させたラインが、保守的に継続されているとしか(つまり以前、世間に逆らって生きてきただけにそれを痛感)思えないので、その目に見えぬ祝福のラインと、崇りのラインを見極めた者が人生の勝利道を進めるのではないだろうか。

 最近、自身の生の手法が構築されているだけに、(方法論という観点からも)今後、更なる良質の方法を摸索し、拾うものと捨てるものとを見極めねば。

 そう思う秋分前夜。



2006/7/1~7/31

7月1日(土)大安・辛卯・九紫・収・女・軫・富士浅間大社山開祭・国民安全の日・大阪愛染祭・不成就日・五相伝

 この間。吉備津神社の御神鏡から光が発し、自分の元までレーザーのように届く夢で目覚めた。
 あの夢が何の暗示なのかはわからないけれど、その前日に「山水龍」という水晶をつかむ縁起物の龍の像の掃除をして、水晶と龍の詩を詠んだ翌日ぐらいだったから、何か因果があるのだろうか?

 さて、昨日その吉備津神社の「大祓い大祭」へ参列してきて、途中小雨が降りだしたので、ある(某教の教祖の残した)雨止めの和歌を唱えていると、小雨になり、ホッ。
 モチ、神職の皆様の徳もあり、止んだのです。きっと。

 晴れて何より。

 さて、本日は劇的集団「転機与砲」の「レッド・ドルフィン号」を観劇。

 
7月2日(日)赤口・壬辰・八白・開・虚・角・半夏生(太陽視黄経100°)奈良竜田大社風鎮祭・福井永平寺大布薩

 魔をも斬るという霊剣「鬼丸国綱」
 その剣は、秀吉家康を経て現在は皇居に存在するという。
 皇居には、魔を寄せ付けぬ神の神器が守護をしているため、その論理から、沈むことのない最上の城として物理世界での最高の座を保っている。

 だが、こうも考えらないだろうか?
 「鬼丸国綱」の対となる盾が存在し、尚その剣と相性の悪い剣が存在すれば、剣は折れるかもしれない?

 そこで、相性という観点から、「鬼丸国綱」は、鬼、東北に強い剣と仮定義してみよう。
 となると、鬼門を封じる力。

 だが、東北=土の気ゆえ、木の気を持つ剣には負けるかもしれない?

 そう、霊をも斬る剣だ、陰陽の理屈が、そこに秘められているかもしれない?

 この国は、誰の国?

 皇室人が日本の父なら、子供のために、護りのフィールドを広げるのが親心では?

 そう、皇居という枠から、護りの神器を日本列島の主に鬼門に鬼門守護神社を設け、そこで魔を断ち切る愛が欲しいところ。
 それが、国の父親の行う国策であって欲しいと、私は時々思う。

 日本の父が、心が狭いと、子供達も真似をするだけ。

 広い皇居の中、その何分の一でもいいと思う、恵まれぬ子供たちのために、その中に孤児院や、老人ホームを建造していただきたいと私は思う。

 千年後の「新古事記」には、そんなエピソードが書かれているかもしれない?

 人は、歴史と伝統の模倣しかできない新しいシステムを思考できない生き物。
 だから、天才的な政治家か、博愛の心を持つ国の主が登場しない限り、新しい国策モデルはきっと登場しない。

 話を戻し「鬼丸国綱」を百八分割し、霊剣に潜む百八の霊が世界へと飛来。
 その霊を集める姫物語という案が浮かぶ。
 そう、新「里見八犬伝」。

 物語はよいとして、巨大な霊剣モニュメントを、国の鬼門に置き、魔を威嚇してはどうだろう?

 E・ケイシーも日本は沈没すると予言しているし。
 地の断層に供え物をし、海底、地中神に救いを願おう。

 鹿島神社には、日本国をとりまく龍(後に鯰に転化)を鎮め地震を抑えるという「要石」が存在するという。
 要石を増やすか、巨大にし、さらに霊的な呪文を書き込んだ巨大要石。
 それを地下に配置し、地の神に地震避けの祈りを捧げよう。

 「ゆるげども よもや抜けじの要石 鹿島の神の あらん限りは」
 地震止めのその和歌も、口ずさみながら!

 そこで一思案。「鬼丸国綱」は魔をも斬る霊剣だ。
 地震の根を抑え、命脈を断ち切る霊剣が存在しないだろうか?

 どこぞの「かぐや姫」が、それを取ってきて欲しいと願えば、冒険者は現れるかもしれない?
 人間は、需要なければ、体を動かすことはないゆえ。

 松下幸之助のいう「二階へ上がりたい意志があってこそ階段が生まれる。上がっても上がらなくてもどっちでもいいと思う人には階段を発明することはできない」という言葉どおり、革新は、信念がないと生まれないもの。

 陰陽の論理は、国の歴史で、霊的世界の方も馴染みある風習。
 人が、手書きからワープロにそう簡単には移行できなかったように、人間は愛着あるものからは、なかなか遠ざからないもの。

 ゆえに、その論理から、陰陽の論は、霊的世界にも届く。
 その式が成り立つはず。

 ゆえに、地震抑えの要石も、皇居が戦中に破壊されなかった事実も、霊的な御加護が背景に在るはず。(米国の「国の長を無くすと国民が混乱し、死に物狂いで突撃してくる」可能性から、その方が、被害が多いと判断し、皇居を破壊しなかったという米国の政策もあるとは思うもの、大戦で破壊されなかったのは、皇居の風水的配置、魔除けらを排除する縁起のよい霊的な神器が数多く存在していた可能性も高いと私は思う)

 天地崇拝の儀式をする、儀式者としての保守者という観点からも、その信仰心によって、霊界から、皇室の方々は守護されたのかもしれない?

 ならば、庶民でも、儀式を重んじ、崇拝の祈りを捧げ続ければ、そしてある形式と、神器のような守護的アイテムを持てば、守護力も高まるはず。

 戦中の思想は狭く、軍事的な思想に傾倒しすぎた。
 だから、普通なら、その反省から国家の長は出家すべきだったとも私は、思う。

 だけど、霊的世界の長者たちは、皇室の方々の儀式、祈りの形式の継続、その儀礼から積もった預金に対し、呼応、返答するために、守護へと回ったのではないだろうか?

 庶民では祈りの継続は難しいだけに。

 魔を家に入れないという伝統。それは皇居の陰陽的論理に学べると思うし、その方法で魔を斬れれば民も霊的世界の恩恵を得られるかもしれない?

 おそらく皇居には、歴史的な縁起が積もっているはず。
(今度の彼岸の日に、天海僧正に聞いてみたいと思うほど……その波を拾う事など不可能だとしても)
 警視庁も、皇居をブロックするように建っていますし。
 それぐらい、あの土地は、霊的にも物理的にも護りの要石で守護されている強い守護のある地。

 その分、厄は全て、その外に祓われているのも事実。
 
 だから、ストリートの厄を祓っていかなければならない。

 国の霊的理論の再構築の時が迫っているのかもしれない?

 魔的空気が浮遊する主に都会に、心の清掃員の登場する日を、待ち望む人もいるだろう。

 そして、そういう道も増えれば、ツキも増えるかもしれない!?
 その道で会った人の掛け合う合言葉は、「幸運は、近付いた」

 と、この文を読まれて何かが足りないと思われた方、それは一理あります。
 そう、私には説得力が足りない。

 私はプランしか思案できない。。
 それに、政治演説なり、そういう国を考えるサイトとかの管理者でもなければ、どんな論も、説得力が一匙足りないもの。
 だけど、プランを思案するには、ある程度の枠払いが必要で、理論構築も、こういう自由度のある土壌で思案する方が、自由な発想が生まれるかもしれません。

 まだまだ五芒星庵の中の小理論ですが、今後とも、発想力は磨いていきたい五芒星H・Oでありました。

 そういえば、(賛否両論あるもの)多くの国策を立案されてきた地元一の出世者である岡山の龍がこの一日、お亡くなりになられました。
 ご冥福をお祈り申し上げます。

7月3日(月)先勝・癸巳・七赤・閉・危・亢・十方暮終り・天一天上・一粒万倍日・月が赤道を通過
7月4日(火)友引・甲午・六白・建・室・氏・天赦日・一粒万倍日・上弦の月・地球が遠日点を通過・水星が留
7月5日(水)先負・乙未・五黄・除・壁・房・栄西禅師忌

 某神社にて乾坤鎮めの祈願。

 さて、この間。皇居の運の話を書いた時、妙な気がしたのですが。(さらに自分の体にも異変が)
 オリラジのパラシュート着地も、同日とシンクロしましたし。
 奈良の古墳にも黴。
 もしや、古墳を発掘した数名がS47年を機に、(わずか数年内に)次々と突然死(事故、病気で)していったという事実は、霊的な呪もあるかもしれませんが、発掘すると、黴が来て、古墳が破壊される。
 その未来図を、霊的世界の方から警告しようとしていたのかもしれません?

 第一「高松塚古墳」のある四四四番地という番地自体、気持ちのよい数字ではないし、S47年5/21を機に、計5名の発掘関係者(しかもお偉方)が亡くなっていったという摩訶不思議な逸話は。
「古墳を暴くな」
 そんなメッセージだったのではないでしょうか?

