2006/9/25~11/6 | オオタ☆ヒロユキ過去データ

2006/9/25~11/6

9月25日(月)大安・丁巳・四緑・成・危・房・福岡太宰府天満宮例祭
9月26日(火)赤口・戊午・三碧・収・室・心・彼岸明け・和歌山日前神宮例祭・(八専)間日
9月27日(水)先勝・己未・二黒・開・壁・尾・奈良吉野神宮大祭・長野穂高神社御船祭
9月28日(木)友引・庚申・一白・閉・奎・箕・庚申・一粒万倍日
9月29日(金)先負・辛酉・九紫・建・婁・斗・道元禅師忌・五相伝
9月30日(土)仏滅・壬戌・八白・除・胃・女・(八専)間日・月の赤緯最南・上弦・かに座Rが極大


 紹興に建つ「一字一千両」に値すると称される書聖「王義之」の寓居「蘭亭」内の「御碑亭」前で半電脳の筆を磨く。
 元旦の陽射しを浴びる事は理想だが、時は秋分。


 ここで研ぐのは愁いの筆。

 が、八方位に雲があるわけでもなく、光明のある西方を向いて、一筆を紙に記す。

 「御碑亭」に記された康熙帝、御真筆の蘭亭序の全文。そして、裏面に記された乾隆帝御真筆の蘭亭即時の七律詩。

 そこに、筆を記す康熙帝と乾隆帝御の像を建造し、書の復興を試みる夢を見る。

 それは、電子への宣戦布告。かつ攻防戦。

 波を逆行する詩人の戯言。

 「御碑亭」前の地中を掘ってみてはどうだろう。

 二十一世紀の書聖旗手には、ご褒美として王羲之の筆を掘り当てる事ができるかもしれない。

 その運の無い男は、ただ頭上を流るる雲を見ているだけ。


題「書行無常」


10月1日(日)大安・癸亥・七赤・満・昴・虚・炉開き・亥の子餅・共同募金・労働衛生週間・八専終り・不成就日
10月2日(月)赤口・甲子・六・平觜・危


お報せその一

亀の甲羅を用いた「亀ト」(+卜卦)占いを始めました!


台湾の「占い横丁」(あの有名なスポットですよ!)で行われている「米占い」も始めます!



ちなみに、米を入れる(私の場合)ランプ、亀の甲羅も、「吉備津神社」「吉備津彦神社」にて、念入れをしてきましたので、吉備津の神のご神託。

それを信じたいと思います!

さて、何故、道具に神の魂を注入する儀式がいるのか?


それは魂なければ抜け殻と思うからなのです。(それと、自身の住む土地の神ほどよいでしょう)


話を戻し。

道具に魂を注入する私の考えを少し披露いたします。

海外のムブルガの占いに、瓢箪製のマラカスを右手で振り鳴らし、声なり口笛で憑依霊の歌を歌い憑依霊を呼び寄せるという儀式をするそうなのですが、やはり神託を待つ際は、道具に霊的なものを呼ぶ儀式は必要と思うのですよ。

私の場合、祝詞も読みますが、(地元の神なり、大神なりの魂の欠片を注入させていただいた)「御神鏡」の前にて、儀式を行い、机上に「聖域」を作りあげてから、お客さまをお通しし、占いを始めようと、特に新店に入り初めてから強く意識するようになりました。

しかし、未来読みは難しいもの。
更に、未来を見通せる方法、技、儀式、道具の研究、カンを研ぎ澄ます修行を続けねばと思っているこの頃です!


10月16日(月)友引・戊寅・一白・定・心・張・小つち・土星が月の南

 この月末に行われる「すぴこん」(スピリチュアル・コンベンション)に、出演する事になりました。

 経緯は、「Yカフェ」に来店された某さんから、私のブースの中で、半分を使って占いをやってほしいと、バトンを渡されたためです。

 その方曰く「ここに出ることは運命だったのよ」と。

 出会いはその方を鑑定した際に「今、私の頭に、スピリチュアル・メッセージが閃いた。あなたはゴールド級の占い師だ」
 そんなオーバーな言葉をいただいたことがきっかけで、岡山スピリチュアルコンベンションへとお誘いいただくこととなりました!


