●弱いときショック!

周りの人と喧嘩したとき
仕事でミスしたとき
孤独を感じるとき
過去をくよくよ考えるとき

人生のさまざまな局面で、さまざまな弱さを感じます。


●弱さは成長の機会グッド!

私はよく過去の済んでしまったことを
くよくよ考えてしまうタイプです。
何度もそういう経験をしたために、
非生産的で何の成長も自分にもたらさないとことも知っています。

もし仮に、今くよくよ考えている過去をもっと前向きに捉えられるようになったら、
もっと人生を楽しめるだろうし、自分に大いなる成長がもたらさるのだろう、と。

そうなんです。
弱さを感じているとき、自分はマイナスにふれているのですから、
それを0にもってきたり、プラスにもっていったりすることができるなら、
それは大いなる成長がもたらされる
ことになります。

弱さを無意味に感じ続けるのは、自分の過去が悪いからではなく、
現在の自分の思考の習慣が稚拙だから
なんです。
もちろん、弱さを感じない人はいないので、弱さを感じないことは不可能ですが、
それにずるずる引きずられ成長しないことは、克服すべきことなんですね。
ものの捉え方を学んでいないから、ず~~と成長しないまま、
くよくよ考え続けるんですね。


●どうやって克服するのか?ニコニコ

弱さを強さに変える思考の習慣は以下のようだと思います。
自分の弱さを感じる経験を自分が成長するために与えられた機会と信じる
自分のどんなことを克服するために与えられたのかと考える
  ∟1つ以上その要素をみつける
②で抽出した点を「今」どうすれば克服できるか考え、実行する。
  ∟「今」実際にできることに落とし込むことが大切!
「今」における行動目標に落とし込むことで、弱さを強さに変える機会を創出するのです。


たとえば、過去のことをくよくよ考え、弱さを感じてしまう私の場合でいきましょう。
親友の結婚式のスピーチであがってしまってちゃんと話せなかった経験がありました。

①まず、その経験が自分が成長するために与えられた機会だと信じます。
②どういった点を克服するためなのか?
  2-1当時私はスピーチがうまいと自分で思っていたので、準備も何もしていなかった傲慢さか!?
  2-2その親友を真に祝いたいという気持ちがたりなかった点か!?
  2-3スピーチの後にやさしい声をかけてくださった人々への感謝の気持ちにきづかせるためか!?
③2-1だと、自分がプレゼンとかスピーチをする場合、入念に準備する
   ∟意図的にそういう機会を作って、スピーチ・プレゼン上手になってやろう!
 2-2だと、もっとその親友の近況などに関心を払って、その親友のためにできることをしよう!
   ∟とりあえず電話かメールだな!

同じ過去でも時とともに、捉え方が変わってきます。
私は2-1を実践して、スピーチ・プレゼン上手とまではいかないですが、
確実にレベルアップした自分を感じています。
ですので、親友の結婚式のスピーチでの経験は自分にとって大いにプラスになったと考えています。
自分の成長には欠かすことのできないものになっています。
弱さを感じていた経験を、強さに変えることができたのでは?と感じていいます。
2-2はあまり実践していなかったので、ちょっとやってみようと思います。


●最後にメラメラ

苦難や困難があまりに大きいもので、
そのときでは立ちむかえない弱さというものも数多く存在すると思います。
ただ、そんなときでも、時間をゆっくりかけることで、
徐々に徐々に、弱さを強さに変える機会を作り出せると信じています。

弱いと感じているとき、それは大いなる成長の機会です。
逆にいうと、弱いと感じていない人は、成長の機会に恵まれていないんですね。


弱さを成長の機会として捉えることができますように。
そしてまた、その機会を通して、大いなる成長を手にすることができますように。
●模範の大切さビックリマーク
会社で新入社員の人に「自分で考えて」って伝えると、
他の社員の人がやっていること、競合他社のやっていることなど何も参考にせずに、
う~~ん、う~~んって長時間考えている人がかなり多くいます。

