今日のテーマは、「死」です。この「死」については、ブログでも語ってきました。
ku自身がこの「死」に対して語る事を好きなせいかもしれません。
ただ、何回も語ったとしても、とても大事なテーマです。
「死」というのは、生まれる事と同じくらい大切な事です。
もちろん、死は無い と言い切るのか簡単ですが、この三次元と言う世界は、この死という何か得体の知れない化け物のような出来事をネガティブに背負ってきたわけてず。
エックハルトトールや悟り系の人たちも、この「死」に対して良く語ります。
オショーなども、相当、死について語っています。
一貫して彼らが言いたい事は、「死」と言う事に対して、一定の尊厳のような、重要な接し方を持っているということです。
そして彼らに共通しているのは、悟りの観点から見ているということです。
この悟りから「死」を観るということは、「死」に対して対処はできないし、そっとしておくこと。
また静かに見届けることを推進しています。
一定の感情やなんとか死を回避するこような事をしたりすること自体が、エゴでもあると言いたいようです。
それは、生まれてくる事も神聖ですが、死んでいくという在り方も神聖であるということを語りたいのかもしれません。
今日のテーマのように、周囲の人々の死というものもそうです。
身内や家族の場合なんかもそうですが、死を避けようとしたり、対処したり、嫌ったり、本人の死に対して執着したりいろいろ人間はします。
やはりエゴというのは、いつも通りで居たいのです。
いままでの家族なら家族のカタチをそのままにしておきたいのです。
ただ、人生は無常にも、動いて行きます。そして消え去って行くものは消え去って行きます。
ただこれも、三次元という肉体次元で観るからそうなるのです。やはりエゴの人生観にそまると、執着したものを永遠にそまままそばに置きたいものです。
それは人間の人情なのかもしれません。 ただ無情にも過ぎ去って行きます。
釈迦が言うように、過ぎ去ることが真実、消えていくことが真実、すべては変転変化していくことが真実と 喝破出来れば幸いですが、普通の人は三次元に埋没しています。
自分の幸福の場所はこの生きている世界がすべてという視点が強すぎるからです。
ですから、どうしても死というものを避けて、忘れたいものとして保留にしておくのです。
ただ、スターシードは潜在意識の中のほとんどが、「死」というものの意味がわかってなかったりします。
あまり三次元とい低い肉体自体の中に埋没していたわけではなく、広い高次の宇宙にいたからです。
ですから、「死」というものは無いんだ ということが、独学でも地球に来てスピなどを勉強しながらも、相当腑に落としてきています。
ですから、ある意味余裕をもって、「死」というものを今日のテーマのように、神聖なる体験として、眺める事もできそうです。
そうなのです。死というものがあまり腑に落ちて無いスターシードであるからこそ、冷静に人の死というものを観察することもできるわけです。
kuなりの意見を言いますと、周囲の人の死というものは、「 いまここ 」の状態で傍にいるだけで、良いと思います。
いまここ という状態で人の死を共にあるということ自体が素晴らしい身届けではないでしょうか。
人の死を止めることは誰にもできません。 それは大いなる流れの中で起きていることだからです。
だからこそ、あるがまま、なすがまま という 在り方で、人の死に寄り添うのです。
そっとしておくことが出来れば出来るほど、愛 ではないかと思われます。
すべては、そっとしておくという愛の中で、生まれ、そして過ぎ去って行くからなのです。
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