 これは、不可思議な展開です。


 何故なら、自身が進んで門を叩くこともなく、向こうから話が来たのですから。


10月18日(水)仏滅・庚辰・八白・破・箕・軫・東京靖国神社秋祭

 今は何も作らない。

 世の中にある、そのままの素材を、糸のように編んでいき、そのままとそのままとを美しい配列になるように、繋いでいきたい。


 だけれど、二つの素材の相性だけは尊重しよう。

 だから僕は、素材へと耳を傾ける。
 それらが発す、求めあう者同士を繋げる道案内。
 それが今の僕の表現だ。


 フォー・チューン。

 まさに創作上でも占い人。


 道案内人として、吉備の街を彷徨う使徒。

 そして、この手から垂らす糸の名は、待ち人達を繋げていくための「赤い糸」

 不調和なる旋律によって狂わされた世界の循環を取り戻すために織っていく。

 この糸を失った世界の片隅にて。

 通りを振り返ると、街角の路地裏で、赤服の吟遊詩人の囁く糸織りの歌が聴こえてくるだろう。

 時には十字に、時には五芒星、時には六芒星……。

 そして、織られた服を身に纏う君は、その日から幸福の星と共に、この世を歩いていく。


 無論、全ての幸福を贅沢にも独り占めにするわけじゃない。

 小さな小さな幸福を、感じられる心を取り戻し、自分と世界の調和を、そして、自身の役目を感知するはず。

 そう、その服の名は、循環と、運命の道をそれぞれが歩む意図に気付く幸服。

 それぞれが歩むべき道を再生させる赤い糸で織った知の服。

 だから今は、何も作らない。

 世の中にある、そのままの素材を、糸のように編んでいき、そのままとそのままとを美しい配列になるように、繋いでいくだけ。

 目の前の素材へと耳を傾け、それらが発する、求めあう声を拾っていく。

 創作においてもフォー・チューン。

 人同士のすれ違いを修正し、縁を取り持つ織物屋。
 この手から垂らす赤い糸にて、二人の世界、二つの世界を繋いでいく。

 題「赤い糸」

10月20日(金)赤口・壬午・六白・成・牛・亢・秋の土用入り(太陽視黄経207°)えびす講 誓文払・一粒万倍日・三隣亡・月が赤道通過・おひつじ座Uが極大
10月21日(土)先勝・癸未・五黄・収・女・氏・(土用)間日・ 水星の日心黄緯が南に極大・オリオン座流星群が極大・いて座RTが極大
10月22日(日)先負・甲申・四緑・開・虚・氏・新月・京都平安神宮時代祭・京都由岐神社鞍馬の火祭・十方暮入り・不成就日・金星が月の北・火星が月の北・へびつかい座Rが極大

 「ラーメン博」というイベントの「占術ブース」に出場。
 ラーメン界とは疎遠ながら、ここに来てグッと近距離に。が、私は(駅付近にある)県営グラウンド内の「桃太郎アリーナ」という大ホール内の占術ブースにいたので、ラーメンは食べましたが、屋外に並ぶ麺ブースとはやや疎遠地帯にいました。

 しかし、ラーメンはラーメン通に聞けで、歩いていてマニアな会話をされている方に近付き、美味しいお店は何処かと(腰低く)訪ねた私は、頭は使いようと、再確認。
 実は周囲が、皆、外れが多くて、違う店にすればよかったと聞いていたので。

 さて、人間として普段生活している反面、席に就くと生命俯瞰の立場で言の葉を語らねばならないこの稼業。
 一人ひとりに誠意を込めて、私は言霊を伝えていく。

 人は、感情的な生き物だから、感情任せでぶつけても、向こうはカッとするだけ。

 相手の心を澄んだ水のようにするために、そして自身の胸の内の透度を上げるために、そして、神の波長を受けやすい状態にするために、机の四方に米粒と塩を置き、机上には塩を撒き、祓い具と鈴で清めた上で、持参した布上に、五芒星状に塩を置いて、時に石(パワー・ストーン)を置く。

 吉備津の神の札を置いて祈りを捧げ、この机上にお越しいただけますよう、儀を遂行。
 同時に、七星剣を抜いて、魔を祓う。

 今日は、鬼門に守護神、机上に御神鏡、八卦鏡、蝋燭、水晶等を置けぬため、呪術力の低下は否めないものの、誠意を込めて、人と言葉を交わしていく。

 しかし最近、東洋占術のメッカでもある「台湾」に惹かれる私。
 何か、台湾の「占い横丁」と自分との間に、見えざる赤い糸でもあるのだろうか?