専門知識も経験値も少ないにもかかわらず、
ゼロベースから自分で何かを考えてだせると思っているんですね。

確かにゼロベースから何かを構築できる力があれば物凄いですが、
そんな人はごくまれな人。

たいていはどんな局面においても、何かを「模範」にして、
それを横展開していったほうが、成功する可能性は高まります



●私の例にひひ

私は社会人のはじめは、大企業に就職しました。
大企業で本社と子会社の業務に携わりました。
最初は本社業務を必死でこなしました。
そして、本社業務をとおして学んだことを、
まだまだいろいろなことが未整備であった子会社において、
本社で学んだことを次々と当てはめていきました。
そうするとあっという間に子会社の発展に寄与することができました。
本社という「模範」を子会社に横展開できたのです。
本社業務には、本社の今までの成功体験がつまっていたんですね。

次に私は、大企業を3年で退職して、ベンチャー企業に転職しました。
大企業の本社業務と子会社業務で学んだことを、
ベンチャー企業に事情に1つ1つあてはめながら、
実行していきました。
そうするとあっと間にベンチャー企業の発展に寄与することができました。
「大企業」という模範をベンチャー企業に横展開できたのです。
大企業でかつ成長企業でしたので、大いに成功体験がつまっていたんですね。

またベンチャー企業でも横展開すると同時にいろいろなことを学びました。
そして、ベンチャー企業の成功体験をとおして学んだこと、それを横展開する計画も徐々に立てています。

自分のキャリアをふりかえってみると、
最初に、成功体験の多い企業(大企業でも成功体験が忘れ去れた企業は多いですが、)から、
出発できたことが本当に運がよかったです。
それがあったからこそ、「模範」の大切さ、横展開の威力を学びました。


●成功体験のつまった「模範」を横展開するメラメラ

「模範」を軽んじる人は多いです。
単なる真似じゃないか、自分で考えていないんじゃないかと批判する人も多くいます。
でも、そういった人は成功への道を知らない人ではないかなっと思います。

目に見えるものではなく、その背後の構造をつかまないと、横展開は難しいです。
独自の視点や熟慮なしには、横展開は決してできません


「模範」には、成功体験がつまっています。

「模範」を通して、より多くの成功体験をもつことができますように、
そしてまた、生き方においても自分の「模範」をみつけ、それを自分に横展開することで、
より豊かな人生を歩むことができますように。
今日も反省。

何かをみなでやろうとすると、

当たり前だが、できる人とできない人に分かれてしまう。

私の課題は、

①自分ができないとき、それを受け入れられないこと。
そして、
②自分ができているとき、できない人を暖かく見守れないこと。

自然に①②のようになってしまう、自分の悪しき思考の習慣を改善中。

ひとりひとりの価値が大いなるものであることを胸にとめてメラメラ


●つらい経験ダウン

私は、親が離婚して、受験にも失敗したとき、
自分の不遇な環境をひどくうらみました。

自分はなんて不幸で、
なんて恵まれていないのだろうか。と。
周りはなんてのんびりで、
なんて楽しそうなのか、と。

そして、不幸な原因を親に認めるようになっていきました。

親から精神的にも、物理的にも離れたいと願うようになり、
親と子の関係は、もう終わったもので、
早く逃げ出さなければ、自分自身が崩壊していくように感じていました。
早く逃げて、早く自分だけの新しい生活を築き上げたいと強く思っていました。

私は、自分がおかれた状況を「不遇」だと選択し、
その原因に「親」を選択しました。


●どの選択を行うかはてなマーク

その「選択」は、私に多くの経験をもたらしましたが、
残念ながら、幸せはもたらしませんでした。

10年近く経って、私は過去を捉えなおし、
当時の「選択」がまったくの自分よがりで、まったくの自己弁護であったことを理解しました。
ただ、当時の状況においては、その「選択」しかできない自分であったことも理解しました。
そしてまた、親もその「選択」しかできないほど、知恵も知識もなかったことも理解しました。