 私は、キトラ古墳&高松塚古墳は、日本の鬼門、受難地を守護する霊的な装置ではないかと思うだけに、それが黴で破壊されている今。

 まさに、そのバリアを超えて、鬼が、呪が外部から入り込みやすき時ではないかと?
(それは牛と虎が弱くなった頃から始まった。日本では、狂牛病、バッファローズ消滅。最近では阪神の受難。
 何故ならば、牛と虎の語を合わせた丑寅と鬼門は、同語ゆえ)

 それに七の月。これも気になる。(99年ではないものの、今年の7月は、土星と火星と海王星の関係が悪いし、火星と土星が蟹座にあって、蟹のハサミで、何かの縁を切ろうとしている予感も過ぎるし……)

 総じて、日本の鬼門が破れ掛かっている時期。そんな兆候があるのではないかと?

 ただパラシュートもミサイルも、着弾地点は北東ではなく、西寄り。(北西と南西)

 北西の呪なのだろうか?
 ただちに、鬼門及び裏鬼門(北西部)守護強化の儀式が必要な気が?

 十種神宝を手に「ひふみの祓」を唱える儀式を始め、列島の浄化、鬼祓いの儀が。

 一二三四五六七八九十 布留部 由良由良止 布留部。

7月6日(木)仏滅・丙申・四緑・満・奎・心
7月7日(金)大安・丁酉・三碧・満・婁・尾・七夕祭・奈良蔵王堂蛙とび・小暑(太陽黄経105°)一粒万倍日・木星が留・P/1999X1ハウ・ベル彗星が近日点を通過

 流浪の民の片手に持つブルー・ノートは、青い炎を揺らめかせている。
 調度、中間地点にある炎の頁は、いつまでも燃えながら青い言葉を奏で、常に新しい言葉を生み続けている。

 それが冷えた時、青い果実は、頁の中で結実する。
 その実の名前は詩。

 その実を食べた者は、我が青き魂と、魂を共有させながら、月光の下。

 青の詩を、セッションす。

 流浪の民の片手に持つブルー・ノートは、青い炎を揺らめかせている。

 その炎は、遠くエデンの園を焼いた時の残り火であることなど、誰一人知る者もなく、今日もその炎を小さくさせながら、その灯火のような火は、少しずつ消えようとしている。

 いや、消せるものなら、早急に消してしまう方が楽なのだ。
 それは、己の罪をも焼く炎なのだから。
 手放す方がきっと楽さ。

 流浪の民の片手に持つブルー・ノートは、青い炎を揺らめかせている。
 もしかしたら、君の心の中にも残っているかもしれない。
 人間の証を物語る、我が炎と同質の青き炎が。


 題「残り火」


 心のブルー・ノート「夜想」開催。
 さて、「あなたが今、話したいこと、聞いて欲しいこと」
 皆さん、やはり、お話したい事たくさんあるんですね。
 まず読書家Kさんの、親友を失ってからの喪失感のお話から、皆さんの体験談など。色々と出まして。勉強になりました。三回目のお二人も「とてもいい場所で、勉強になります。こういう今までにない場への参加は、非常に刺激的で、生きがいになります」
 こちらこそです!

 途中、幅広い教養を持たれるOさんのジェンダー・フリーの話が発展していき、話題が政治寄りになってきたので、少し揺り戻しに掛からせていただきましたが。
 理由は、ここでは、できれば自分が実感する(自分の感じる)こと、等身大の生活者として自身が思うこと、自分で頑張れば解決できる事らを、取り上げていただきたいと思いますので。

 理由は、例えば法律問題となりますと、政治家でもないと変えれない。
 つまり、民では手に負えないですし、この場では、テーブル不足。

 そして、そうなりますと、すでに生活という場を遠く離れていきまして、机上の空論になりがちでしょ?
 実感する話ではなく、理論的な話になりますので。

 知識だけが先鋭していき、皆の感情や、思いは後退すると思うんですね。

 あるコミュニティで、「皆で清掃しよう」と、手を挙げた人がいるとします。そして、その日も初めから決まっている場合。
 このケースでの清掃活動は「命令」による清掃で、個々の問題は、後退するわけで。

 できれば、その場合の議論の際は、テーブルで語る言葉は「皆で清掃したいと思います。そこで皆の都合を」
 そう言って、それぞれの生活、その都合を考慮しながら「対話」
 そこから入ると、誰もが納得できると思いますので。

 でも、法の改正問題は、ここで話しても、私たちの意見は、国会には届かない。
 つまり、参加する機会も(一部以外には)与えられませんし、お呼びもない。
 それが前提。(以前、議員の方の参加もありましたが。なかなかここでの会話が市政、県政の叩き台にまで上がるのは難しいでしょう。いや、私の志が低い?話を戻し)

 そう、清掃しようと呼びかけるのは、その地域、いやマンションとか団地とか、その一地域の問題で。
 別の地の人には、実感はなく、その話題には、リアリティを感じられず、皆、そんなことより、今は我が家、我が団地の話題が優先。

 だから、私は今日は、できれば自分が実感するリアルな話をしていただきたかったわけです。
 そして、実感できることは、やや遠距離の政治問題とは違い、生々しいほど近距離ゆえに、個々が真剣に考えて、打開策を思案しているはずですから、こういうテーブル・トークの場にて、話してみると、何かが見つかるかもしれません。

 さて、最後に、意外な参加者であり、このサイトを時々拝見して下さっているという「山陽新聞」のYさんが、面白いニュースを運んできて下さり、意気投合!



7月8日(土)赤口・戊戌・二黒・平・胃・箕・大津三井寺札焼・文殊会

7月9日(日)先勝・己亥・一白・定・昴・斗・鴎外忌・浅草観音ほおずき市・京都徳風会傍系供養祭・不成就日

某研究会出席。

7月10日(月)友引・庚子・九紫・執・華・女・浅草観音四万六千日・月の赤緯が最南・ペガスス座Sが極大

7月11日(火)先負・辛丑・八白・破・觜・虚・満月・くじら座Rが極大

7月12日(水)仏滅・壬寅・七赤・危・参・危・草市・福島・伊佐須美神社田植祭・成田山開山忌・海王星が月の北・小惑星ヒギエアが衝

 11日に起きた「インド・ムンバイの鉄道」施設連続爆破テロ。
 インド、そして中東で起きるテロには、法則性があるので、まだ先読みが出来ると、私は思うのですよ。
 これが日本で多発する知的犯罪、無差別犯罪だと、事情は違いますが。

 では、今回のインドのテロの何処に規則性、法則性を私は見つけたのか?

 それは何度も取り上げている月のサイン。
 11日は「満月」でしたから。

 何故かイスラムの人々は、満月の夜に固執したがる傾向が存在。
 そこから、テロは満月(新月)と、節気に起きやすい。(私が発見したテロの法則)
 火星、土星の関係性も見方しているでしょうが。冥王星も。
 辛の日だった事も一枚噛んでいる?

 しかし、これだけ無残なテロは、二度と繰り返されない事を、心から願いたいです。


7月13日(木)大安・癸卯・六白・成・井・室・精霊祭・東京靖国神社みたままつり・海王星が月の北・小惑星ヒギエアが衝
7月14日(金)赤口・甲辰・五黄・収・鬼・壁・熊野扇立祭・月が最近・小惑星アンフィトリテが衝

7月15日(土)先勝・乙巳・四緑・開・柳・奎・孟蘭盆会・天王星が月の北・ペガスス座Vが極大

 この水晶製の羅盤からは血が流れている。その色は高貴なる紫。
 怨霊の巣食う土地に、羅盤を持ちて入り込み、そこで唱える「延喜式」八巻「東文忌寸部献横刀時呪」(祝詞)

 結果。羅盤上の鬼門。その一角から、紫色の血は滴り落ちる。

 それは、鬼門の前で行う聖戦「大幻魔大戦」

 羅盤の鬼門位置に装備した十種神宝の一つ「八握剣」が、鬼の剣と火花を散らし、最後の最後で、土地を魔の杜へと変えていた元凶である鬼の首を斬りおとす。

 鬼の宿る土地で、聖戦を終えた後。

 羅盤から血が滴るのだ……。
 だから、傷ついたこの羅盤の鬼門部位を禊祓して清め、鬼を討った剣を、羅盤内へと仕舞いこむ。

 その血は、未だ物部から受け継ぐ(物部の祖神饒速日命の伝えた)十種神宝の内側に流れる血かもしれない?

 あぁ、乙巳の変(大化の改新)よ、物部の神器はその瞬間、再び聖なる輝きを取り戻した。

 しかし、剣は戦いを招き、それはどこまでも連鎖していき、止まることはない。

 今日も、鬼の住む土地で聖戦を行い、八角形の聖器「羅盤」には小傷ができてしまった。

 吾は、世の中の土地の相の被る仮面を剥がし、素顔の鬼を暴く鬼門聖戦士。

 白兎馬という機械馬に跨り、幻魔と向き合う聖影の使徒。

 今日も、祈りの護符を滅びの家(の鬼門)へと張っていく。

 魔笛を封ずる聖笛を吹く孤独な道化師。
 
 ~乙巳の夜に~


 題「紫の血」



 
7月16日(日)友引・丙午・三碧・閉・星・婁・盆送り火・やぶ入り・国土交通デー・京都松尾大社御田祭・岡山最上稲荷大祭・広島素盞嗚神社祇園祭・九州小倉祇園太鼓・一粒万倍日 ・三隣亡・月が赤道を通過

 人間は何処から来て、何処に行くのだろう?
 この間、ある霊能者の方と話す機会があり、「あなたは、前世で占いの仕事をしていたと思う」と言われて。
 今、している仕事を、生前にもしていたのか?戸惑い、驚いた私。

 ただし、前世を証明できるか否かという問題は残りますし、何処でどんな風にという答えはない。その情報は点であり、線でなく、一つの限定された職業を言い得ただけで、その背景(に関して)は何も無い?
 ひょっとすると、私の風貌、雰囲気等から、単なる閃きを口にされただけなのかもしれない?

