今年最後の記事です。前回のシンギュラリティの時代が来た時、いろんなものが無くなっていくかもしれません。
ただ、その最先端で一番注目されているのが「 禅 」です。
これは普通の人達にとっては極端すぎて意味がわからないでしょう。
しかし、天才と言われているような人達がシンギュラリティなどの時代を語る時に対抗してくる反対で最高のアイディアが禅のようなワードとなってしまうのです。
もう、ほとんどの今までのエゴ社会での知識や仕事に関しては、人工知能にあっという間に抜かれて行くでしょう。
しかし、その反対側に光輝いてあるものが「 空 」なのです。
これは深く言えば、人工知能でもまだ、知識が豊富にさらになっても、「 空 」は超えられないのです。
人工知能も「 空 」の顕れですから。爆笑。
シリコンバレー系の人々及び世界の富裕層まで、話題として、「禅」というワードに意識を向けています。
もう、いち早くわかっているのです。彼らエリートは一気に最上級スピリチュアルに入ってきています。それくらいやはり知能も優秀なのでしょう。笑
今日は、年末最後の記事ということで、スピリチュアルな高度な本質の話で占めて行きたいと思います。
来年に繋がりますので。笑
今日はゆく年くる年に登場する、永平寺の開祖、「 道元禅師 」の言葉を借りてみたいです。
そしてこの禅が現代に生きるわたしたちように日常を使ってシフトしていくための禅からのアイディアを利用して語りたいと思います。
内面のスピリチュアリティが問われますので、難しい人には難しいと思います。
ただ、これからの話が、じつはシフトにとってとても大切な部分だったりします。
まず、kuはよく、カルマさんの対談のときも言いましたが、「 止める事 」という言葉を使います。
止める事が出来る人がスピリチュアリティが高い人と言っています。 「 なにもしないこと 」なんて言い方もします。
もちろん何も行動しないということではありません。
シフトするときに必要なやるべきことなんかありません。
淡々と生きる、目の前の事を浄化する。そして、手放す。
いつも言います。何かすることでスピリチュアルするならまだ二元的です。
何かしなきゃならない事を探してしようとしているのですから。
何もしない 勇気。 止まる という静寂さの中で顕れてくるものがシフトと。
つまり、「 何かを行動して何か結果を得るのが二元的で、今自分がどういう波動を出して存在しているか、それが高波動になって来ているならそれがシフトということです。」
「 禅はただただ、座るだけ・・・・・」と言われてます。とても止まっていますよね。
鎌倉時代の当時は、飢饉の時代もありましから、止まるとか座るどころではないと思っている宗教者からは、「座るだけである」 といった道元の禅に対して批判もありました。
つまり、「 こんなに世の中荒れているのに何もしない宗教者というのは愛もなにもないじゃないか?」という地球独特の単純な考え方です。本当の答えはもっと奥深いところにあるのに一部の宗教者たちには意味がさっぱり解りませんでした。
それでもこの道元のただ、座るだけは 「 ただ在る 」わけなので、あれから800年たった現代でようやく世界中が道元禅や、ZENのようなものを受け入れ始めたのです。
一部のエリートはさすがに速く、その意味を理解して、一気に最高級スピまで一気に押し寄せてきます。
それが 止まる というスピリチュアルです。
今日ご紹介したいのは、日常すべて瞑想、日常すべていまここの実践している道元禅の言葉です。
次の言葉です。 食事編です。いまだに800年次の作法は護られて実践されています。
道元禅師は 食事中の作法をこまかく定めているのです。
① まず、「 食事中に話をしない・・・・」
② 「 早く食べすぎても、遅すぎてもいけない・・・」
③ 「 口いっぱいにほうばならい・・・・・」
④ 「 物をかむ音や、器をふれる音を立てない・・最新の注意をはらう・・・ 」
これを読んだだけで、不自由さを感じるスターシードもいるかもしれませんし、
いつもこのブログで書く、解放とは逆の、ルールを厳守する縛りのように感じるかもしれません。
ただ、そんな単純な見方をしないで、よくみてください。
この①から④までを「 守らなくてはならない 規則 」とみると戒律のようでディセンション的になります。
kuが申し上げたいのは、道元が言いたいのは、一見ルールや規則にみえますが、
この①~④までを実践するとなにが起きるか? という効果の視点なのです。
この①から④から得られるものは・・・・「 いまここ瞑想 」です。
この①から④で、実践する人は「 いまここに入れるようになっているのです 」
① 「 食事中に話をしない・・・・」⇒ 話をすると、話の方にストーリーの方に意識を向けますから、今何をやっているのか忘れてしまいます。
つまり意識は頭の中に熱中し始めます。
そう、いまはこの一味、一味をかみしめて、食事を口の中で味わう事だけに集中できるのです。
あたりまえですが、考え事しながら、考え事した者同士が、何を食べているかわからないくらい思考に持って行かれてしまっている現代です。
② 「 早く食べすぎても、遅すぎてもいけない・・・」⇒ ある一定のスピードを意識して食事なんかしないかもしれません。
しかし、目の前にならんだ食材を口に運ぶまでしっかり「 意識的になっている 」という事がポイントです。
言いたい事はスピードという事ではなく、スピードに意識を向けていることで雑念がわかないで、いまここに入れるようにしているのです。
③ 「 口いっぱいにほうばならい・・・・・」⇒ これのku的解釈してみますと、食欲という欲望を一気に満足させたいという衝動にブレーキをかけさせてます。
それによって、欲望を満足する食事という時間から、食事をつうじて、今この瞬間ににゆっくり味わって、いる しっかり味わっている・・・そんないまここに入るという、欲望満足からいまここの意識付けになっている ということです。
④ 「 物をかむ音や、器をふれる音を立てない・・最新の注意をはらう・・・ 」⇒
これもマナーのように感じる人も多いかもしれません。しかし、ちがいます。
音を立てないことに意識を向けることで、研ぎ澄まされたいまここに集中できるからなのです。
結局、食事作法のこの四つにしても、いまここにいさせて、悟らせようという意識付けがなされているのが道元 禅だったりします。
これを単純に守らなくてならない修行の戒律ととらえるか、それともいまここに誘導しているのか?と見るのでは全く違います。
2023年も いつもいうように世界ではいろいろバタバタあるでしょう。それを煽るニースもyoutubeもたくさん出てくるでしょう。
何か外側で起きる事は、良い事でも悪い事でも刺激になるのでやめられないという人もいるでしょう。
でも、シフトされていくなら、いつもいつも今ここに入る、止まることができる という事がますまず時代の最先端の意識づけです。
今日はラストなので長くなりました。
来年もみなさんがシフトして、さらに楽になってきますように。お祈り申し上げます。
今年もいろいろ、みんなありがとうございました。笑
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