※ Amazonの本の総合順位12位となりました。7月10日20時現在。

 

みんなの魂の熱意の結晶です。笑  ジャンルでは一位です。

 

アキコちゃんが応援大噴火で、炸裂です。笑 みんなありがとうねー。笑

 

あれれれっww   

 

ヌードと漫画とダイエットと、スターシードの心理がwwwww不思議。笑

 

出版の担当の方も 光が広がる事を願っています。との事です。笑

 

感謝です。

 

※ 只今、少し多忙のため、YOUTUBEのほうはあともう少し出すのが遅れてます。

今出ているものを是非ご覧ください。

 

 

 

記事です。

 

今日のテーマは、今の時代の中で忙しく動き回る人にとっての記事です。

 

というか、この動き回るということが、昔の時代は行動のことだったのですが、これだけネット社会、情報化した世界になりますと、動く=思考 ともいえます。

 

ところで、人間には 生老病死 という流れがあります。 生まれ、老い、病気になり、死に至る・・・というサイクルです。

 

これは、ある意味消極的な観方をすれば、死に向かって行くわけですから、無気力になる観方です。

 

 

しょうがないことではあるけれれども、なにかとても消極的な感覚になるかもしれません。

 

しかし、シフトしていくような人から見ると、ある意味、老人のような生き方も、肯定できるのかもしれません。

 

その意味は、もし、唯物的な考え方をするような老人は未来に対して希望をもっていない ということです。

 

ということは、老人になるということは、「 今ここ 」 という悟りに近い心境になりやすいようになっている事でもある・・・・ ということです。

 

 

未来に希望を持てないことは、消極的過ぎることでも、それはエゴの世界の話であって、

実は、良い意味では 「 執着をはなれる・・・ 」ということでもあるからです。

 

言葉を変えれば、「 手放せる 」ともいえます。そして、今だけを生きれるようになります。

 

それは神が仕組んだ、大いなる愛の表現方法かもしれないのです。 生老病死という、流れそのものが、愛の転換、展開ともいえます。

 

この人生に執着しないように、最後は今ここの心境に近い感覚で、手放して生きることが、できるようになっているのが老人の生なのかもれません。

 

 

そういう意味では、シフトしてあの世に帰るということとしては、とても積極的な流れです。

 

そして、老人になるということは、良い意味でボケて来て、ゆったりとして、あまり俊敏な思考ができなくなってきたりします。それも流れの中の慈悲ではないでしょうか。

 

いつまでもスピーディーに思考が走って、やる気満々もいいのですが、無執着であの世に旅立つ・・・となるとそれも邪魔になります。

 

ある意味、無気力になることも、抵抗しないで生きれるようになるので、波動的に高くなっていく・・・・・とも言えるわけです。

 

 

パソコンがドライブから溢れるようにに情報が詰まってしまい、最後はパソコンが壊れる事もあるでしょう。

 

それが人間でいえば、若い頃から頑なに思考過多のまま、疲労して、最後はアルツハイマーのように、バーンアウトしていしまうこととなります。

 

情報を消して、パソコンを軽くすることは、健康的に生きることの意味でもあるわけです。

 

マインドフルネスがウケているのは、やはり、思考を調整することに、世界の多くの人達が気が付き始めたということです。

 

 

すへでは、この頭の中の整理できない、無法地帯でやりたいほうだいの思考によって、人生がおかしくなってきている事に気が付き始めたのです。

 

そうです、この思考過多の世界に入ると、「 判断しなくてはならないような事に押し流されていきるようになります 」

 

エゴというのは、いつもいつも不安なので、目の前に起きる人生の事件に対して敏感に反応します。 それは不安から安定にさせたがるからです。

 

しかし、その出来事も自分で創造しているので、ここが本末転倒なのですが、思考はその出来事と自分自身を分離して見えます。

 

 

ですから、目の前の出来事を通じて被害者の自分・・・・といった外側と内側を分離して判断したがるのです。

 

ですから、いろいろそれに対して考えて、すばらしい、もっとも自分に有利な判断、解決、決断をしたがるわけです。

 

その発想そのものが分離しているので、あまり意味はないのです。 しかし、そこに意味付けして行くので、余計に頭と人生はゴチャゴチャになって混乱していきます。

 

混乱した結果、結局カルマを沢山作って行きます。 そして病気になり死となったりして人生は流れて行きます。

 

 

ある意味ネット社会では、そのニーズを満たす事に邁進させています。

 

昔なら行動してそこに行かなくては手に入らないものが、思考のスピードにあわせて、画面で手に入ります。

 

ですから、使い方次第が問われるわけです。 その人次第なのです。

 

不安溢れた情報にのめり込んで、恐怖で混乱を期する人や、逆にその情報を利用して、思考を鎮静化することもできます。 

 

そんな思考過多と情報過多の両輪の中で、シフトしていくとするならば、やはり、本気にしない。ということです。

 

 

テーマにあるように、保留にしてみる ということです。

 

決断、決定して、安心したいのがエゴであるので、この流れに乗ると、どうしても持っていかれます。 

 

そうではなく、流されて生きるように、思考にネチネチさせないようにリラックスして生きるということです。

 

それが思考を休息させる瞑想もあるでしょう。または自分なりの休息の仕方もあるでしょう。

 

やはり、非日常的なやすらぎの感覚は大切です。

 

 

今は日常の中に思考過多になりやすいので、休息の意味での非日常的な生き方が大切です。

 

庭にある 小さなお花が風で揺れるのを見ていたら、数時間も経っちゃったwwwwwwでもいいとおもいます。

 

先日のセッションでも「 だんだん日々が、ねこみたいな生活になってきました。」と言われていた方もいましたが、「 すばらしいです。」笑

 

めんどくさいことは、怠惰とおもわないで、先ほどのように保留にして先延ばしにしてもいいわけです。 それも 立派な自分軸なわけです。

 

 

自分軸とは自分を律する事ではありません。

 

それは上手に運転することでもあります。

 

自分に逆らわず上手に乗る事なのかもしれません。

 

だから、一旦、保留にして自分自身の波に乗り戻ってみるのです。

 

自分が本当の意味での自然体になる事も含まれています。

 

その自然体に生きていることが軸なのです。

 

 

 

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