私は、その10年の間に、
何かつらい経験、苦しい経験、うまくいかない経験を、
自分の成長と喜びにつなげるか否は、自分の選択にかかっていることを学びました。


●成長と喜びのためににひひ

私たちは、成長と喜びを得るために、多くの試練が与えられます。
逆にいえば、多くの試練を与えられるからこそ、成長と喜びがあります。

私たちが、成長と喜びを得たいと願うなら、
試練を乗り越える自分自身を作り上げなければなりません。

作り上げるには最低限以下3つのことは、必要であります。

謙遜になって、成長と喜びのための試練だと受け入れ、意義をみいだすこと
その試練を乗り越える道が必ず存在すると信じ、祈ること
その道を諦めずに行いによって探し求めること
  ∟物質的な解決ではなく、精神的な解決を優先する
  ∟行いによって、「精神的」=「ものの捉え方」を変えていく

謙遜になって、いかなる物事の背景に、何か善意的なものが私たちに働いていると捉えるのです。
自分の「ものの捉え方」をすこしづつ変えていくことによって、
徐々に、苦難が、ちょとした苦労に変わり、ちょっと苦労が普通の出来事のように変わっていきます。

こうして、困難であれ、何であれ、すべての道において善を認めることで、
私たちに多くの成長と喜びがもたらされます
メラメラ


●今の選択音譜

私の過去の「選択」が正しかったのか、間違っていたのか、
という問いは正直どちらでもいいことです。

ただもっと早い段階で、親の離婚と受験の失敗は、
①友達や親を大切に思わずに自分のことしか考えていなかった自分自身の成長の試練であること。
そして、
②その試練を乗り越えることを信じ、お祈りする。
具体的な行動としては、
③自分が普段つきあっている人とは別の人たちと接したり、人のためになることに意識的に取り組んだりすればよかったなあと思っています。

今はその当時自分が「不遇」でったとも思ってないですし、「親」が不幸の原因とも、もちろん思ってないです。
文句の1つや2つは言ってしまいますが、よくがんばってくれた親に感謝しています。


日々の小さな試練によって、すべての道において善を認める、
というこの基本的な思考の訓練を行うことで、
来るべき試練に立ち向かえるように備えたいです。
大いなるの成長と喜びを自分が得るだけでなく、
その喜びを人にも伝え、実感してもらえるように。
●採用担当での経験叫び
新卒採用の面接担当をしていたときによく感じていたこと。

それは、「やりたいこと」が本音ではないこと。
「新たなサービスを世にだしたい」
「企画のスペシャリストになりたい」
など、よく耳にしました。
中長期的な目標をもつことは、ざっくりしたものであれそれはすばらしいことです。

その後に
「ではそれに向けて今何をやっていますか?学生時代の残りの間に何をやりますか?」
と質問すると、
抽象的でよくわからない回答が返ってくることが多かったです。

それだと、せっかくのすばらしい思いが、真実味を帯びて伝わってこず、
本当に「やりたいこと」をわかってないのだな~とよく思いました。
仮に本音だったとしても、何もやっていない・計画が何もないというのは、
あまりにも行動力がなさすぎで、余計に残念です。


●行いを伴わない思いは死んだものであるあせる
行いを伴わない思いは、仮に強く思っていたとしても、
それは、死んだものです。


なぜなら、真の思いというのは、心の内側から人を動かし、
人に力を与え、その人を行動へと必然的に掻き立てるからです。

とはいえ、何もしない最初の段階から、その真の思いを培うことは滅多にないことだと思います。
いきなり、真の思いに出会えて突っ走る人の話もききますが、それは非常にまれなことでしょう。
ある程度長い期間従事したものに対して、成功体験を1つ1つ積んで、
徐々に沸々と自分の内側にある真の思いが育っていく
ものです。

ですので、その真の思いを培う間、私たちは勇気をもって継続的に行動をおこさなければなりません。
その継続的な行動がなければ、自分の思いは死んだものとなってしまいます。

その思いを保ち続けるのは、幾多の試練が待っており、非常に難しいことだと思います。
でも、自分のやりたいことがあるのなら、それを乗り越える覚悟と行動が必要です。

どうか私たちが、行いによって、本当の思いを心の内側に育てることができますように。
またその過程において、成長と喜びがありますようにメラメラ