 生前からの縁なら、それは超伸び伸びの黒ずんだ赤い糸っぽいけれど。
 今日も、台湾のミスの方が来日されていて、ビーフンを試食させていただいたり。

 その件はよいとして、しかし、世の中。
 結婚されるなら、勢い婚は辞めた方がよいようです。
 私も希望あれば、手相も観させていただく事がありますが、生まれ日と、手の方の暗示。この二つが符合する事も多く。
 だけれど、それ以前に、後悔しそうなら、結婚は、ピタッとくる相手が現れるまで、あるいは先祖に縁のある人からの誘いの時(この場合は、自分の好き嫌いより、出会う年が決め手)まで待った方がよいでしょう。

 縁を待って、時の実る時。パズルのピースがカチッと嵌まる時まで待った方が、この世の循環的にもいいと思います。

 魔が射した時に出会い、ゴールすると、別れも早いし、負債も多い……。

 人は、世の中全体で幸せになる公なる器の子供達。

 だってこの世は、一つの車輪であり、それぞれがその車輪を回す小さな歯車として日々を営んでいっているのだから。

 ゆえに、幸福も車輪が正常に動いている時にこそ、実感できるもの。

 事実、壊れた車輪、壊れた乗り物を愛する人などは、(偏屈な人が言葉遊びとして言う事はあっても)いやしないから。

10月28日(土)先負・庚寅・七赤・定・胃・女・宮崎神宮大祭
10月29日(日)仏滅・辛卯・六白・執・昴・虚・福岡香椎宮例祭

 すぴこん「岡山」入り。
 机上に透明の四柱を立て、某神社にて祈祷済みの塩にて邪気を洗う。(机上の鬼門に盛り塩)

 この空間には、人の念が周囲を飛び交い、濃い霧となって空間上に立ち込めているから、せめてこの机上周囲だけでも地熱を抑え、歪んだ波動を修正しなければ。
 気は洗ってこそ、美しくなるものだから。

 例えば「奇門遁甲」という文字は、毎年、福の神が行く方位が良い方位となり、その方位は、常に(とても早い足で)変わるので、その方位に向かうと福を受けるという意味。(悪い方位へ行くと厄を受ける事も)
 つまり、神の宿る方位とは、美しい気の流れている方位。逆もまたしかりでは?
 美しい気が流れる場には、神が宿るのではないかと。

 その「奇門遁甲」から考察。
 私の住む岡山県に日が射す年があった。1962年。国体があった年ですが、何故か、その年に生まれた方から三人も大きな賞を受賞された作家が登場した。(一人、重松清さんのみは63年ながら3月なので、節分で年を割ると、やや62年組に近いと判断し、グループに入れる事に)

 そこから私は、元々、1962年という年は国体があった年だから、単に岡山に運が来た年という程度の意味ではなく、元々、「奇門遁甲」

 つまり、福の神がこの吉備の国に訪れる(何周期ごとに巡る)約束の年だったのではないかと悟った。
 それと妙なことに、その年生まれの人に(地元レベルながら)賢く活躍される方も多く、特異な年だったのではないかと思考を固める事に。

 話をすぴこん当日に戻し。

 机上に座り、机上へと神を招く儀式を(人目に付かぬようひそりと)開始。
 机上の中央ラインに、指で五芒星を描きながら、中央にかって東海の中にあった「度朔山」
 その霊山の形、空気を思念しつつ、机上空域に、歴史の門を召喚す。
 そして、その思念で描いた「度朔山」に、北極星周囲を指す(天帝の居るとされる)「紫微垣」を支えるために、(私論ながら)七本の柱を同じく思念にて立てる。
 中央の柱をアンテナとして、それを器とし。

 次に地の神であられる「吉備津」の神を召喚するために祝詞を唱える。
 亀の器にも、神の念を受け止めやすく術を唱え、独自の占術空域を構築。

 四方に、塩。そして、魔除けである桃の木で造られた七星剣で、魔を祓い、鈴にて、神の音波と同調できるよう、その赤い糸(波)の周波数を探る。

 その際は、邪念。会話は避け、気を乱さず、机上以外に立ち込める霧から隔離された空域の中で神(おそらくは、数m単位の人間のような合成物からの原子分解も、原子の再結合も可能だと想像する天の官僚たち)の波を拾うために、胸中を澄ませる。
 己の瞳を(天の波を受けやすいと思われる)水晶とするのだ。無論、私程度の輩では無理な事だろうが……。