 そこから、実は「今……」という話になったわけですが。

 ただし、人間は科学の発展と共に、(人間単位で)原子分解と、原子合成を大気中か、限定された特殊カプセル等の中で行える時が来るのでは?
 と思っている人間なので(つまり、人間の再合成理論が、将来実現されると思っている信者であるわけです。結果)、霊的世界も、科学的にも裏打ちされる時が、遙か遠くの未来にはやってくるとは思っているわけですが、現時点では「在る」という予見の域は出てはいないわけです。

 しかし、前世というものがあるのならば、自分はどこにいて、何をしていたのだろう?

 ある人の説では、魂は複数の集合により、何人かの人間が一人の人間として人は来世で誕生していく。そんな風に説かれた人の著書を目にしたことがありますが。
 この説、一理あるという域に届くかまではわからない?
 半里程度?
 第一、そこに親の遺伝子も絡んできますし。

 私が以前記事で書いた「宇宙論」では、ある基準にて、人は、パーツを与えられ、生まれる地に、個々の功績等により、振り分けられるのでは?
 そんな自説を書きましたが。

 しかしそれは、理論。であり、その個々が、前世でどこに住み、何をしていたかまではわからないのですね。(現在の姿から、推理程度は出来ても)

 話を戻しまして。
 複数の魂が統一された場合。ひょっとすると分裂症になる恐れもあるでしょう。

 だけれど、人は誰しも、夢を見るし、その中でも特別よく見る(行ったことのない古い時代の)光景とは、もしかすると過去に自分が住んでいた土地かもしれません?

 ただし、その土地が複数ある方は、確かに複数の人が集合して生まれてきた人間だと「仮定」できるかもしれませんが、その数が少数のケースの場合。

 例えばいつもアルプスの山脈が登場するとか、いつも異国の海岸の風景ばかりが登場するとか。(無論、映画とかに影響される以前から、さらに、その印象的な風景が風化した後でも、立て続けに見るなど)風景が限定されている方は、複数の魂の集合ではなく、一つの魂の再合成として誕生するのでは?と、論理的に考えられるのではないかと思うわけですよ。(前提として、前世が存在すると仮定した場合の話ですが)

 ガンジスの淀んだ黄色い川と、アフリカの踊りを日替わりで見る場合は、複合する魂の数は二つ?
 でも、それも珍しく、そういう奇妙な取り合わせは、逆に後天的(映画等)な影響かもしれません?(やはり、自然な結合というものがあると思いますし。水と油のケースはあっても少数?)

 さて、そこで私がよく見る光景や、妙に惹かれるものがあるという実感の話に移りましょう。
 東洋と、西洋。二つ存在するので、一つには絞れない点は、残念。
 だけど、比率はやはり東洋が多い?
 ある革命運動をする風景や、何か世の中が大きく動いている時代の光景が多い気が?
 それは東洋では、中国と日本でしょうか。

 時代はわからない。ただ平穏な光景よりも、行進する集団。シュプレヒコールなのか何かわからないけれど、総じて、演説をする光景や、講堂(ロマネスク調?)や裁判所?か何かわからないけれど、そこで議論や、歴史的な決め事を話し合っている様子だったり、とにかく(聞き取れないものの)文字上の言論というよりも、議論というか、口頭での言論が飛び交っている?
 とにかく、革命臭が漂っているような傾向?

 中国なのか、日本なのか?
 けれど、勉強というか、ある記号か、言葉かはわからないんですが、何か大量のカードなり、言葉の札なのか?何かを並べて、実験をする光景も見る。
 これは、易なのだろうか?詩なのだろうか?語学なのか、記号なのかはわからない?
 でも、そんなことを孤独にしている光景。

 無論、これは多いだけで、他にも夢は見るので、単に、夢なのかもしれません。
 それに人間は、国、そして時代の器に乗る生き物なので、過去、社会的に失落している場合でも、反対に成功している場合でも、来世で賢く選択し、努力すれば成功もできるでしょう。

 やはり、(誰しもにとって)現在の自分の姿こそが、過去の自分の生き方の(半)結果だと思いますので。(道半ばで結果の出ていない場合は、その野心が未来に実を結ぶ事もあるとは思いますよ)

 前世が王様でも、その生涯が堕落したものであれば、来世は(宮殿に座る夢を来世で、常に見たとしても、それは夢の光景で現実には)富を独り占めにする権力者に苦しめられる、その中でも特別苦しめられる一庶民なり、王が殺めた人とよく似た立場の人間として誕生し、今度は将来、王が殺めた年か何かと符合するように、今度は王に殺められるよう、時限システムを背負わされた形で生まれてくるかもしれませんし。

 しかし、王様だったら、何か過去の記憶を手繰り、宮殿の様子なり、そういう物を書いてみると、意外とリアルというか味のある創作ができるかも?

 そう、意外と作品には、その人の嗜好が濃くでますし。
 私の今書いている八角塔の若主人の話にせよ、考えると占術性、易に通ずる東洋的建築物が根にあるかもしれません。やはり、個人的な関心、興味、遠い記憶が、創作をする際にその下地に、無意識のうちに塗り込められているのかもしれません?

 さて、冒頭のテーゼへと戻り。
 結局、私の前世はわからないままですが。
 占いという仕事も、様々で、私がその道に進んだのも、ある非常に不思議な導きがあったから。
 ですから、もし、その時、単なる興味や、個人的都合だけで始めても、すぐにその道を引き返し、退却していたことでしょう。

 表面的には、占いが出来ると確信が持てる人であれば、出来そうな仕事ですし。
 ただ、世の中、甘いものではなく、出来そうと思う人が多い分野ほど、ライバルも多く、まず、お客さんも集らないのが関の山。
 それに勉強を習得した後で、皆が気付くのが。

 さて、私だけにしかできない秘儀(オリジナリティ)はあるのだろうか?

 そこで、迷い、同じ事をしても、いや、知識や応対力等にも差があるので、腕のよい人に勝てないと初めて実感した時、退却していくのがこの世界。

 新しい方法で何か占いをする人はまず、そういないので(いても、同じ占いを名前を変えてやっているというか、記号名を変換するケースが多いので。無論、それも価値のあることですが)、新しい技、そして理論がそうそう登場しないのがこの世界。
 
 いや、逆に新しい技は、認識されるまでに気の遠くなるほどの時間が要されるため、始めても誰も注目しないものなのです。
 大宣伝する財力。そして、カリスマ性でもなければ。

 それはよいとして、実は占術の世界も、看板力。ある程度、皆が同じ方法で占いを行う限り、ネームバリュー、派手な店作りや、総じて物理的知名度や見た目で人気も左右されるもの。

 だから、無名の人が協会に入っても、お金を払う一方で、得るお金は……。
 組織外で個人で始めても、よほどの有名人、とても友達の多い人、個人的に長く鑑定をしてきてあげてきた、見えない実績を持つ人でもなければ、仕事として成り立たないでしょう。
 その条件に当てはまらない人は、続けられないと、挫折していった方々を見ても思うのです。
 やはり、他の仕事と同じで積極果敢で、財力があり、営業力、トーク力がある人が勝ち組の枠にいますし。

 そう考えると、私が上手い具合に、ある不思議な導きと、よい占術の師匠であるF先生との出会いを得られたのも、個人的な都合だけではなく、運命的な働きがあったのかもしれません。

 どうも人生は、出会いというものが大きく。
 出会いによって悪くも良くも方向性が動くことも多々。
 無論、完全なる個の境地、人との断絶の果てに、何かを悟られた方なら、東西南北。
 どの方角にも迷いなく、常に悟ったお言葉を私たちに導いてくださるかもしれませんが。

7月17日(月)先負・丁未・二黒・建・張・胃・海の日・京都八坂神社祇園祭山鉾巡行・不成就日
7月18日(火)仏滅・戊申・一白・除・翼・昴・五相伝・水星が内合・下弦の月

 紫色の迷宮のような空から降る雨は、その細い線をうねらせながら、未だ止もうとはしない。
 月曜日。私は京都中京区「御池通」と「新町通」の交差地で傘を手に、計三十二台来る先頭の「長刀鉾」を待っていた。

 鋭利な日本刀のように天を突く「長刀鉾」が目の前を通り過ぎ、私の祭りは始まった。
 疫病災厄祓いの「山鉾」が、一瞬にしてこの一画を平安の都へと揺り戻し、時は、砂時計を半転させるように、現代の京の都を静かに眠らせた。

 一方、目を覚ませた過去の都の姿。
 わずか半メーターの所を牛車の如く進む「山鉾」を見送り、最後の「山鉾」である「南観音山」と「北観音山」が入れ替わり、到着した時、これはある予見だと、脳裏を過ぎった……。

 最後の「南」が「北」に入れ替わる=北は、冥界の門ゆえ、今年の時勢に、まだまだ暗い影が落ちる……予見を。
 おまけにこの雨だ、縁起がよいとは言えない。

 そして、今日の観衆は十三万人と、数字もよろしくない。
 十三ゆえ……。

 だけどその中でも私はラッキーだったのではないか?
 これほど間近に全ての「山鉾」を合掌しながら見終え、さらに最後の「北観音山」神輿の列を追うと、神輿から何やら厄除けの柳を切る現場に立ち会えて、柳の枝葉を頂く事が出来た事は、運がよかったかもしれない?

