※お申込みされた方へ。昨日の記事にも書きましたが、ゆっくり返信メールを一件づつ出していきます。いつもながら何百名なので、気長におまちください。一回目のメールは7月20日あたりまでに全員に出せます。
記事です。
この世界が幻想である。という古代からの言葉というのは、ある意味消極的な言い方なので、幻想が真実なら、人生を放棄して生きてもいいような気持ちになります。笑
でも、実はそうではなく、幻想であることを体感すればするほど、人類が望んでいるような 「 幸福 」というものに近づいていくのかもしれません。
やはり、高次に行けば行くほどそれがわかるようになっているからです。
ごく普通の感覚なら、この幻想世界の中で、幸福を目指したりして探しまわって行きます。
幻想の中で幸福を目指すのと、幻想とわかってシフトして幸福になるのでは、全く意味が違います。
快楽を目指すのと目覚める事との違いようなものかもしれません。
人生が軽くなって、心地よい事を善しとするならば、やはり人生に執着しないことや、いろんな思い込みや、カルマを解放して行く事に尽きます。
ですから、幻想とわかってくる・・・ということも、角度を変えれば、幻想をわかる=執着がとれてくる という事になります。
幻想の中で多くの人達は、いろんなものに執着して生きます。執着ということは、幻想に熱中することともいえるからです。
そして、苦しみを作っていきます。
ですから、結局、シフトが進んで行くということは、この執着をとるのが上手になる とも言い換えられるのです。
執着はだれでもします。
しかし、執着を取る事が上手になれば、いつも軽ろやかで、心地よくいられるかもれません。
ですから、多くの人達のハイヤーセルフ以上の高次がさせたい事があるとすれば、軽くなるために、心地よくなるために、執着をとること、幻想と解ってくる事を勧めてくるのです。
そうやって、良い意味で消極的ではありますが、シフトしていくのです。
この幻想の世界の中では、上がったり、下がったり、バイオリズムのような波があります。
この波は、その人その人の心を揺さぶります。
向上心があるから、出世を目指す人もいるでしょう。 または不意の事故があっていろんな意味で崩壊があって、落ちている人もいるでしょう。
また、普通の状態であっても、日々、落ち込んだり、嬉しかったり 心境の上下はあるかもしれません。
なにが言いたいのかといいますと、執着というのものが濃くなるときというのは、この上下に振られたマインドの中で、濃くなることが多いということです。
それは、株の取引きなんかもそうです。
一般的な素人の投資家なら、現物で株を買ってみたとき、株が騰がって行けば、もっと騰がれ、もっと騰がれと執着します。
これからもっと騰がりそうなとき、つまり自分に良い事がたくさん来そうなとき、それを拒否したり、いらないとなかなか言えません。
逆もあります、株が下がっていくとき、それは恐怖です。
下がれば、下がるほど、恐怖が増えていくからです。
まだ下がるのか?・・・・まだ下がるのか?・・・もう止まるだろう。もう騰がるだろう?と この恐怖を手放せません。
もちろん、プロのトレーダーのような人や人工知能なら、感情も入れないで、売り買いできるかもしれません。
ただ素人の場合は、そのような感情の動きの中で、知らず知らずに執着心を持ちやすいのです。
となると、株の取引きとはちがって、人生となると、今回の人生は初めての人生。
つまり、◎◎さんなら◎◎さんというキャラクターをやるのは初めてのはずです。
転生しているという事を関係なくして、◎◎さんというキャラは初めてです。
ですから、人生のベテランには成りにくいということです。
ですから、執着の話や解放の話にもどれば、だれもが今の人生で素人なので、コントロールしにくい とも言えるわけです。
では、この上がり下がりが激しい、マインドや人生において、それを手放していくにはどうしたら楽なのでしょうか?
それは、上がり切るところまで上がってみる。下がるところまで下がってみる。という味わい尽くすことも手なのです。
とくに、下がっているような人というのは、中途半端に下がったところでぶら下がっている事が多く、落ち切ってません。
あと、三十センチで落ち切れば、底なのに、どうしても怖くて手放せない事が多いのです。それは下がる事に嫌気がありそれに執着して手放せないのです。
実は落ち切ってしまうと、底を見上げるので後はは 「上がるしかない」という明るい気持ちも持てるのです。
落ちるところまで落ちたので、変に度胸が据わってきて、上がり始めたりするからです。
この世界は、下がったものはあがり、上がったものは下がっていくことを繰り返しています。これが循環だからです。
人間のエゴだけが、自分の快楽や苦しみをコントロールしようとして、そのコントロールできないという苦しみが、実は苦しみの原因だっりするのです。
それを執着と呼ばれているものだったりするわけです。
無執着に生きる という事が あるとすれば、それは、この上下の循環そのものを自分のエゴがコントロールしょうとして、邪魔しないことなのです。
ありのままに ということなのです。
ここでも、放置する、ありのままにする、あるがままにする。降参する・・・というワードで落ち着くのです。
とくに、自分があきらめるスピードが速まれば、速まるほど、楽になります。
いつもいつも軽くて、楽に生きるためにも、実は、人生のその場面、その場面が 快楽でも苦痛でも、眺めている・・・・。
できれば達観している。という事に落ち着くわけです。
人生みなさんいろいろ細かい事があったとしても、味わい尽くして行きましょう。
この地球が良き、美しい思い出の体験となるために。笑
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