「 止めて行く・・止まっていく・・・」というキーワードを今まで語ってきました。

 

マインドを止めて行く・・・などは、これからの時代ではとても大切な在り方であると思われます。

 

でもごく本当に身近な体験として止まれる事といえば、それは、日々の睡眠です。ただ睡眠は行動を休まさせられると言えるかもしれません。

 

実は睡眠という誰もが日々体験する事も外側から見ても止まっている・・・と言う事が身近に体験としてあるのです。

 

 

睡眠は一日の行動の休息としてありますが、やはり人間のリズムの中に止めることが睡眠によって鎮まる空間を持ち合わせているのだと思われます。

 

当たり前のことでもありますが、当たり前というのはエゴの学習です。

 

夜がきて朝が来るのは当たり前、食事はとって当たり前。

 

この当たり前の事を深く考えてみれば、当たり前そのものの出来事が当たり前ではありません。とても不思議な事なのです。

 

 

やはり睡眠という人生を止められるような事が日々行われていること自体がこの地球の不思議さでもあるのです。

 

この起きているときは、エゴが活発となって、この起きている時間こそが、我が人生だ と言いたいばかりに、「 私 」という主体をフル活動させていきます。

 

しかし、どんなに私が活動して活発でも、最後は眠りについて行きます。

 

 

この寝ている姿は、無防備そのものであり、動けない姿でもあり、受け身の姿でもあり、私という我もありません。

 

他の人が寝ているという姿だけでも、よく観察してみると日常のエゴによる行動とは逆の ありのままの姿がそこにあったりします。

 

どんなに日常生活で狂暴な人であったとしても、寝ている姿は穏やかな顔をしているかもしれません。笑

 

 

そのくらい、「 ありのまま 」の姿であるのです。

 

なぜ睡眠があるのか? という医学的なものを語る人は数多くいるかもしれません。

 

ただ、睡眠そのものがなぜあるのか? 無くてはならない理由ではなく、それそのものがなぜあるのか?を根本的に説明はだれもできません。

 

その睡眠の姿は、ありてあるもの、自然な姿なのです。

 

 

この自然と言うもの自体がそうなるなすすべもなまく、あるがままなのです。

 

ここに人生ま秘密があるのかもしれません。

 

人生を自分はしっかり生きているといきがっていても、結局は睡眠に落ちて行く。

 

それは止まらされてしまうのです。この止まる事、睡眠がなければ、人間は死んでしまうからです。

 

 

それだけ大切な日常の出来事である睡眠は、あるがまま、無防備に、受け身で、穏やかに、そして静かに日々起きて行くのです。

 

実はとても不思議なことなのかもしれません。

 

やはり人は、止まるように出来ているのかもしれません。もちろん睡眠によって悟りは開けません。

 

しかも、睡眠と瞑想ではまったくちがいますし、「 いまここ 」という在り方と睡眠もちがいます。

 

 

睡眠は状態です。 そして睡眠は解放でもあります

 

が、ありのままの姿というモデルのような在り方の中にこれがあるのかもしれません。

 

それはとても自然体という在り方の中で、自然な姿です。

 

でもこの自然な姿が外側から見ると止まっている、動かないでいるというところが、とてもヒントになるのではないでしようか。

 

 

睡眠の姿をしなくてはならないことが自然な姿だとするならば、そこに人生を止めて行く、止まって行く事も自然な悟りにむかう事なのかもしれません。

 

すくなくても、人は24時間の生活の中で、静かに過ごす時間を6時間ないし8時間くらいを保たなくてはならないような自然体の流れがあるということでもあります。

 

今日は睡眠という外側からみた止まった姿について記事にしてみました。

 

 

 

カタチを止める事ではなく、ほんとうに自分自身の中、マインドの動きの中にも、もっともっと止まるスペースを作って行くような時代に入ったのかもしれません。

 

すばらしいですよね。笑 

 

 

 

 

 

 

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