 そして、「動く美術館」と呼ばれる祇園祭「山鉾巡行」は、幕を下ろした。

 この肌に、祇園祭の風を浴び、染み込ませた私は、柳を髪に括り、足元の四方に祈祷済みの塩を撒いてから、己の存在を消すと共に、雨に煙る京都を後にした。

7月19日(水)大安・己酉・九紫・満・軫・華・一粒万倍日
7月20日(木)赤口・庚戌・八白・平・角・觜・土用入り(太陽視黄経117°)青森恐山大祭・府中大國魂神社すもも祭(名物=厄を祓う烏団扇)・海王星が月の北・小惑星ヒギエアが衝

 数ヶ月ぶりに「地域の茶の間」に参加。
 本日は「近況報告」と皆で「お互いの長所を指摘」する回。
 こういう場に来ると、人の顔を認識していく事によって、街が狭くなっていくようです。
 自身の中で、人の顔の地図造りという作業が自然と成されているのかもしれない?

 さて、わたしの長所。初対面の方もいたけれど。
 印象も含めて、色々な事を言われました。
 主宰のKさんは、短所と長所は紙一重だけどねと、言葉を添えられたけれど、ホントそうだ。

「人のしていない体験を色々としているので、たくさん引き出しがあり、その中からこれからどんどん宝物が出てくるような人」
「色々な知識を持ち、私には考えの及ばないようなことまで考える、思考する人。で、とにかく面白い人」
「ホント、面白い人。で、まじめな人。言葉から誠意を感じられる人」
「言葉をよく知っているコトバ人」
「周囲にはいない、とても個性的な人。本当に言葉をよく知っている頭のよい人。あなたに会えてとてもよかったです」
「もっともっと話を聞いてみたいと思わせるような不思議な魅力を持つ人。そして、皆さんの言われるとおり、とにかく面白い人。出会えたことが嬉しい」

「男の人には珍しく、とっても、よくしゃべる人」

 それは、言葉が自分の血であり、命題だからです。神は、言葉とも言いますし。理屈も、実は祈りなんですよ!

 さて、帰り際、役所勤めの方から、少子化対策の意見を求められた。
 私しか語らず、しかも私の意見は国家の(産めよ増やせよ側の)意見に反しているのに、とても貴重な意見で、本当にありがたいと言ってくれた事に対しては、感謝せねば。

「誕生数が減るのは、未来に希望を持てない、あるいは、大小関わらず天変地異などが起こる世界的な(本能の察知した)サインかもしれませんし、産みたくない人への強制はやめ、これから生まれる人よりも、今いる地球上で精神的に生きにくさを感じる国内人を生きやすくするための資金を投入。よく練った上で、社会整備を進めていき、同時に世界の貧しい若者たちを招き、日本を国際社会としていくべきだと思います。

 そして、彼等からも(年金等を見越して)税金を取り(すれば年金も破たんしないし、貧しい人も救える)、ただし職業は、国内人から絶対優先に就けるという体制は死守しつつ、国際国家にしていくべきというのが私の意見です。
 ですから、人間の誕生数を意図的に、強引に増やすのではなく(自然界の法則に逆らうと思うゆえ。つまり自然への逆行は運命への逆行でもあると思うんですね)、仕方なく生まれてきた人や、今苦しんで生きている人たち、総じて、今存在する不幸な環境な人たちの方こそを何とかする対策。それこそを考えるべきではないでしょうか?」と。


7月27日(木)先負・丁巳・一白・開・斗・軫・神奈川大山夏祭・不成就日

 大暑参りに、人のために「人形供養」など、色々と参る場所を、半師走の如く駆け抜けて、この熱の中をスピーディかつスピリチュアルに、ミラクル・クルージング!

 眩しい季節に、ジャスミンの如く香る空から、降り注ぐ果汁を瞳に受け、思わず瞼を閉じて、三秒間の白き逢う魔が時。

 そう、そのシャワーは、瞳を濁す黒き魔術に通ずる「逢う魔が時」ではなく、白魔術の姿勢。
 だから、瞳を開けよう。

 ひょっとすると目の前に、平成の大通りから、平安の小道へと繋がる細き横道に迷いこめるかもしれない?
 臨 兵 闘 者 皆 陣 烈 在 前。

 九字の呪法をも切れば、碁盤の目の何処かの横丁へと?

 そのチェンジする通りに入る前、二十一世紀の花鳥諷詠の気を、旋風のように身体の周囲へと遊ばせて、そのまま、その気をこの全身に浴びつつ、おそらくは八門あるのではないかと予感している「天の岩戸」の北門に足を踏み入れる。

 いや、時の門は、想像もしないような位置にあるかもしれない?

 時の移ろう小道、横道。

 方位をも感じられぬようなGが、僕の後頭部へと降りかかる。

 平安の都への道は何処にある?
 迷い込む事は、可能だろうか?

 この平成の大通りの何処かにあるであろう、冥府の気配を漂わす曲がり角の先に、平安の時へと続く小道が。

 そして、そこに迷い込めるだろうか。


 さて、私は今日、「平安時代再建計画」と「日本列島大縁起再構築計画」という脳内プランを閃いたので、この一文の上に、ちょっと前菜を置いてみましたが。
 
 どんなプランかと言うと。
 「平安時代再建計画」の一例を披露。

 法隆寺の塔と金堂は再建前は、南北に並んでいて、現在は、東西に並んでいるそうです。
 (中門の柱は真ん中に位置=東西にしたのも含め、これは太子の呪の抑えではと梅原猛先生は推理されているようです)。

 そこで、「平安召喚師」いや「平安再建師」の方が的確でしょうか、という(架空)仕事師の視点から、南北にも再建前に建っていたように法隆寺と金堂を再建してみては?

 CG内で造られる方いましたら、一緒に「平安」を再建し、新しき縁起よい新星日本地図を造っていき、データ化していきませう。

 今回は、飛鳥時代で、さらに縁起というより、衝突しそうな気もしないでもないので、縁起というテーマでは収まりませんが、幾つか思案していく中で、もっともよい形、配列が出来ると思ったり。

 何故そう思うかって?

 それは、天海大僧正にしても、「江戸城」(現皇居)、そして「日光東照宮」の位置を、最高の土地運のある縁起よき地という理論を元に、決定した史実もありますし。

 日本の大縁起地図を、過去の歴史的建築物等の再現とも絡めながら、書き残しておくと、後世の人々が参考にしてくれて? 地球上では、土地の立ち退き問題が浮上して実現は不可能と判断される場合もあるにせよ、次世代の「無重力世代」が、宇宙にて都市を開発される際、「陰陽的宇宙時代の都市計画」の参考資料として、テーブルの上に、広げてもらえないだろうかという閃きを得たためなのであります。

 いや、そんな人を巻き込まなくても……と、反論もあるでしょうが。
 なら、自分でそういう題材の小説を書くまでですね。
 焼失したり、移転した建物等を、元の位置に建造していき、その地に建てた理由を(推理)探る。
 史実に沿いつつ歴史の跡を追っていく物語。
 そして、新しい縁起建築物や、都市の道路の配置図に到るまで。

 日本列島の大縁起配置を思案する「日本列島大縁起物語」

 後世の皇軍志向の方、絶対に「陰陽系思想家五芒星H・Oの地図により、皇国の力は強められた。よって、皇軍は無敵である」というスローガンを掲げて、戦争などけしかけないで下さい。

 考えると、明治期にも西洋思想と西洋科学と神道と福沢諭吉等の脱亜細亜主義他も含め、日本以外の亜細亜が、文明も持たぬほど低俗で野蛮ゆえ、日本は位の高き文明国家となり、野蛮なる他の亜細亜諸国から、精神的に脱することで、紳士的理性かつ理論的な近代国家を目指し、成長しようと、当初は掲げながらも、次第に金儲けと戦争の道具に、そういう文明化、紳士化した新星日本へと発展させる教育となった思想を利用、悪用してしまい、国民を無謀な戦争へと駆り立てた憎むべき次世代が存在したように。

 科学も思想も、軍事利用されない説明書もセットで取り上げる鉄則を設けるべきでは?

