今日のテーマは、シフトしていく過程において起きつつあるような内容です。
このアイデンティティというものは、自分という存在理由でしょうか?
自分というものをカタチにし過ぎた、ストーリーのキャラクターの強調といってもいいかもしれません。
しっかりしたアイデンティティを持っている事は良いこととされるらかもしれません。
ただ、このアイデンティティという個性を自分で作っていき、そしてそれを強化し行って、生き方にそれが強調がありすぎるがゆえに、苦痛や快楽を作っていきます。
ストーリーを面白くするのにはいいのですが、長く転生輪廻するためのきっかけにもなります。
エゴがもちたがる、頭の中の自分という確立です。
そしてこのアイデンティティは過去と未来に生きています。そうすることで、あたかも存在しているように、幻想の自分を確立を強くしていくのです。
つまり自分というエゴの幻想を深く感じで立派なものとして自分が存在する証明としているのです。
もちろん本当はありません。エゴそのものが「 私 」という幻想ですから、アイデンティティも幻想です。
ただ、それを言ってしまうと、この幻想の世界では、ストーリーが展開できないはずです。
また日々社会の中で生活ができなくなります。笑
ただ、やはりあまりそのようなものを強調してしまうと、どうしてもどこか偏ってきます。
この偏りはカルマを多くつくり、そしてさらにストーリーにのめり込んでしまうのです。
最後は疲れ切ってしまうくらいに、のめり込んでしまいます。
やはり、ある一定の「冷めた視線」をもつための、休息が必要かもしれません、。
その休息とは、アイデンティティより 「 いまここ 」「 あるがまま 」という感覚も多く持つことです。
つまり、霊的な休息を持つことです。
すべてが幻想ではあるならば、ある程度の休息をもって、全体にあわせる、おおいなる存在に合わせられる時間をもつことです。
人生を本気にしない時間を作るということでもあるかもしれません。
できれば、いまここの瞑想のようなものをするといいのです。つまり自分の人生の本質を感じられる時間を持つことなのです。
例えば、真剣に物事を考えてばかりいる人がいたとして、そのような人は、自分というアイデンティティの中で、なんとか過去や未来をコントロールしょうとしているので真剣なのです。
少し休憩するこということが、瞑想ではなくても、遊ぶ、楽しむ、捨てる、やめる、ゆるむ といった 自分自身を緩ませるような方に行ってもいいかもしれません。
真剣に生きすぎない。ということです。どこかいつも節目節目で最後は保留にしていく。
それはアイデンティティの世界、ストーリーにのめりこむ事を中断して、自分自身にエネルギーを戻していくことです。
呼吸に意識を向けてみるのもいいかもしれません。
日々、仕事や生活の中で休憩を入れるときに、自分の呼吸に意識を向けて、心を休ませることです。
あまりにもアイデンティティを確立しすぎると、ストーリーから抜けられません。
だからこそ、たまに休憩して、アイデンティティの外側に出ることが大切になってきます。
本気にならなくてもいいんです。 人生は流れていきます。
その流れはエゴやアイデンティティが作っているわけではないのです。
本気にしないこと、ゆるむこと、呼吸をもどすこと、楽に見ること、その緩みがシフトを誘ってきます。 笑
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