 かって「亀ト」を行っていた三浦半島の神祇官のト部は、11月初旬に、供僧九名にて早朝に海で浄めを行い「雷命神神社」に拝礼し亀を取ったという。
 ノストラダムスは、机の縁と足とを水で清め、手には杖を持ち、机に腰掛けて蝋燭の炎周囲から、神の輝きを見、神が降臨したらしき事を「百詩篇」にて書き残されていますが、超越した者の声を聞くには、その声の主を招くための礼、そして儀式作法が必要と気付いてから、私も始めた開始の儀。

 例えば、人それぞれ居心地のよい場所があるでしょう。
 居酒屋が合う人。高級店でないと嫌な人。人はそれぞれ普段の生活に近い場が和むなら、この世を越えた世界の人々が好む場所。空間。模様、言葉。
 それを運命料理人は、テーブルの上に置いていく方が、相手に届きやすいもの。

 無論、礼以上に心は尊いとは思いますが。(心のこもっていない礼よりも、見た目は粗雑、無礼に見えても、誠意のある祈りをする方の方が、思いは深いゆえ)

 ただし、心の持続はやがて形を成していくものなので、礼を習得された方は、普段、粗雑な方よりは、持続力があり、一瞬一瞬のパワーは弱でも、「継続」「素直」という霊界帖の項目には、○がされて、結果。
 それなりの仕事。役を天から与えられているのかもしれない?

 私のような風来坊気味な面のある人間は、礼は好きでも、自分の死角も多いゆえ、未だに貧乏かつ、運が開かれず、この街の片隅を彷徨っているのかもしれない……。

 さて、自ら求めずとも、何故か導かれ、参加することとなった「すぴこん岡山」
 実は私もお金があれば、色々なブースを回りたくてうずうず状態でしたが……。

 高額なブースが多いので、机上にて、この三丁目劇場の土地神に、色々と呼びかけて、空間を俯瞰。
 この地の土地神に、縁起ものの米を供え、土地空間マッサージ。

 しかし、赤字になるかと思ったけれど、自身の営業努力(歩くお客を明るく呼び止め! やはり言葉は私のテーマだし、書き言葉は無論、話し言葉も大切なアイテムかつオシャレ術)や、吉備津の神の加護もあり、何とか黒字に!

 しかし、吉備津彦神社の巫女さんの身内やら、妙に「吉備津彦神社」「吉備津神社」に縁のある方の来訪が多かったのも、私の祝詞や、日頃の参りが吉と出たのか?

 実はこの8月にあった映画「バッテリー」のエキストラに参加した時(ロケ地=岡山県営グラウンド内の野球場)。
 なにやら、決勝か準決勝戦で、主人公の「横手二中」の相手が「吉備中学」という岡山の学校だそうで。
 その際、ただ一人「吉備」(中学)と書かれた応援プレートを持たされた私は、その際、これも「吉備」の神の導きかと過ぎった。(その応援シーンは映っても小さいでしょうが)

 そうそう、会場に来られていた博識のMさん。
 私もブースを離れられたら、Mさんともっと話したかったと後悔。

 だけど、今日は儀式のフォーマットを公開しましたが、フォーマットは今後も進化する事でしょう。
 何故ならまだ途中だから。

 禁書にて焼かれた手法や、秘儀は、まだまだ歴史の闇に隠れているはず。
 その扉を開くために、神霊を探る記号を机上に並べて、歴史の扉をノック。

 今度は司馬遷の後ろ髪を引いて、その毛先を手繰りたい。
 その髪の糸で紡ぐ歴史の服は、きっと、禁書という名前をしていることでしょう。

 髪の糸に宿る記憶は、さて、何を囁くのだろう。


11月1日(水)先勝・甲午・三碧・成・参・壁・燈台記念日・新米穀年度・一粒万倍日・三隣亡

 一日参りにて、願いを一つのみ祈願。

 北海道で震度四。
 太陽、金星、火星の蠍座への入宮も影響している可能性も?