 そう、私のプランにせよ、国の運気のパワーアップという視点は、戦いを鼓舞させるカンフル剤などではなく、大縁起の力によって、世界を笑顔にできるように加担したい。

 この苦しいことの多い社会の中で、笑顔がほんの一つでも増えてくれりゃあ、ええじゃろう。

 そんな、小さな人間の想いに根があるのだから。

 人生、四方八方、地獄なら、まずは、小さな小道からでも、幸せの道が出来たらな。
 そして囲いも、日本以上、亜細亜以上、グローバルに、クローバー届けという感じかな。

 二十一世紀だし、人間は、歴史の過ちから学べるという意志、そして学習能力を、少しでも強められたらと。

 無論、運命は、今世紀中に、多くの亜細亜人が、天災や人災で滅ぶように定められているのかもしれない。
 ならば尚更、縁起を根にした国の再整備は、需要ある時代ではないでしょうか。

 私は、救世主が降臨して、多くの人々を、過ちの少ない人の順から救ってくれるかどうかどうかということまでは、わからない。
 だけど、神の意志や、大きな物語は、自分では操作できないのだから、私は個人での救済の術を考えるしかない。

 そのプランが上記したプランなわけで、もっと理に叶う方法があれば、その選択肢を選べばいいと思う。
 ただ、今の自分には、この案が限界。
 だから、この、一つの救いの案に賭けることで、自身は何かを構築していこう。

 幾つもの弦がぶつかり合うようにではなく、弦同士が川を流れる如くに自然に、1/fのゆらぎを奏でるように、人の心に安らぎを与えられるように。

 人間のそして歴史、いや、自然界のあるがままの美しさを引き立てられるように。

 文明世界の影にいつしか沈没した起源時に奏でられた史上の名曲を、眠っているそのままの象にて、掘り起こすかのように。

 地球の陰陽が最も調和していた時代の姿に、戻せるお手伝いを、私は地図の上に、描いてみたい。
 まず筆先を地図上の最東の位置へと落とし、一つ目の新しい線を引くために、静かに呼吸を整え、その儀式画へと、私は臨む。





2006/5/5~6/30

5月9日(火)先負・戊戌・二黒・執・愛知熱田神宮春季大祭・不成就日・月が赤道を通過
5月10日(水)仏滅・己亥・三碧・破・愛鳥週間・三隣亡

 五芒星の形の(冷凍)精子を子宮へと挿入し、五芒精子の冒険が始まる。
 その後に待ち構える二門。
 美徳の門と悪徳の門。

 五芒星の紋を持つ聖精子は、美徳の門を選び、その奥へと進んでいった。

 その周囲に、四神が集合し、道案内の「道祖神」(ミクロ・マン猿田彦)が先導役を務め、「天の八衢」ならぬ「胎道の八衢」を行進していく。
 その進行と共に曼荼羅の象が臍の緒へと着衣。

 陰陽五徳の光りが、その魂へと彩りを与えていく。

 聖精子と聖卵子が結合し、美徳の城がその頭上に建造される。

 八方位に門が設けられ、天の暦をも描かれた天球儀が天井に設けられて、龍図に似た北斗七星が輝きを放つ。

 そして、八門の内の東門の扉が開くと共に、五芒星の貴人が誕生し、馬小屋(あるいは馬年生まれの住居)に輝きが放たれた。

 十字架(白鳥座)の真横を飛行するシュワスマン・ワハマン彗星が(約5.4年周期で)地球に大接近する五月十二日辛丑・五黄(看護の日=次世代の看護界の大器誕生?)か、翌日壬寅・六白(先勝)日当たりに誕生すれば吉。

 ただし、この彗星は核の分裂した彗星であるために、分裂、裏切りの星の気をどう親が抑えるかが鍵になるかもしれないが……。

 育て方次第では、五徳の使徒になる器になるかもしれない。

 馬年(馬日)生まれの親なら、お参りをして、願を掛けよう。
 空を照らす輝きは、天災をもたらす前兆かもしれない。
 が同時に救いの十字軍の一人が、生まれる予兆かもしれない?
 東洋の百賢人、千賢人は、空を仰ごう。

 題「空輝く夜。東洋の千賢人は空を仰ぐ」

4月28日(金)仏滅・丁亥・九紫・危・新月・水星の日心黄緯が南に極大
4月29日(土)大安・戊子・一白・成・米沢上杉祭・一粒万倍日おうし座ηの星食(福岡)
4月30日(日)赤口・己丑・二黒・収・図書館記念日・土星が東矩・小惑星アウソニアが衝
5月1日(月)先勝・庚寅・三碧・開・メーデー・京都鴨川おどり・不成就日・こと座βが極小

 中国「紫禁城」は、清らかさの象徴「清」の時代。清くなくなったから、城内にある天井の龍に皇帝は裁かれたのだろうか?

 時の執権(皇帝の座)は、天の配列により、人民の王である毛氏へ。あるいは中国から新帝国(アメリカ)へと移行したと歴史の文脈を読むのが、歴史の正しい読み解き方法?

 ならば「紫禁城」の意味は、天帝の住むという「紫微垣」(北極星周囲の区画・別名「中垣」)を色で表した(天)紫の位ではなく、九星気学の(地)紫の位だったのかもしれない。
 確かに、同意という説もある。

 だけれど、九紫の紫は、天の位ではなく、地の数の最高数だと思う。
 どうも「羅盤」には、地の盤と天の盤が二重に存在するのではないかと?

 もし、地の紫なら「南」に「紫城」
 北に「白城」
 西に「赤城」
 東に「碧城」を建て、中央に「地象・紫微垣城」を建てて、一つの完成を目指すのが得策。(城は塔でも砦でも可)

 と、設計時点で、この論理は出なかったのだろうか?
 本質と表現と骨。
 完全なる陰陽建築物を目指せば、中国の歴史も一ミリ程度かもしれないが、変わっていたかもしれない?

 (チンギス・ハン築城後、永楽帝による)「紫禁城」改築600周年である今年。
 「禁書」にて葬られたであろう、天の配列を探す旅を私は始めなければならない。

 「八十八夜」前夜である今宵を、元年元日の「禁書八景」事始。その大晦日とし。


5月26日(金)友引・乙卯・一白・開・札幌ライラック祭・一粒万倍日・こと座βが極小

 カンボジア・コンポンチャム州の漁師に捕まえられた亀が、漁師及び大勢の人の夢の中で、カンダル州の仏塔へ連れて行くようお告げを授けたそうですが(さらにその亀には、治癒力があるらしいと)。

 六千年前、中国の洛水に現れた神亀を彷彿とされる話題ですね。
 その神亀の甲羅には、七色に分かれた九種類の模様(洛書)があった事から、後に、霊性のある亀を卜占に利用。(霊性がないと、焼いても何も浮かびあがらなかったそうなので)

 その神亀こそが、九星気学(元旦盤)の元となったという過程があり、私も亀には注目しているだけに、興味深いニュースであります。

 この間から綴っていた「赤壁」の卦も、亀の甲羅の九つの紋とも符号しますから、亀のお告げは、何かありそう?

 発見日がデータで拾えないので、もし拾えたら調べたいのが、例えばその日に何か意味があるのではと思ったり(今回の亀が、誰かの生まれ変わりとか?何かの記念日だったとか?)。

 と、亀といえば亀田兄弟。

 実はこの亀田兄弟、私は注目している三人(この間の試合も前日から勝つと思っていました。意図は、何か、拳闘界に来るべくして現れた兄弟のような気がしてならないから。それに三碧の年に活躍する人だけに、三人という数字も縁的に符号しますし)。

 不思議な話ですが、どうも世の中には、ジャンルごとに、特別な運命を持って生まれてくる人がいるようで、亀田兄弟も、命運を背負って登場したボクサーのような気が?

 荒っぽいけれど、確かに常人を超えた天賦の才を持ち合わせた拳闘家ではないでしょうか?

 ただ、亀田兄弟は、神亀の位ではなく、武道亀だと思いますが。(それでも天命を持って誕生してきた亀!?

 というのも、中国最古の書「爾雅」(漢初の学者が整理補充した訓詁学の書。後に十三経の一つに)によると、亀には位があるそうで。
 神亀、霊亀、摂亀、筮亀という感じで(さらに下もある様子)。

 となると、カンボジアに登場した亀は、病気を治す(ありがたき)医学亀。
 と考えると、日本に出現した亀(亀田三兄弟)は、毛利家の三本の矢もそう思いますが、武道の亀。

 ここから、これを日本の大きな枠にシフトすると、日本に、(血の気の多い)武道派が台頭し、日本のキーワードが「闘い」という方向性へ向かっていくと、その亀が(本人の考えではなく天のお告げとして)啓示しようとしているのかもしれない?
 
 日本は、闘争の時代に入りつつあるのだろうか?

 誰にとっても、戦争は避けたいだけに、もし武道亀の台頭が、天命であれば、これは日本が武道の時代へ入ろうとする啓示。そう考えられないこともない?

 半面、カンボジアの仏塔へと預けられた亀は、今後、看護、世紀の医者、世紀の仏教者?が、カンボジアに誕生するという国家的な暗示かもしれませんし?

 昨年、日本において、政治界の亀は、窮地に立たされた。(結果は勝っても、人気等、話題らはホリエモン・パワーで低迷。

 日本に現れた神のご加護を受けた亀(亀田三兄弟)は、日本が強くなるという暗示と共に、武道の復興が来るという暗示だとするならば。(スポーツ業界の景気がよくなり株も上がると考えるのは、物理的すぎですが。

 いや、そこまではよいでしょう。
 そう、その武道の暗示が、武装にまで発展しないのならば。

 戦後六十年と、干支も一周してきた今。
 軍靴の音が近付いていないことを願いたいだけに!

 しかし、何故に三なのでしょう?
 三という数字にも何か暗示が隠れているかもしれません?(三人の幹部とか?

