日本のルールや未来はアメリカが決める -8ページ目



46:00~
そのね、優先順位の議論僕ちょっとね、かなり抵抗する。ちょっとね一つの、別の具体例で言うとね、例えば今あれなんですよね、つまりあのなんていうかな、なかなか国内のね、投資、需要が・・・それでその成長戦略ってのが実質ね、要するにあの、破綻しつつある訳さ。

そしたら普通の人間だったらこう考えなきゃいけないんですよね。確かにね、金はばらまかれたと。で、金融機関が持ってると。それでマネタリーベースはできたと。でもそれは実際のね、資産、インフラもちょっと進んでますから、株高があるから、資産価値も上がってると。ところがそれがね、消費増とか投資増、国内需要に増えない理由が何かとなったら、将来がね、株が上がろうが、円安になろうがね、将来ってものが恐ろしく不安定になってると。特に投資なんてのは長期的な計画ですからね。3年、5年、10年後どうなるかわからないっていうところで、そんな投資需要は増える訳も無い訳ですよ。

そしたらそこでね、グローバリズムなんて言ってる場合じゃないなと、もうちょっとだけ・・・そうするとどうしてもね、民間に任せておく訳にはいかないなと。マーケットにね。どうしても公共当局がそれを主導する形で、やんなきゃいけないの。

次に、じゃあその資金はどっから来るんだと。これ以上国債残高増やす訳にもいかないとなったら、結論は簡単でね、日本の民間資金がですよ?外国の投機市場その他にね、流れる分をいかに国内に留めるかって問題になってくる。

ちょっと強引に言うとね、そうなってきたらですよ?グローバリズムを疑ってしまったら、実はそういうね、国際的な資本移動に対してもこれから色んな国々がね、大変厄介だけどもある種のチェックをかけなきゃいけないなっていう議論まで来得る訳ですね。そういう議論をね安倍さんは何一つ理解していない。で、理解しない理由として、集めてるそのブレイン達が、そんな事はね、経済学をやろうが何を思おうが、経済学の教科書すら半分しか覚えてないような連中がエコノミストと称してるんですからね?

それどころかもっと厄介なのは、古谷くん言うように簡単に行かないのはね、実は今の役人どもね。もちろん昔からそうだと言わないんだけどね、今時はですよ、ほとんどグローバリストなんですよ。これは財務省だろうが経産省だろうがね。あの人達は「改革、改革」、東大出たり、早稲田出たりして考えつくことは、テキトウな教科書の半分程度のね、それこそ先ほど言った「心の中の赤旗」的な気分で役人達はいる訳さ。

そういう人間達がプラン作らせると、結局構造改革の延長路線で、規制緩和でイノベーションっていう風な、そんな話しか出てこない訳ね。そういうものを安倍さんが野放しにして、っていうか、そういう事してる自覚すら持ってないって事を考えたらね、そう簡単にね、優先順位でもって、防衛問題でもまだ安倍さん応援して、っていう風にいかない。

僕はおそらく、事ここに至ればね、防衛問題は大事だけども、経済問題も、それこそ移民問題も、何もかもひっくるめてね、ある程度同時とまで言わなくとも、連環づけて議論できる様な形でないとね、この戦後民主主義っていうのは何をやろうともその分裂病が深まるだけで、という風に考えたらいいんじゃないかな。



つまりこういう風に言うといかにもね、あれもこれもね、まあまあ理解してて大変な事の様に思うけども、実際にはね僕は今言ってる事は、物凄い常識的な素朴な事であってね、もうちょっと素朴化するとですよ、安倍さんが自分が集めている諮問会議のエコノミストでもいいし、なんとか帰りのビジネスマンでもいいけども、顔を見たらね、「この顔はあかんぜ」ってね、ほとんど顔でわかるんだってね、ただ顔の問題をテレビでやる訳にはいかないから一応理屈を述べただけでね、そういうね、人間、人物判断の感受性においてもね、相当劣ってきてる。これ安倍さんにだけじゃないのよ。戦後日本人ずっと。