 そこで、八方位分析官として、対策を一思案。
(星の動きから、暗示を読み取れても、どう対策を練ればよいかまでは、ホロスコープではひねりだけないだけに。対術を考えることにいたしましょう)

 その昔、常陸(茨城県)に地震が多いために、鹿島の神々が大きな石の棒(石剣)で龍の頭を釘刺した結果。それが「要石」となり、「要石」が国内の地震を抑えているという一説があるのですが。
(鹿島神宮内に要石は祀られているようです)

 そこで、自前の「七星剣」を大地に刺す儀式を行い、祝詞を読むことに。

 大地に埋める(模擬)龍がないので、龍を模す何かも用意したいところながら、とりあえず、その刺す儀式を要石として、平安を願い候。

 この世は唯物世界ゆえ、唯物の側からアプローチしつつ、その中核に、唯心を据えて、事を行えば、道理は通ると、霊的世界の門前の木に、短冊を掛けたし、心境。



10月30日(月)大安・壬辰・五黄・破・華・危・重陽節・紅葉忌・京都天竜寺開山忌・不成就日
10月31日(火)赤口・癸巳・四緑・危・觜・室・世界勤倹デー・ハロウィン・十方暮終り・天一天上

 三十日(旧暦九月九日)。五節句の最後である「重陽の節句」
 不老長寿の薬とされる菊の花に口付けをして、県内の神社を、数社巡る。
 某神社で「大玉串」を購入し、手帳に本殿をスケッチ。
 「お御籤」は大吉。

 重陽の日が命日であった中国の林黙娘の神像を本日、家に迎え、命日の逆転。即ち、(重陽の力を借りて)林黙娘像に命を吹き込むという復活の儀式を行い、家の護り神の一つとして祭壇に参列。

 三十一日はハロウィン。
 ケルトの「ドルイド教」では11月1日を新年とするために、新年の祭りを前日深夜から始めたために、その風習をハロウィンと呼ぶそうですが。

 どうも、この収穫祭、祭司が炎の前で儀式をし、その残り火を各家庭に1日の朝に渡して行く事で、個々は家庭の釜戸に火を付け、(魔的な)「妖精(バンシー)」を家に入らせぬようにする儀式だとか。
 となると、現代のハロウィンの魔的な衣装、デザイン群は、家に妖精を迎えるようなサインのような気がしてならない私。
(事実、あの意匠は、精神の波動を破壊し、結果、迷いや悪念が生じて、世界の正道なる動きを見る眼が曇るので、なるべく避けたい心境。人の未来を読む目が曇れば、占術力も減退していくだろうし)

 そういう論理から、オバケ南瓜とかには、余り近寄らず、常に魔除けの塩や道具で自身を防御。

 それに、低所得生活者だけに、諸々の凶兆から脱さないと、因果の輪は断ち切れないし。

 縁起道の正道を通り、魔的な空域から離脱する飛行術を私は磨くエース・パイロット。

 ハロウィン通りに、妖精避け護符を飾り、そこに(魔系)妖精禁止区域と名付けた結界を張り、歴史修正委員会という観点から、正道ハロウィンを復活させた方が、史実に近付くのではあるまいか?

 そう、例えば、幽霊衣装を着た集団へと、節分の豆まきをしていくスタイルにした方が、本来のケルトの収穫祭に近い姿となるのではないかと。

 その儀式を行う企画者は 「ハロウィン修正委員会」
 そして、豆まきをする者は、「豆術師?」

 オバケ衣装の集団に対し、(西洋)豆を「鬼は外」とまいていき、お化け集団を町から追い出す日本の節分と、ハロウィンの融合したハロウィンのニュー儀式。

 和風ハロウィンの誕生です!

 いかがでせう?

 が、己の敵は己の中にあることも多いので、まずは、自身の中にいる魔的妖精と格闘することから始めることこそが、欲の多い人間として、人間の成長を促す美徳とも呼ぶべき行為なのかもしれませんね。

 全ての人に、実りある十一月が訪れますことを!

