今日は、少し霊能とかチャネルなどのコツのような話になるかもしれません。
高次元というのもがあって、そこに何かいて、何かアイディアやアドバイスなどをそこから貰う・・・・という交信のようなものがあるとします。
ku自身もまだ10代くらいのときから、そんな感覚がありました。笑
いわゆる神との対話のような感覚です。
これこそが、この地球独特の啓示宗教の出発点でもあります。それは 自分と相手という二元の中で行われます。
ただそれは、あくまでも自分自身、つまり、それを受け取る「 私が 」というもの・・・からスタートしていたはずです。
まず、自分自身に興味がある。自分の人生に興味がある。自分の幸せに興味がある。自分の成長に興味がある。 やはり「 わたしが・・」が原点になっている ということです
ですから、もし、自分やその他の人々が、自分自身に興味がないのなら、やる気にもならないし、メッセージそのものも面白くないかもしれないということです。
ですから、自分という個性、みんなひとりひとりの個性というものがあって、初めて、メッセージやチャネルの内容を受け取れるように思いがちです。
しかし、今・・・・kuなりに感じるところは、ちょっと違っています。
何もないところ・・・自分もないところ・・・・ というポジションのようなところから まったく新しい何かを生み出していく ような感覚のほうが近いのです。
この話は、受け取るときのキャッチの話です
自分という個性は、いつも話すように、エゴという幻想の自分自身です。
ですから、自我でチャネルする場合、どうしても幻想の自分が、幻想の高次の存在と、幻想を受け取っている・・・・
となります。
そして受け取った幻想を沢山あつめてゲームをしているのが、この地球の中での生活なのです。
ということは、ほんとうのチャネルのようなものがあるとすれば、もっともっと高次であればあるほど、エゴ的なものではなくなります。
それは・・・・キャッチボールのような「 ストーリー性 」が薄くなってくるのかもしません。
ストーリーというのは、地球内では役立ちますが、高次に行けばいくほど、ストーリー性は薄くなってきます。
結局、ストーリーの主人公のような自分という我が受け取るというより、我が消えている時の「 無 」という場所で受け取る事が本道のようであります。
「 無 」 に近い場所から受け取る場合、雑念でうるさすぎて止まらないようなノイズの場所ではなかなか受け取れないのです。
ですから、遠回りにはなりますが、人それぞれのやり方があっても「静寂な自分」という確立は必要になってくるのです。
「我、エゴ」がうるさすぎると、エゴと霊のやりとりのようなチャネルになって、余計にゴチャゴチャした霊能になるからです。暗いか明るいかも基準になります。
しかも、受け取るというより、無から何かを生み出す感覚にちかいのが本当のチャネルの本質に近いかもしれません笑
これは何を言っているのかといいますと、ライトランゲージでもなんでも、本当はそれが本質であるということです。
つまり、メッセージ性ばかり追いかけて、頭の中があまりゴチャゴチャいつもしていると、受け取れないという事にもなります。
ストーリーばかり追っている人は、「静寂さ」がありません。
つまり「 無 」という場所にいることができないのです。
本末転倒ですが、「 静寂 」なマインドこそ、または、頭の中の「 私 」という幻想の言う事を本気にしていないような、つねに「空」のような場所に入れる人こそ、本物のチャネリングが上手な人なのです。
ですから、チャネリングがあまり上手に出来ない人は、まずは、静寂になるところから始めた方がいいかもしれません。
ゴチャゴチャした頭の中でもって、チャネルだけ素晴らしいということはなく、できるかぎりいつでも止めたり、静けさを保ったりできるようになることが上手な在り方になるわけです。
ビックバンではないですが、やはり何も無いところから有が生まれます。
これは「 空 」の話をよくしますが、そのままです。何も無いところから有限なものが生まれるのです。
有限なものから無限は生まれないのです。
いつもいつも「無」から「有」です。ただ、もちろん「有」は「無」となって返って行きます。そのように循環していますが、ここでは避けておきます。
やはり、この「無」という事がしっかりあり方として解っているだけで、チャネルがまったく違ってきます。
ストーリーだらけのチャネルも昔は楽しかったのですが、今は重いかもしれません。軽くなることがシフトなら逆をやってもしょうがありませんよね。笑
なにかやるべきことを作り過ぎると重くなってきます。
もっと、軽く、もっとシンプルになっていく、気づきのきっかけのようなチャネルが時代的にも良いかもしれません。
もっと深く言えば、「 無 」から何かを生み出す能力というのがあるわけではなありません。
生み出す能力ではなくて、ごく自然に生み出して循環しているのです。「 色即是空、空即是色 」で、ひと循環です。
そして最後には、その流れの内容をそのまま、お伝えできることが、自然体のチャネルなのかもしれません。
それはストーリーじゃなくても、言葉ではななくても、絵を描く、音楽をつくる。ヨガをする、走る、球を打つなどなど、自分の自然体の中からチャネルされてくるのかもしれません。
私達の日常では、エゴには解らなくても、無から有を創り出し続けています。
ほんとうは、何もないところから有が出てくる事のほうがとても自然なことなのです。
それが、神が神としての創造ということなのかもしれません。
チャネルでも誰かが何かをチャネルするといった、かしこまった行為ではなく、もっともっと、自然体の軽さの中で顕れてくるのがこれからの時代かもしれません。
とても自然な事として、果実が実を成らせるように美しく・・・・笑
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