10:36~
ルールってのは二重構造になっててね、上の方は、上層構造は言ってみれば成文、憲法論と関係あるけども、成文化された法律ですよ。でも法律はね、誰か勝手に多数決で決めるべきもんじゃなくて、そのそこには言ってみれば道徳というね、そういうその不文のあれがありますよ。

ところがね、この道徳とでよ、道徳という不文の法と、法律という成文の法がね、この現代社会ではどんどん大きくずれる局面がある訳ですよ。その時にね、テロの定義ってのは基本的には法律という成文法に反したらテロという定義になる訳ですよ。

ところが法律に反しててもね、やはりあの道徳に合っている行動という事があり得る訳ですよ。そう考えたらね、一体そのテロ・・・そういう事あるもんですからね、僕が言いたいのは道徳と法律がね、まあまあピッタリと合ってれば、法律違反は道徳違反でもあるから、そういう意味では僕あれですよ、そういう意味ではねルール違反を認めない。







よくね、この戦争の事をつかまえて「侵略戦争であった」って言い方がまだ続いてますけど、でも一体「侵略」、英語で「Aggression」と言うんでしょうけどねぇ、「侵略」とはなんぞやと考えた時に、実は残念ながら今現在もね、まだ国際法なりね、国際関係論の中で意見がまとまってないんですね。

それで、普通の理解はね、自分から武力先制攻撃、自分からって言ったって国家の意思でね、先制武力攻撃だったら侵略だという風に思って、だから従って中国大陸にももちろん日本軍隊は最初行った訳だし、真珠湾に日本行った訳ですからね。これを指して侵略戦争だと言ってる程度のもんなんですね。

でも、どう考えましてもね、やっぱり武力先制攻撃を侵略と定義するのはやはり間違いであってですね、僕はあの、つまりその予防的ならば、英語で言う必要もありませんが、英語で言えばそのPreventiveなね、予防的な先制攻撃はですね、いつの場合とも言いませんが、考え方において自衛戦争である。

簡単に言うと、放っておくとね、相手が攻撃してくるなり相手から締め上げられる。或いはその、自分の国家の権益がどんどん縮小させられるという事。

そういう状況がね、もちろん人間の判断ですから絶対って事はありえませんが、どういうEvidence・証拠を持ってきてもね、どうもそうとしか見えないっていった時には、自分から予防的にですね、武力を他国に出すという事はね、これはその自衛戦争にあたるんだと。

それがその、あの戦争は自存自衛の戦争であったってのはそういう意味なんですね。ですから、僕は日本軍が本当に、あれですよGreater Asiaにですよ展開されたんだけども、その最もベーシックな所ではね、やはりその予防的な意味での武力の発動であったという意味において、やっぱりその自衛戦争であったのだと。

しかしながら戦争ですから、ましてや総力戦ですからね。非常にこう重層的になっておりましてね。例えば表層の所ではですよ、予防的どころかね、ひょっとしたら覇権的な意志を持ってですね、どっかに武力を出すという局面もね、あったでしょうし、そういう風な場所もあったでしょう。

でも僕はやっぱりこう重層的に見たら、もっとも規定的な層に於いては、あの時代に於いてね、やっぱり予防的な、自衛的な、その武力発動をですね、したという意味において、僕は一言で言って、我々の先輩たちはですね、偉大な戦争をやったのであると。いう事をベーシックな理解として持たなきゃいけないし、ついでにもう1つだけ、今度は逆に表層的な方で言うとですね、他でもないあの神風特別攻撃隊、神風特攻の事でありますけどね、おそらくすぐる20世紀の世界に対して日本民族がですね、世界に何を示したか。

色んな事あるでしょうけども、有り体に言うとですよ、自動車がどうとかなんとかどうとかってのはですね、所詮その欧米文明のですよ、言わば真似事であり、それをRefine・精密にしただけの事であってですね、本当の意味でその国民精神の問題として瞠目すべき出来事はですね、国家の決定によって、しかも基本的にはですよ、兵士の自分達の志願によってね、国のために絶対的な、つまり帰る事ができないという意味においてですよ、絶対的にですね死ぬ。