 次期首相は、誰がなってもやや右寄り、戦闘欲が高いタカ派ばかりな状況だけに。
 まさか、その(武道、武装の)暗示が、一国の(次期)首相の政治の舵取りを表しているとしたら?(亀を焼かずとも、そういう方向に私的に想像が進んでいくものの……もしそうなら恐い。

 人は、歴史から、学ばない生き物だけに。

 (せっかく人生に希望を持ち始めた私としては)明るい未来を望みたいだけに、亀を観て、そこから何かを学べる人になりたい。





5月28日(日)赤口・丁巳・三碧・建・水星が月の南・こぐま座Uが極大

 27日インドネシアのジャワ島中部でM6、2の地震発生。(死者4600人)
 何故に27日なのか?一つ指摘できるのは「新月」そして、「丙」と「辰」の絡みも微少に影響しているような気も?

 しかし、新月だけでここまでの規模は想像外。そこで私は思いきって視点を別に移す事にしました。

 その前に、天球儀では、太陽が冥王星、天王星等と仲が悪く、一番、マイナス材料は、火星と土星の接近(元凶)。

 次にこの土地に厄が積もり、土地の厄時期と考えてみる。島一帯に魔が迫っていると。
 一つは、インドネシアの2代目大統領スハルト氏に迫る死の影。地の荒れは独裁者の死期と何か共鳴しているのだろうか?
 第一、インドネシア国自体が荒れている気がしてならないのです。

 次に、データからも興味深い情報を入手。
「ジャワ島下のインド・オーストラリアプレートが、沈み込みが原因で、M8級の巨大地震を頻繁に起こす「活動期」に入っている可能性が高い事が、昨年から指摘されていたようです!」

 さて、ここで未来を覗き見ようとする者は考えてみる。

 確かに論理の世界では、プレートが原因。
(よって土地を離れ、国連なり大国は、民族大移動を促す政治的動きとかを見せていただきたいと思う私。あるいは、阪神大震災とよく似た地震らしいので、頑丈な建築物を建築する政治政策が欲しいトコロです。資金面から、世界への民族大移動の方が、よい気もしますが。

 この地震はスマトラ沖地震の姉妹で、(地震の活動期に入った=)再び地震が起きるはずだから。

 しかし、いつ起こるかはわからない!?
 そこで私は冒頭で述べた、思いきった視点の切り替えに挑む事に!

 それは、火星と土星の接近がもたらす地への危機。

 さらに、東南アジアの地盤そのものに厄が訪れている気もしますし、となると、この島々が、これから悪い方へ進んでいくというサインならば、何かそれを予告していたものはないか?

 そこで、ノストラダムスの予言を紐解いてみた。

 この地震は、スマトラ地震と姉妹で、さらにこれからインドネシア付近に(天災等)厄が訪れるなら東南アジア全土の一大危機、歴史的事件ではないかと?

 と、妙な四行詩に当たる。

「合にある火星、水星、月、南の方では大干ばつが起きる。アジアの深部から地震の報がもたらされ、その時コリントとエフェソスは困惑する」(第3章3番)

 地震の起きた5月27日。天球儀では、火星、水星、月のうち、水星、月が合。
 しかも、火星ではないものの、太陽と水星と月が合となっていた!

 太陽と火星は似ているだけに、二つを入れ換えれば、符号する。27日に!
 南は、南国。
 さらに、アジアの深部にて地震。まさに、インドネシア周辺と解釈できる。
 ただ、コリント(ギリシャ)、エフェソス(トルコ)は解釈不能ですが。ただ、トルコの国旗は月と星だけに、星のお告げ。
 いや、トルコ国旗は「新月旗」ともいうらしい。
 まさに27日は新月の日だ。ここにもサインが隠れていた?

 ここで、ノストラダムスの解釈として、私は、一つの予言が一つの出来事のみを言い表しているのではない(年月の記載は別)と思っています。それは、ノストラダムス自身がこんな言葉を残しているから。

「人類の歴史はアダムエバから最後の審判で終る一本の線とキリスト教では説くが、歴史は一本の線ではなく円だと気付いた。円には終わりがなく一周すると元へ戻る。
 歴史とは、一定の周期で同じ事を繰り返すものです。人間も歴史も周期で巡る星に従属していて、その支配下にあるのです」

 これを受け、この世に一度起きたことは、すでに過去にも何度か起きているものなのではないかと?

 そして、ある部分まで言い得た予言は、年代に限らずに、幾つかの周期で言い得ているのかもしれないのではないかと?

 次に。火星と土星の接近が凶である事も予言には示されていた。

「土星と火星が共に火のように輝く年に、空気はひどく乾き、長い流星。 隠された火が原因となって大いなる場所が燃える。熱、干天、熱い風、戦争そして襲撃をともなって」(4章67番)

 この予言では、火星らが輝く=地球に接近?年を表している気もする半面。
 今回の地震と重なる部分もある。
 それは、火星と土星が接近した今。

 だからこの予言は、今回の地震の予言ではないかもしれない。
 けれど、火星と土星の接近は、注意せよと、サインをくれていると解釈はできる。

 そして、長い流星とは、この5月に接近したシュワスマン・ワハマン彗星(約5.4年周期で地球に大接近)とも解釈できるかもしれない?(戦争らは、除外して考えるとして)

 次に、地震を示す予言。

「太陽は牡牛座に二十度。大地震が起きるだろう。満員の劇場が崩壊するだろう。闇、災難が大気、空、地に満ち、異教徒は神、聖人に救いを求める」(9章83番)

 もしかしてと、5月27日の太陽の位置を観た。
 すると、太陽は牡牛座にあったのだ!(最初の予言で述べた通り、水星、月と共に!)

 まさにノストラダムスは、太陽が牡牛座にある時は、地震が起きやすいと教えてくれている。占星術の観点から。
 ただ、この予言は、大規模の地震のため、単なる星の予兆以上に天啓があったような気も?
 あるいは、過去の星の動き、暦の地震の年数の干支等と符号した?
 
 と、20度に関すると、(本当は20度は牡羊座の位置ですが、そこを)一星座の区画は30度なので、20度は約20日と解釈してみることもできそうな気が?

 ならば5月20日頃?
 星では、水星と太陽が重なっていた!不思議と、タロットでも、20番は太陽。ここにも太陽が隠れていた?
 そして、上記したシュワスマン・ワハマン彗星が地球に再接近した日も5月20日だ。
 やはり、彗星接近も、何かのサインだろうか?

 そして、5月の地震という予言を発見。

「5月に大地震。土星、太陽、木星、水星が牡牛座にある。金星もまた同じ、火星は蟹座、これは全く見えない。その時、卵より大きな雹が降る」(10章67番)

 5月の地震。5月は地震が起きやすいというサインだろうか?
 さらに、27日は太陽と水星が牡牛座にあり、火星は蟹座に位置している。
 かなりの部分までが符号していると指摘できるかもしれない!?

 金星と、木星は別として、どうも、地震を告げるサインは、牡牛座が何らかの鍵を握っているのかもしれない!?

 一昨年ぐらいから、牡牛に、牛の怒り、牛の呪とかに関する記事をこの場で書いてきましたが(クレタ島では牛は神だったし=ゼウスも牛に化けた伝説もある=それが牡牛座に)、やはり牛、牡牛座は、何か宇宙の握っているのかもしれない?

 と、地震の予言の二つが、「4章67番」と「10章67番」と、2度も67番目に記載されていることも、何か意図があるのだろうか?

 だけど、それほどの規則性は発見できませんでした。

 あえて挙げるとするならば、1~10章までの67番のうち「1章67番」の「大飢饉は近づきつつある予感、頻繁に向きを変えては、あまねく世界に広まらん~」
 地震後の飢饉の予言?

 「6章67番」の「筋違いの人間が立派な王国の主になる。思いやりに欠けるばかりか 幸せとはもっと無縁な男。生まれた床から這いでたばかりの者に支配され王国は大難の運命へと一気に転落する」

 これは死を間近に控えたスハルトの事だろうか?(筋違い=大虐殺までした独裁者だけに!)
 生まれたばかりの者とは、初の民主的大統領となったユドヨノ氏?
 それで、その大統領の時代に、国は大難(今回の大地震)に遭うという予告?

 「8章67」の「パール、カール、ネルサフ。大いなる不協和音のうちに滅亡へ」のカールは、スカルノ?(いや、無理ある)。

 「2章67」の「金髪が登場して鉤鼻を争う。決闘に訴えて敵を追い払うだろう。逃れた者どもを呼び戻すだろう。海のそちこちで何よりも手ごわいことをやってのけて」
 まさか西洋の援助の挙げ句、何か紛争に?(やや強引ですね)

 と、67繋がりで綴ってみるものの、関連性は決して高くはないものの、解釈次第では読み取れないことはないところも、又妙な気がしてみたり。

 と、東南アジア周囲を訪れる地震の予言は、他にも存在していた。

「フィリピン海プレートが7年間活発な活動を行う。その残酷な応力は過小評価される。次にその南方が困惑し、地球の裏側が重大局面を迎える。若きオグミオンの強い力は、地球の深遠にあり」(オグミオン=マントルの意)(9章89番)

 このフィリピン海プレートが、今回のプレートの活動期だとしたら?
 しかも南方が困惑=まさに、インドネシア周辺!
 地球の裏側=フランスから観ての裏側だから、まさにアジア周辺かもしれない?

