今日は久々に瞑想らしき記事となります。
瞑想といっても目をつぶって頭の中でイメージしてどこかにいくような、初心の簡単な瞑想から、いろいろあります。
意識を何かに向けたり、無念無想のものであったり、いろいろです。
ku的なの捉え方は、毎年言ってますが、瞑想という言葉や、作法に拘る必要も無いと思っています。
目を開いて普通の生活していても、その一瞬一瞬を大事に過ごす。というのも瞑想です。
たとえば、ダンスに集中しているとき、料理を作ることに集中しているとき、ひとによっては、散歩している時も あらゆる形で人それぞれの瞑想があったりします。
エゴというのは、崇高な何かをすることで人と差別化をしてみたいという、スピリチュアルエゴもあります。
ですから、 瞑想というと 何か目をつぶって、崇高な事をしている と言いたいわけです。
でもそれだけが瞑想ではなく、そのやり方スタイルにハマってカタチになったとき、やわらかさがありません。 どこまでもしなやかに、やわらかく在りたいものです。
ですから、この2021年のように、人と少し距離を置くような時期でありながら、波動的にはとても高波動でもあるので、瞑想感覚は進みやすいと思われます。
それでは、目を開いていても、ただ何かをするのと、瞑想でありながら何かをするのでは何がちがうのでしょうか?
それは、眼を開いていても、しっかりその場で感じる、その場で意識的になっている、しっかりウけとめる。。。などです。
または、ゆったりしっかり受け入れて過ごすことです。
ダンスならダンスに集中して、足、腕、動き、その時の感覚、感覚にするどく意識的になることです。
先日の小屋の記事のとき、あの小屋の1枚ガラスの窓が気になった人がコメントされてましたが、そうなんです。そこなんです。
窓から見る景色が1枚の絵画のように、「 静 」で見てみる。 その「 静 」で見る在り方が、瞑想なのです。
考え事をしながら見ると、観てるようで見て居ません。 頭の中の思考のほうに意識が行っているからてず。
一瞬一瞬、窓のカタチと、窓の外の緑の風景と、そして自分自身と一体化する・・・・・・ それは何をやっていても、その人なりの生活の中で出来ることです。
今日のこの記事がわかる人、なんとなくわかる人は、とても瞑想的になってきています。
実は、ハイヤーセルフに繋がっている人はは、この瞑想的な過ごし方を無意識でもやっているのです。
瞑想的な人は、間であるとか空間を大切にしています。 ですから「 今ここ 」でいるのです。
実はハイヤーセルフに繋がっている人は、この隙間、隙間を大切にしているはずです。
これがわかる人は、もう繋がってきています。
つまり、瞑想的な日々、生き方をしていることになります。
小屋づくりにしても、一瞬一瞬集中している・・・ 本気になって集中して作業している。
すると、シンクロや奇跡が沢山おきます。
寸法も図ってないのにピッタリのサイズがしあがったりもします。
今目の前でやるべきことに集中していると、次にする動作が反射的に飛び出して来ます。笑
それら、動作一つ一つが連鎖して、自然の流れで運ばれて行く・・・・・それを自分がしっかり観察もしている・・・
そう、自分自身をしっかり観察している・・・・こと。 これ以上に大切な瞑想ってあるでしょうか?
カタチだけ目をつむる頭の中でいくら、宇宙に行っても、天国を創造しても、それは結局、エゴの夢です。
本当の瞑想は、ある意味、研ぎ澄まされています。 この瞬間に研ぎ澄まされいるのです。
そして、それは穏やかの中で行われています。
絵をかくことに集中している、 お皿を洗う事に集中している。そうじに集中している。
この世界は幻想の世界ではありますが、ひとつひとつ観察している時こそ、その幻想から外で観ている事となっているのです。
実はものすごくシンプルな事の中にあったりするからです。
また、瞑想するから何か得られるのか? または何かを得るために瞑想するのか?
という問いに対しては、何か得られるためにやるものではないのです。
何かを得るために、何かをするというのがエゴの特徴です。
イメージ瞑想なんかも、悪くはありませんが、それが初心者の理由としては、何か得たいからやっているはずです。
そうではなく、「 瞑想であるために、瞑想している・・・ 」といった感じです。それが、一般的な言葉では、「 在る 」ということです。
実は、みなさんも、これだけ波動が高い時代ですから、瞑想だと理解してなくても、しっかり日常の生活のひとつひとつの行動の中で瞑想しているのです。
ただ、それをしっかり観察しながら行為している・・・・という事が瞑想なのです。
だから、起きてから寝るまでのすべてが瞑想なのです。
つまり、幻想とわかっていながら、穏やかに過ごすことも、瞑想的な日常なのです。
目を開いているか、目をつぶっているかの違いだけであって、「 目の前で起きる事はすべて自分の中で起きている事であること・・・・・ 」というのが本質だからです。
2021年の夏の終わりということで、まだまだ暑いですが、1日の中に意識的にそのような時間をとってみると、とても良いかもしれません。
あらゆるものをゆっくり味わい深く観察してみてください。
いつも見ているものが新鮮に見えたら、それがそれです。
世の中的には騒がしいですが、波動は高いので瞑想的に生きやすいと思います。
「 なすがままに生きる 」 「 あるがままにいきる 」という事を体現できるのが瞑想かもしれません。
ku的にやるとすれば・・・
眼を閉じて、ただ、リラックスしてください。
いろんな思いが浮かんできます。でも放っておきましょう。
自分をコントロールしないでください。
自分を放置して、いろんな思いが出て来てもしっかりそれを見て居ましょう。
空で言えば、大空が真なる自分です。 いろんな思いが出てきたら、それは雲です。
雲はかならず、流れて消えていきます。
また、流れても来ます。 しっかり観察してみましょう。雲を観察しても、雲自身が自分ではありません。
わたしたちは、雲の後ろにそびえる、大空そのままなのです。
数10分。夏の朝の綺麗な空気を吸いながら、肩の力を抜いて、ただ、出て来る思いを観察して、雲のように流していくのです。
とても気持ちいいですよ。笑
詳しくはHPからどうぞ ↓
全国書店、ネットで発売中 ↓
新、kuラジオです。 ↓ どうぞ
金星のエネルギー ↓
低音からうねるエネルギー↓
清らかなエネルギー ↓
あっけらかーんkuです。すずけん放送局 ↓
最後の方に出ているかも ↓
ホームページです。 ↓