11月5日(日)大安・戊戌・八白・建・星・昴・満月

題「占星術通り一番街・B112」

 (中国)「度朔山」の桃の花を一輪摘みて、鬼門へと供える。

 書「山海経」の記述を元に、桃の木製の大きな人形を門戸へと立て、神茶と鬱壘と虎を描き、葦の縄をかけ鬼を防いだ黄帝。

 確かに、鬼の通り道には近付かない方がいい。

 「度朔山」の桃が、一体何処にあるのかはわからないが、その桃を机上へと召喚し、その実へと手を伸ばしてみたい。

 この電脳上に敷いた占星術通り一番街「B112」
 ここでそんな神秘想に耽っている。

 鬼門の方に、鬼の出入りを確認と一報。

 さぁ、出かけよう、鬼門へと。
 壊された鬼門の鍵を付け替え、鬼祓いの旗を立てておく。

 しかし、その目印を見た鬼達は、片手に持つジャック・ナイフにて旗を切り裂き、論理的方法で鍵穴を破壊していく。
 そして、闇夜に街灯の下にてマントを翻して、足早に駆け抜ける。

 しかし、行方を推理し、先回りしておくことで、出くわした鬼達に、度朔山で摘んできた桃の花を一輪、差し出すのさ。

 桃の効能で、鬼門の死者の悪意を祓い、鬼門へと返すために。

 君の寝床には、(鬼避け用の)御守り刀は置いているか?

 要望あらば、虎に乗りて、桃の花を横笛にし、桃製の大麻を振りに向かおう。
 君自身が、悪夢を断ち切りたいのなら。

 歴史上、陰陽寮が、秘儀の書を省略化していった結果、錆び付いてきた占星術の奥義たち。

 その奥義を手探りで探るために、占星術通り一番街という空間を構築したい。

 電脳上に、建造する平安京を模した碁盤の目。
 縦九(の通り)と横九(の通り)とが交差する、新たな通りを。

 魑魅魍魎の徘徊する電脳上に新たな聖地を。
 その区画に天球儀と呼応する「天地相応域」をも築き、天地の調和を軸に、地の方を改造していこう。
 そして、理の道を進めていく。

 いや、その理は、私の関われる範囲を超えているかもしれない。

 だから、占星術通り一番街「B112」で、桃の香りを発するパイプをくゆらせながら、鬼門前に生えた木々の揺れのみを、当分は監視していることにしよう。

 そう、今日も鬼門をすり抜けてくる、鬼門からの使者たちと戦うために。


11月6日(月)赤口・己亥・七赤・除・張・華・土用明け (土用)間日

 菩提樹の花粉。大地に一つ。
 夢まぼろしを産む種は、しずかに落ちていく。

 菩提樹の花粉。大地に二つ。
 土から生まれた大樹が、母なる大地を癒していく。

 菩提樹の花粉。大地に三つ。
 風化した悟りの道。それを花粉が洗っていく。

 風の中で。
 冬木立となる菩提樹が、忘れられた道へと、何かを問いかける。

 道に耳を当ててみよう。
 未だ記憶されているであろう太古の声を聞こう。

 この世で見聞きしてきた概念を脱す新しい耳で。
 あたらしい耳を獲得するのだ。
 わずらわしいこと。それを禊祓い、削ぎ落として。

 あたらしい世界。
 二〇〇六年。立冬。
 花粉に包まり眠りに就こう。

 そう、古い概念を捨て、この耳にあたらしい音を注入するのだ。
 人を呪詛させる言葉ではなく、心洗う粒子の結合する相性良き粒子達の結晶の声(ことば)を。

 菩提樹の花粉。大地に一つ。
 夢まぼろしを産む種は、やがて人を育てていく。

 家族はやがて、別々の道を歩むようになるのだろう。
 だけど、この菩提樹の下でもう一度笑顔で向き合えるのなら、この手に受け止めた花粉の跡を、それぞれに見せ合おう。

 黒い(欲望の)霧が、人の心を呑みこみ、家庭とは常に火種を含んでいるもの。
 物理的な損得で人は争い、精神論は、余裕ある者でもなければ、信ずることはできない。
 
 良心との格闘を繰り返しても、それを超える聖者に達することは、容易ではないはず。

 人の心に燃え上がる怒りの炎。

 菩提樹の下で、もう一度、(家族間にて)契約をやり直せるのならば、公平な分配を約束し、憎しみの炎は消した方がいい。

 この世に生まれた時から、尽きることなき欲望。それが、互いを争わせ、弱い者は、駆逐されていくもの。
 だけどこの世には、温かい家庭もあり、そこには柔らかい風が吹いていることだろう。

 その風が大樹を育て、その花粉が、良質の人間を育てていくとするならば、腐った水を飲む暮らしはやめて、濁流から抜け出した方が、幸せは近付くだろう。

 汚れた手は洗えば落ちる。
 魂も、しかり。

 題「禊祓いをポップに」