 7年のフィリピン海プレートの活性。これは日本も油断できないでしょう。
 エドガー・ケイシー(1877~1945年)も。
「日本の大部分は海中に没する可能性がある。1958年から1998年の間にそれは始まりだす」
 と、恐ろしい言葉を残していますし。
 確かに阪神大震災は95年だった。
 いや、7年のスタートは今年からかもしれない?
(東南アジアで大きな地震があったのは、2002年の秋頃なので、起点は02年か?あるいはスマトラ地震の04年末と解釈すべきでしょうか?

 今、活性化しているらしきプレートは「インド・オーストラリアプレート」ながら、フィリピン海プレートも連動する可能性も無いとはいえないでしょう。調査不足ですが。
(ただ、このままだと予言にもある通り、過少評価され、風化していきそうな気も?)

 半信半疑で手を出してみたものの、ノストラダムスの予言の中に、星の配置による(21世紀にも応用の効く)凶サインが示されてたようです。

 特に、牡牛座に太陽、水星、月、木星、土星等が入る五月。
 そして火星と土星が接近している時期。
 まさに、今この時期に!

 そこで、カンボジアに目を向けてみましょう。
 スマトラ沖地震の際、「儀式を執り行わえばカンボジアは地殻変動による災害を免れる」と、正確には、高僧か占術家なのかはわかりませんが、進言をしシアヌーク前国王がそれを承諾。
 危機を逃れたという事例がありますが。今回はまだ不透明。

 と、カンボジアといえば、この間の不思議な亀。

 もしや、あの亀が仏塔へ連れていくようお告げを下したのは、亀がそこでカンボジアへの天災を避ける祈りを捧げるからだろうか、と喚起してしまう私?

 その御加護により、何か、一国の危機が抑えられる?
 だから、あの時期に、そんな夢を村中の人が見た?

 おそらく、今カンボジアにはよい気が流れ、04年の厄を祓う国家的儀式によって、危機に直面しても、救いを授けようという天からのサインが、亀を通じて発信されてきた(降臨?)のかもしれない?

 津波に、地震に関すると、まだまだどうなるかが未知数ながら、何故、今、世界を賑わしているのがフランスなのだろう?

 教会に打撃を与える「ダビンチ・コード」もフランスが舞台。
 ダビンチとほぼ同時期に生きたノストラダムスもフランスの予言者。
 フランス王妃カトリーヌと、よく似た名前のカトリーナが猛威を震ったのも妙だ。

 フランスに何か鍵が秘められているのだろうか?(ストラダムスの予言には、フランスは滅びるという予言もあるけれど)

 まさか、救世主の血を引く者が、本当にメロヴィング朝の末裔から姿を現す予兆とかというわけではないとは思うけれど。
 その説は、幻想的過ぎるから、余り傾倒できないのですね。

 と、この危機が訪れた今。
 ジャワ島にて大儀式をすべきではと思ったりするのは私だけ?

 例えば、阪神大震災で一軒だけ助かった、地震の時間の確か一分前でしたか、その名前を付けた喫茶店のように、名前を変えてみるとか。

 天球儀の配置する星座の名前自体を変えて、記号を符号させない手を打つとか?
 応急処置でも、回避策は考えるべきではないかと?

 言霊と言霊が磁石のように引き合う前に、(上記した通り、名前を変えるなど)ズラす策にて!

 あるいは、現在の土地よりも少しでも住み良い地を求めて、民族大移動を。



6月1日(木)仏滅・辛酉・七赤・定・気象記念日・電波の日・福岡高良大社川渡祭・五相伝・土星が月の南・水星の日心黄緯が北に極大

 昨日は旧暦5月5日の端午の日ゆえ「端午参り」にて、旧暦皐月の波と自身の気との周波数を調整し、皐月男となりて天を見上げる。

 皐月の香りを深呼吸にて取り込みて、心臓の一筋に、皐月紋を美しく刻印したれば、皐月の守護を受けて、七色の薔薇の咲き乱れる祝福の道を、いざ歩もう。

 電脳筆という名の聖剣を手に、辛酉の日に、革新の筆をここに下ろそう。

 筆塚の前で祈りを捧げ、古い筆達の魂の破片を墨にして、新しい一文を書く。
 恍惚の光りが、そこに表れ、きっと紙も踊り出す。
 それは机上のオペラ。ルネサンスの(机上的)再来。

 皐月、太陽の季節。
 皐月へと乾杯。
 バッカスの神よ、このアメシストの杯を受け取りたまえ。



6月3日(土)赤口・癸亥・九紫・破・八専終り・三隣亡・てんびん座δが極小

 知人でユニセフのKさん企画の「ジャワ島地震・緊急街頭募金」

 さて、明日で甲子。干支も一周してきました。
 と、この癸巳の一ヶ月は、地震あり、天地時事風俗に到るまで荒れに荒れた。
 確かに、癸巳は、相反する干支ゆえ衝突の象。

 この癸巳の月の60の干支は特に要注意だと記録できるかもしれない。過去データまで首回らず。
 そして、地震の頃、金星と木星、土星と海王星が十字を描いていたのも、この間の検証にプラスして感慨深いものが。

 そして、今夜の空は、火星、土星、小惑星ベスタ、プレセペ星団が集合と、妙な配列に。

 そして明日干支の一番目「甲子」(六曜は先勝に)へと回帰。

 そして上弦の月かつ月が最遠。5日は月が赤道を通過し、6日「芒種」と節入りが来る。
 特徴を持つ月の日、節入り。牡牛座。火星、土星の合。
 地震と相性のよい配列だけに、ジャワ付近のプレートの方、火山の方に影響なき事を願いたい!


6月4日(日)先勝・甲子・九紫・危・伝教大師忌・上弦の月・月が最遠

 昨日、地震、火山に注意と書いた私ですが、今日60年ぶりに「桜島・昭和火口付近」から噴煙があり、まさに(05年3月のスマトラ島沖地震前に国家的儀式にて魔を抑えたカンボジアの如く)何らかの儀式が求められている時期ではないかと予感。

(人類は歴史に学ばないので、この言葉も風に吹かれるでしょうが、ボブディランのように有名人ではないだけに。個人レベルでは何か行います。心の大麻を左右へと振りながら)

 さて、繁栄する一国が斜陽する時、やはり前兆があるようで。

 1797年。清(現中国)の「紫禁城」の中の(皇帝の日常政務を行う場所かつ寝室である)「乾清宮」が火災に遭った際に、屋根の上で消化活動をしていた近衛軍将校の一人が、異様な光景を目の当たりにした。
 屋根から、一、二尺ばかりの白い煙が何本も上がっていったそうで。
 その白い煙の中に、一尺ほどの衣冠を正す人が現れ、煙と共に天へ登る姿を見たと。

 しかし、殿内及び、物が焼けて弾ける音がすると白い煙は消え、ただちに黒煙に変わったと。

 そして、導士、書生(女性も含む)、甲冑の武人が白い煙の中に現れては、同じく殿内で音がすると共に直ちに消えていき、音がせぬ時に現れた人々は天へ登っていった光景を見たと。(いずれも身長は一尺=約30センチ)

 と、炎が屋根の上へと達すると白煙も消え、白煙は全て黒煙となり「乾清宮」焼け落ちたと。

 これを、乾清宮の宝物の精霊が物体を離れて精気となり天へ戻ったのではないかという説が残っていますが。

 私はこの「乾清宮」という名前に、ある予感めいたものを感じた。

 それは、栄えていた「清」の国の「乾」(の座)が燃える=国に危機が近付いていることの暗示ではないかと?

 この視点は、歴史学と陰陽学の双方を交差して、そう思うのです。

 というのも「乾」は「陰陽五行」の中で権力者。父親を現すだけに、まぁ、中宮(五黄)こそ王座なのですが、乾の宮も皇帝として考えられる。

 その皇帝がいた「乾」の名の宮が燃えた。
 これは、清の危機ではないかと?

 時の皇帝は「高宗」(元号が乾隆ゆえ、日本では乾隆帝と呼ばれる)で、まさに「乾」に縁深い。
 その乾の座が危機となり、宮が燃えた時、そこにいた霊魂達が昇天したのだろうか?
 宮の中に貴人のカー(精霊)達が住んでいた?

 事実、その二年後に皇帝は死去。次の皇帝の時代に海外から侵略の手が。そしてさらに次の皇帝の時代に、アヘン戦争が!

 と、紫禁城の「乾清宮」は火災の数年後には修理されたようですが、皇帝は寝室を移したのも、王の座を低下していく兆しだったと考えると。

 「乾清宮」に、宝物と一心同体だった精霊達を呼び戻す儀式というものを行ってみることはできないかと、栄華を呼ぶ方法を思案する者は考える。

 あるいは、焼け落ちた宝物達と同体の精霊を、ある神聖な場所に召喚できないだろうか?
 そこは、清く、美しい地である事は条件だと思うと同時に、それが成功できれば、その地は繁栄の土地として、(物理的に宝が存在せずとも)凄いオーラを放ち、魔の侵入を抑えられるかもしれない。

 おそらくは、そういう強い運を持つ土地というのがこの世界には幾つも存在していると思う。
 繁栄を呼ぶ土地、近付くだけで気分が悪くなる土地、事故に遭いやすい一画、いつも温かい声をかけてくれる土地、いつも冷たい視線を浴びる地、よく物を落とす土地、よく親切にあう土地、いつも頭痛のする通り、(老若関わらず)黒衣の葬列(擬似も含)の行く地(この場合は時間帯など、時に関係。魔の時)、嫌味ではない心地よい笑い声のよく響く地、よく物が壊れる場所、ルンルン気分になれる地。

 なかでも、強運の人の住む土地は、先祖や、本人の力以外に、地底に何か(宝か、宝を失いいつつも、宝の運のみを持つ精霊が)眠っているのかもしれない?

