インドのakikoちゃんのところで動画取ったよ ↓ 今日出たらしい。

アキコちゃんありがとねーー ↓ 

 

 

記事です。

 

今日のタイトルも面白いですよねー。笑

 

世間一般的な人達と、シフトし続けているような人と違いの記事です。

 

今日の内容も、少し難しいかもしれません。

 

いままでの時代でしたら絶対に取り上げられないようなこのようなテーマも、シフト中でどんどん進まれている方々だからこそ、理解し得るのかもしれません。

 

本格的なシフトして行くということは、この世界というイルュ―ジョン(幻想)と自分がいつかは本格的に向かい合わなければならない時がきます。

 

それは、ある意味「 悟り 」と関係あるからです。

 

 

長々といろんな事をやっていっても最後はここに来ます。この世界という幻想の中を遊んでいるだけだからです。

 

ここが解かってこないと、いつまでもいろんな意味でシフトとして仕上がりきりません。

 

シフトというのは最後はここが解って来る事だからです。

 

ですから、高次元だった生粋の宇宙人はこの幻想の事を魂で解っている事が多いのです。

 

「 人生に対して最後は本気になりきれない 」などが高次の宇宙人達の特徴だったりします。

 

 

それが悪いとか良いとかではなく、魂自体が解っているのです。

 

この世界は最後は本気になってもしょうがない・・・ことを。

 

それは高次になればなるほど、悟りと関係しているからです。

 

生粋の宇宙人というのは、第一印象的に何かクールな感じのイメージだと思いませんか? 

 

それは、やはりこの世界を最後の最後は、幻想、イリュージョンとして捉えている事と関係があるからなのです。

 

 

しかし、この地球というのは、「 私 」という主人公でどっぷり進め過ぎてしまうと、あっさりとストーリーの中にハマってそのストーリーの中の自分に落ち着いてしまいます。

 

ハマってしまう人は動揺が凄かったり、心がいつも動いています。自分の投影として世界を見れてなくて、世界の中で翻弄してる自分だからです。

 

ですから、このブログでも動画でもいつも言っているのは、ストーリーから出る事も大切だよ。と言っています。

 

シフトして行けば、ゆっくりでもストーリーを本気にしなくなります。

 

本気にしなくなった人が慢心するでしょうか? 落ち込みすぎるでしょうか?

 

 

あり得ません。 

 

主人公になりきって、ストーリーに翻弄されてばかりいるからこそ、人生がグラグラしてそんな状態になります。笑

 

なぜならば、映画の主人公のままで居なければ、またもしいつでも客席に戻れる自分であるならば、自分という主人公さえある意味本気にしてないからです。

 

慢心も謙虚さえも、自我ゆえになり得る事である事を気づいている事が本当の高次のステージだからです。

 

結局、本当にシフトしている人は、ストーリーがぶつぎれになっています。

 

 

ストーリーに入っては、「 入り過ぎたっww」と冷まして、またストーリーにはいると、また出て行く。それでも初めは良いと思います。

 

とにかく、ひと呼吸おくだけでも良いのです。この世界に対して、冷静さを感じるだけでもいいのです。本気にしないようになっていくことです

 

すると、ストーリーが一貫性があまりにも薄く途切れ途切れになるので、主人公であるエゴが慢心したり、ならないのです。

 

ぶつぎれになったとき、そのとき「 静止、静寂、空、一呼吸 」に居れば、落ち着けます。

 

 

そしてまたストーリーに入っても良いのですが、その繰り返しをしてると、だんだんこの世界が本気にならなくなってきます。

 

このこの世界を本気にしなくなってきたということが、シフトの結果です。

 

この世界をイリュージョンとして見れているということです。

 

真剣にならない人と、真剣に生きて悩みすぎている人との違いのようものです。

 

真剣に生きて居ない人から見ると、なんで映画なのに真剣に主人公になっているのだろう? と見えるのです。

 

 

なにか問題のようなものを一生懸命真剣に、取り組んでいたりします。

 

真剣にならない人から見ると、意味がわかりません。 なんでそんなに真剣になっているのか?

 

その真剣さこそが、ストーリーの中にどっぷり漬かっている人となります。

 

結局、エゴがストーリーの中である一定の精神状態が生まれてきます。

 

それが慢心だったり、我慢強い自分だったり、いろんな状況の中で固形化した偽の自分です。

 

それはいつもいつも自分というものをストーリーの中でどっぷりと漬からせてきたゆえの結果なのです。

 

 

ある一定の状態に達した、エゴの状態なのです。

 

ですから、謙虚が良いとか慢心がいいとか、それ自体も、宇宙的にはあまり意味がありません。もっと真我はニュートラルなのですから。

 

それを超えたところに、その幻想から離れたところに本当の自分の真我があるのです。

 

結局どんなに、そのような状態、心境の自分になったとしても、最後は裁かない、罪悪感を持たないようになっている事です。

 

ストーリーに入っている人だけが、そのように裁いたり、罪悪感を持っている事にきがつくことです。意味はありません。

 

すべて意味はないのです。

 

 

意味を持たせすぎるからいつも不安の中にいるだけなのです。

 

私たちは、極端にならないことです。

 

ストーリーから完全に出ようとか、ストーリーの中だけに生きるだとか・・・・笑

 

ストーリーに入って、でも休憩して、また入って、休憩して、だんだん入れなくなってきて・・・・笑

 

こんな調子で、今年の熱い夏も、楽しい体験をされてください。

 

楽しんで。笑

 

 

 

 

 

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