今日の記事は、この地球での生き方の癖のようなものを知ることで、さらにさっぱりとしたマインドになれるような内容かもしれません。笑

 

この地球でスピリチュアルや宗教的に生きていく人というのは、何かいつも探求しているようなマインドがあります。

 

それは地球に来るたびに目隠しされた感じとなり、必死に答えを探してなんとかしょうとするのでしょう。

 

どこまでも探求に対して生真面目な追求の仕方です。笑

 

普通の人間の人では、あまりそこまで深く人生について探求しないです。

 

 

そこまで、人生の深みのような事に興味がなかったりするからです。カラオケやって、食事して、映画みて、終わり といった事かもしれません。

 

ただ、深くスピリチュアルに入ってこられる方々は、少なくてもそれでは満足いかない人が多く、過去でやって来た魂の傾向の影響もあって、ついつい探求していたりします。

 

宇宙人というのは魂的に優秀な方が多いので、人生の本質的な事を直球で知りたがるのです。地球で目隠しされている感覚があるからです。

 

例えば、死 といったみんなが嫌うようなテーマもなんなく直視するところからはじめたりします。死に対する疑問です。

 

 

そして、自分の外側にも新しい真実のようなものがあるような気がして、いままでの経緯と、線と線で結んだりして、なにかカタチを作ろうとしたりします。

 

本当はパズルを楽しんでいるのも本人たちの心の奥では解っていたりします。

 

しかし、地球のゲームをわざと難しくして楽しんでいたりするのです。答えは深層では既に知っているのに。笑

 

外側の宝探しのような真実のようなものにとても興味をわざと持って、探求して探していたりするわけです。

 

 

探求とは、真実をつぎから次への探し求めていくマインドです。

 

そしてそれが一時的に埋まった時、知った時、とても満足するのです。パズルがちょうどハマったような嬉しさです。

 

ただ、その時、達成したもののどこかに新たに不完璧さを感じる事となり、そしてまた、新しい真実さがしに出かけるのです。

 

その探求心は、この地球では崇高なものに感じれば感じるほど、気づけば転生輪廻してしまいながら、未完成なままの真実を埋めるために探し続けてしまうのです。

 

 

右翼でも左翼でも、自己実現の法則でも、陰謀論でもすべて同じです。

 

一時的に真実のようなものを信じて、最後は神である自分自身が呆れたり、冷めたり、投げ出すまで、続ける事もあるかもしれません。

 

でも探求は続いていきます。

 

最近でいえば、どこの国が正しくて、どこの国が間違っていても同じです。 

 

新しい刺激は、新しい探求となる事が多いので、そのような遊び方そのものが地球的なものです。

 

でも、それは結局沿う自分が信じたものが真実となっているだけです。

 

 

これは、少し深く言えば、遠回りに自分自身を探しているのと変わりません

 

目の前の自分自身を探しているのです。 自分が投影した世界の中で、自分を発見しようとしている姿とも言えます。

 

そのやり方が、「 正しいやりかた、正しい生き方、正しい探求の仕方 」といったように、地球では続けてきたわけです。

 

つまり前のディセンション時代というのは、暗闇の中で手探りしているので、どうしても遠回りな方法に固執してしまっていたのです。

 

 

緊張するようなマインドというのは、暗闇だからそこ、気合を入れる必要があっただけを意味するのです。

 

しかし、アセンション時代を迎えて、今は、それが出来なくなってきている人が多くいます。

 

ほんとうにシフトしてくると、どっちでもいい というあやふやになってきます。

 

これは あやふや という言葉は地球の人々にウケは良くないのですが、あやふやでいいんです。笑

 

あやふやの反対の言葉があるとすれば、真剣にいきる。正しく真面目に生きるとなるでしょう。 

 

 

つまりいままでの地球の生き方です。

 

あやふやというのは、良い意味で、「 判断しない 」ということです。この判断しない というのは、最高にシフトの言葉です。

 

春の光を味わっているとき、風の心地よさを感じているとき、太陽の温かさを感じているとき、内面が浄化して、さっぱりの気持ちのとき・・・

 

このようなとき、それぞれ、判断してますか? 何か判断しているでしょうか?

 

なにか決めようとか、なにかしっかり生きようとか、真剣に生きようとか思ってませんよね。

 

 

ただ単に、ありのままに受け入れているだけです。 一体感のほうが近いかもです。

 

判断するということは、選ぶことでもあり、選ぶことは良い悪いべつとして、真実のようなもを発見した瞬間かもしれません。

 

つまり、どっちでもいいような、あやふやな時というのは、判断もしないし、真実も見つけようとしてないのです。

 

天国というものが、例えば本当に箱のようにあるのならば、想像してみてください。

 

何かを必死になって、緊張して考え事ばかりして結論を出そうとしている人が天国の住民でしょうか?

 

 

天国にいる人の心境の根底にあるのが、安定感、安心感ではないでしょうか?

 

根底に安定、安心があるのが天国という場所です。 そのはずです。

 

その安心を根底にして、ごく自然に自分の好みをチョイスしている世界です。

 

そこに計画も目標もありません。 何かを安定させる必要なんかないからです。

 

それはいい加減なのではなく、そのような心境の人ばかりが集まっているからです。

 

 

すくなくても、この今のアセンションの時代では、肉体をもったまま、出来る限りの安心感と共にいやすくなってきているのです。

 

どっちでもいい。というあやふやな安心感を人生のベースにしているからです。

 

その安心感は、根拠のない繋がっている自信でもあります。

 

アセンションシフトというのは、肉体も整ってきますが、一番大切なシフトがあるとすれば、心境の変化です。

 

それは繋がっているので、そのままで生きれるのです。

 

 

おおらかにもなります。そのおおらかなマインドで世の中を見渡す事ができるようになるのです。

 

行き過ぎた思考や多すぎる判断は、人を分離させて狭く、狭くなっていきます。

アセンションの時代には、その逆の事となって行きます。

 

おおいなるもとにひとつに近くなってくるからです。笑

 

ゆったりした安心感に入れるようなったのなら、あなたの中の真実です。

 

 

 

 

 

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