 「乾清宮」の火災と共に消えた精霊達よ、今、何処にいるものか?

 「国破れて精霊在り」

 そう、乾清宮、いや国は消えても、精霊はどこかに存在しているはず。

 その精霊を、まずはこの足、そう徒歩にて、杜甫と同行二人にて、探さんか。
6月5日(月)友引・乙丑・八白・成・宇治県神社県祭・愛知熱田神宮祭・月が赤道を通過
6月6日(火)先負・丙寅・七赤・成・芒種(太陽視黄経75°)三隣亡

 渋谷スクランブル交差点は、地に横たわる長く太い十字架だ。
 そこを歩く度に、一つの詩を唇から落とし、交差路の上に溜まった愚者の血を洗っている。
 だけど、そういう我も愚者の一人。
 そう、この十字架は、愚者の十字架だ。都市の表層に浮かび上がった街の家紋。

 誰もここを黒く塗る者がいないが、過去私はライン上に黒い文字を書き殴ったことがある。
 深夜、闇に紛れて「黒い十字架」として、全ての罪よ、この黒い十字架と共に地の底へ沈めよと。

 その時、ブラック・ホールと化した十字架の呻きのような音を耳にしたが、それは遠くを走る車の振動だろう、きっと。

 無論、線上を全て黒く塗りつぶせはしなかった。
 交差するラインに一つの言葉を書き殴った程度の(ある種、反社会的な)前衛表現だったが、翌日に強く降り注いだ横殴りの雨が、その水性液を跡形もなく洗い流してくれたことだろう。

 次に、何かの紋を刻むことがあるならば、今度はそこに「星の紋章」を刻みたいと思う。

 移動する度に、オリオン座を描くように村を移転した北米のホピ族を倣い、十字架の周囲にオリオンの三ツ星を沿えてみるのも、神秘的な行為として美しいかもしれない?

 ならば、夏至を重んじたホピ族の記念すべき日である夏至の日あたりがいいかもしれない。
 だけど、次は心の中の十字架に添えればいいだろう。

 道路を司る道祖神を敵に回しても、賭けには勝てない。

 今日は二十四節気の一つである「芒種」
 次の節気「夏至」まで、後一つに迫ってきた。

 夏至の光りで、己の中の魔性を焼いて、

 さぁ、太陽の季節を迎えよう。




6月15日(木)赤口・乙亥・七赤・執・弘法大師誕生会・東京日枝神社山王祭・北海道神宮例祭・

 「弘法大師・空海上人」の生誕の地(香川県善通寺市)「善通寺」の「創建1200年祭」に、空海の誕生日であり1200年祭最終日である本日(6月15日)、行ってきたのですが。
 行く前に妙な予兆があり、実は一日行く日を早めようか最後まで迷いながら、決定。
 生憎の雨で、やはり予定を早めればよかったと後悔。

 けれど雨にしては、よい事も多くあり、「厄が、この雨で洗われたはずだよ」と地元の方からも励まされたりと、しかし、何とも優しい人の多い町ですね。
 偶然、手にしていた本も「五月雨の香り」と、まだ旧暦では5月なので意味深。

 御影堂で「ここのご真言は何でしょうか」と問い、それを唱え、「遍照閣」にある「四国88ヵ寺」の砂を敷いたお堂の中を歩き、そこにある「88体の像」を、全寺それぞれに違うご真言ごと、表を見て唱え、その他、境内内に幾つもあるお堂にてご真言を唱えさせていただいた私。
 ただ、何か近付くな、立ち入るなというサインを発する区域には入らず。
 その見極めの目があるだけに、その辺の選択はOK。

(目安の一例=入口が混んでいるお堂=歓迎されていないサイン。何か危険物が転がっていたり、嫌な気配のするお堂もしかり。わかりにくサインもあるので、その見極めは難しいところですが。

 次に、自身と相性のよいと感知したお堂で、方位や、置き位置、色形、そして、自身と相性のよさそうな、とてもピタッと来る御守りを幾つか買い求め、「御守り八方位神」とは別に、「御守り三芒星」と、関連組のを「御守り三連星」として、二組で「六芒星」と符合するよう組み合わせようと閃き、次に行く予定の場所も、その芒星系に系統付けることに。

 それを、五芒星H・O的宇宙空域のある箇所に置き、魔断ちを強化し、人間命式の解析儀式(占術)を行う時に、見えざる場所へと配置しておこうと喚起。

 やはり、現代は雑音が多い時代。

 沖縄にいた某占術師が、大阪に行った途端、霊力が落ちたと聞いた事がありますが。
 やはり(波をインスピレーションとして受ける)占術は、自然に近い環境作りが必要かもしれないと、最近思い始めた私。

 と、この間、神社参拝をし折に、そのお参り方法は、とても気になるんですが、そのような方法があるんですか?よければ教えて下さい。
 そう聞かれたのですが、

 おそらく私が、ちょっと珍しく見えるような参拝を時にしていますのは、物の原理に対して、それをどう料理し、一番効果的な方法で、この天地にとってよい方法(あるいは廃れた方法や、いつしか風化し、消えていった方法を想像)思案しているからかもしれません?

 と、話を戻し、占術的インスピレーションを高めるには、やはり、都会よりも、自然の力が強く働く自然の命が封じられずに在る場所。

 その方が、(確率的にも)人の脳から発している思考の波を、純粋に上手く受け止められる可能性が高いような気がします。

 無論、生まれた時から能力のある人は、土地には関係なく、その能力を発揮するでしょうから、絶対論ではありませんが。

 となると、四国はよい土地でした。
 私も花鳥諷詠の中から、何かを感じ取られる感受性を、まだまだ向上させねばなりません。

6月22日(木)先勝・壬午・九紫・建・一粒万倍日
6月23日(金)友引・癸未・八白・除・奈良大安寺竹供養癌封じ・金星が月の南・おうし座ηの星食(出現)

 春と夏の均衡が崩れ、一気に夏へと傾斜する「夏至」よ、お前の季節が到来した。
 太陽、その宇宙の瞳が角度を変える二十四回の特異点。
 その中でも古代から最も重要視された「夏至」の陽射しを浴びて、空を見上げよう。

 私は、(おそらく吉備津彦時代以前から「朝日の宮」として機能していた)吉備津彦神社の夏至ライン(夏至の日の太陽が鳥居から一直線に御鏡に入るライン)へ行こうと思っていたところが。

 生憎にも、太陽は、風神、雷神の率いる雨雲の軍勢へと遮られてしまった。
 これは、一国の運気への翳りをも暗示しているようで、悪夢なら早く醒めて欲しいと願うばかり。(奈良の二古墳は、黴にやられ、サッカーも廃退したし)

 だけど、この翳りが、長い雨にはならない事を願おう。
 暗示の続く時期は、最短でも次の節気(七夕の日にあたる小暑)。

 冬至までは引っ張らないために、運気転換の儀式を行わなければ。

 そこで水晶を見つめてみる。
 水晶の中に何かが動いている気配を感じる。
 さすがにこの瞳には見えないが。
 そこで、ここから私の想像。

 水晶の中を泳ぐ者達よ、もし汝が龍ならば、何か告げてくれまいか?
 すると、珠の中に九つの影。

 九龍が泳いでいた。

 九龍は珠の中を泳ぎ、東方へと向かう。
 東方は、夜明けと考えれば、これから陽は昇ると教えてくれているのか?
 そして、南方ではなく、西北へと急降下した。
 そして、南へと上がった。

 龍だけに、天頂を南と考え、九紫の城と思えば、これは理に適ってはいる。

 そして、そこで龍は消えた。
 日は昇り、日は翳り、そして又、日は昇る。
 まるで、今の時期から、梅雨が過ぎていき、そして夏に到る暗示とも見えるが、今が梅雨なのだから、日の出の暗示は?

 わからない。
 そして、この龍達が、二十四節気の時にしか現れない特別な龍達ならば、次の節気を待たねばならないだろう。

 ならば、龍の数は九匹ではなく、二十四匹か?

 しかし、煌煌と光を孕む「夏至」の太陽は、愛しい。


6月29日(木)先負・己丑・二黒・危・火星が月の南・小惑星パラスが衝
6月30日(金)仏滅・庚寅・一白・成・牛・翼・大祓・夏越祭・三隣亡


 題「詩歌八卦・七月の詩」



 易六十四卦を記した言霊紙を、水を張った器の中へと浮かべる。
 クルクルと回り、互いに言霊は反響しあう。

 水神よ、この水の中へと降臨したまえ。
 七月を迎える前に。

 六十四卦の輪舞によって、灰汁の祓い清められていく、この聖水の上へと。

 陰陽の浮かぶこの水の上に。

 円周上を時計回りに流れていく最後の卦の上に。

 そう、卦たちは一枚一枚、水底へと沈んでいく。

 残るは三枚、二枚……。

 残った卦は『水風井』であった。
 まさに、水と和する卦なり。

 その井戸を示す卦の底に、水の神「龍神」よ、宿りたまえ。

 この縁を高く補強した「三角縁神獣鏡」の中へと。

 場所は吉備の国。
 時は六月三十日。大祓の日に。