今日は少し難しめかもしれません。笑

 

シフトという事を理解している人ならば、衝撃的なカルマの解放が来たとしても、心の奥のどこかでは解放である事をわかっています。

 

一般な人達はそれはわかりませんから、なぜこんな不幸な事が来たのか?

 

なんとか避ける方法は無いものか?と動き回ります。

 

ただ、シフトしていくような人は、これは魂との関係で、どうしても通過しなくてはならないという事を早く終わってほしい気持ちで、耐えていたりします。

 

 

しかし、なんでこんなに苦しいのか・・・カルマ解放と解っていても、大きく感じてしまうと、それどころではないのです。

 

ではなんで、衝撃的に感じるのでしょうか? 

 

もしかすると、自分以外の他の人からの意見はまったくちがったりもします。

 

本人が苦しんでいても、「 大丈夫だよ そんなこと 終わるよ 」と素っ気無く言われたりすることもあります。

 

他の人から見ると大したことではないのに、自分にとっては大きく感じるものこそ、大きなカルマ、錯覚しているものの解放なのです。

 

 

もちろん、病気のような、病名というレッテルの解放劇もあります。

 

そのレッテルは真実となって、のしかかってくるのでその時は苦しいのです。

しかし、後々になると、なんともなく無事だったような、また完治してしまうような事も解放劇には多いです。

 

でもなんで衝撃的に感じるのでしょうか? もう一度しつこくたずねてみます。

 

それは、ハイヤーセルフや大いなるものから、「 そこが分離しているところだよ 」と教えられているところなのです。

 

分離しているところは、「 執着になっている事が多いのです 」

 

 

言葉を変えれば、執着しているそこは場所だよー-- という声がかかっているのです。

 

もちろんその全体像は愛によって、つまり無条件の愛によってそれが起きています

 

苦しめるためのハイヤーの嫌がらせではありません。

 

全体的には無条件の愛のもとで、それが起きているのです。

 

ですが、苦しみを感じて、衝撃的に思っているのは、エゴであり、執着している自分なのです。

 

 

だから悪いわけではありません。しかし、そこが分離している事をサインとしても発見できる場所であるわけなのです。

 

執着していれば、いるほど、痛みは大きく感じます。しかし、はがれないと軽くなっていきません。

 

そこは自分の中で今まで散々カタチにこだわってこだわって、「当然に○○である」と言った固定観念が強烈に働いていた場所だったりします。

 

または愛情劇で、「 相手や周囲に対する愛 」という執着だったりもします。

 

情がらみのお餅のような絡んでいるいるような愛着心だったりします。

 

 

分離しているところを執着して苦しんでいるのです。

 

エゴというのは分離したものに対して執着することで 疑似の統合をしようとするのです。 

 

つまり分離したものに執着してくっついていようとするのです。

 

エゴは統合できません。なぜなら、エゴそのものが幻想だからです。

 

たから、「 同一化 」をしょうと虎視眈々と 物品や相手や外側にある分離されたものに、執着することで、自分のもの として安心を得ようとするのです。

 

 

ただ、それはもちろん統合したのではなく、一時的に疑似統合で、執着して自分というエゴが自分のものとしてくっついているだけなのです。

 

だから、疑似統合という偽物なので、離れるときには本音が出るのです。その本音が痛みの正体です。 

 

本物の統合は偽物のそのような痛みはでません。分離そのものが幻想です。すり減るものなどないからです。

 

やはりハイヤーからしてみると、もっともっと大きな幸福のようなものを手にしてほしいがゆえに、ハイヤーから見ると小さな不幸のようなのものを手放させようとするのです。

 

 

「 私にはまだこんな大きな解放するものがあったのか・・・」 と言えるような解放劇というものもあります。

 

または、「 いつまで続くのだろう・・・」と思える感覚もわかります。

 

ただ、解放というのは、今世で解やりきる量のようなものがありますから、終わらない事はありません。

 

スターシードは特にそうです。

いつも言うようにカルマがあるように思っていてもあまりありませんから、シフトして大きい物を出し切るとさっさと覚醒らしきものとなっていきます。

 

 

結局、話を元に戻しますが、「 痛み 」も「気づき 」と変わってくるのです。

 

「 あ、ここが、ここの痛みそのものが分離しているところなんだな・・・」とです。

 

分離しているところに気づけるだけでも、素晴らしいのです。そこをなんとか力技で何かすることもなく、見ているだけでもいいのです。

 

観察しているだけでもいいのです。 気づいているだけでも良いのです。

 

 

なんとかしょうとしても、なんともならないかもしれません。

 

そんな無力な自分を情けなく思っていてもいいのです。

 

ただ、それは自分だけしかその痛みに寄り添ってあげられないわけですから、寄り添ってあげている自分自身も含めて、神そのものと変わって行くのです。

 

神が神をいたわっていた。

 

そんな遠回しなゲームも魂にとっての大切な体験なのです。

 

 

それが、錬金術みたいな地球での体験なのです。

 

 

 

 

 

昨日出しました。新動画です。↓どうぞ 

 

 

2022年11月6日(日)午前11時~ kuとカルマさんのトークショー&ヒーリングオンパレード。笑 申し込み開始しました。

下の欄からクリックしてねー。 ↓  この写真クリックして入れます。↓

 

このイベントはネット上でのコラボですからどこにいてもご参加できます。

 

新動画です。どうぞ ↓

 

↓ どうぞ。↓笑

 


 

好評発売中 一番↓からアマゾンに入れます。どうぞ。

 

 

あっけらかーんkuです。 すずけん放送局 ↓

 

30分くらい ↓

 

 

2022年の12月25日(日)午前0時スタート販売開始する予定となりました。

 

ホームページです。↓