そういう局面を引き受けてみせようというね。そういう戦術をですね、あの大東亜戦争の最末期に於いて、大西瀧治郎氏の指導の下にやった事を、これを今なおね、残酷であったとか残虐であったとか可哀想であったという風に言ってますけど、おそらくね、やはり世界史を紐解けばね・・・あまりここまで言うと問題ですけど、今のですね、イスラムテロリズムの良き部分を・・・うん、含めて言えばですね、やはり本当に人類はびっくりしたんじゃないかな。

人間達があの場合は数千名の規模に於いて、ええと、両方合わせればどれぐらいになるんでしょうね?5000近く行くんじゃないでしょうかね。

ともかくですね、何千名のね青年兵士達がですね、しかもその負けるであろうって事、負け戦になるであろうという事をですね、なんていうか見越した上で、やはりその死の軍事行動を決行したという事はね、やっぱりその人類に対してものすごい影響を与えた。精神史として。

で、1つだけ付け加えると、それを指してですよ、戦争負けたんだから犬死にであったと言う、もう依然として8月15日のテレビ・新聞はやってる訳ですよね。

あれもね、非常に平凡な事だけども、本当に言葉のトリックであって、犬死にかどうかはですね、今の神風特攻の事を言えばですよ、特攻のそういう、特攻の青年達の意志というものを後世がね、どういう風にその、引き継ぐか。簡単に言うと、真っ当に引き継いだのならばそれは犬死にじゃない訳ですよね。

それで「自分達は引き継ぎません」って事をやっておきながら、その戦死者、特攻に限りませんけどね、そういうものをあげてきて、戦争負けたから犬死にであったっていう言い方の中にね、本当に戦後日本人っていうものは、それこそ前回話したですね、いわゆる公心というものをね、こうまで失くしてしまったんだって事が、「犬死に」って言葉に表されてんじゃないかと思ってますけど。







先ほどね、小堀先生が仰ってくれた、そのペリリュー島の小さなね島の、今は密林ですけども、真ん中に建ってるアメリカ提督のそのニミッツの文章ってのは、本当は自分達の海兵第一師団をね、褒め称える文章の中の一部分なんだけど、こういう文章なんですよ。

「この島を訪れた旅人たちよ。この地で日本の若き英雄的愛国主義者達が戦い抜き、そして死んでいったという事を記憶に留め、その事を国に帰ったら故郷の人々に知らせよ。」

っていうそういう文章なんですよね。本当にこう泣きたくなる様な文章なんですけどね。







今の山村さんのね、まとめ。それ正しいんだろうと思います。ただ、これ間違ってるかどうかみんなに聞きたいんだけど、僕はやっぱりその、今並べられた色んな各国のサミット、頂上の首脳達はね、やっぱり基本的にはね、あれですよ心情的に言えばその、アジア嫌いなんですよね。

やっぱり現代文明ってのは白人どもが作ったあれですからね。その後追っかけてね、技術の真似はするわ何はするわね、どんどん自分達を追い越して行くこのイエローに対するね、ある種のその反発ってのはこれ普遍的にある。しかしながら中国の場合はね、正にカネだその他でもって中国の巨大な13億か15億のですよ、そのマーケット、インドも、インドはイエローじゃないけどまぁともかく中国で言えばですよ、それを相手にしなければ自分達の国がもたないって事があるからね、そういう非常に打算的なあれをもって親中的なそのね、ポーズなり、戦術なりを取らざるを得ない。

従ってですよ、本当は日本もね、もしも断固としてね、ある国家意思を持って、「お前達偉そうに日本に対してあれこれ言うんなら俺達は(例えばですけどね)金を引き上げるぜ」とかですよ?なにかその他のね、ある国家意思を示せばね、当然ながらね、ある種その親日的なポーズをね、彼らだって取る可能性は大いにある。

ところが日本人は一切言挙げしない訳でしょ?で、幾らいじめても蹴飛ばしてもね、ハイハイハイハイって言って這いつくばってですよ、行く訳ですね。そうなったら元々あるね、そういうそのイエローに対する侮蔑・反発というものが、それがその反日っていう形で出てきてるというね、ちょっとその集団心理の読み過ぎだから確たる証拠があるかどうか分かんないけども、僕のあれですね、人生体験踏まえて言うとどうもそういう気配がありますね。


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