今日は、ちょっとシフトの心境が進んでいる人への話になります。
いつも記事は多くのみなさんに合わせて降りて来る時もありますが、今日の話のような少し深い感じの記事もたまにはあります。 言葉遊びにお付き合いください。
記事は、「 意味 」 ではなく、「 象徴 」 なのです。という記事です。
これは、ご自身がこの幻想ストーリーの中に入っている「 世界の中の自分 」から物事を観ているのかと、そうではなく、「 自分が創った世界」 として 繋がっている場所から観ているのか の見え方の違いです。
これを知っておくと、いつも 「自分軸」からずれないかもしれません。
物事に意味を付けるという事で、この世界は成り立っています。
想像力と決定と関係があるわけですが、この意味をつける 背景には、「 正しさ 」 という事が付きまとったりします。
どれが正しいか、どれが間違っているか、そこに意味をつけると それが正しいとなるのです。
もっと身近でいうと、 シンクロニシティのような 霊的な事が起きているとします。
そこに ストーリーにまかせて起きてる事を見てしまうと、どうしてもそこに「 正しい意味 」のようなものでレッテルを付けたがるのです。
「 これこれが真実である・・・・ 」といった、よくある事です。笑
たとえば、東京に居る時に単に鳥の声が聞こえたとします。その瞬間、他の地域の山の公園の大木の映像が頭に浮かんできとします。「 ああーあの大木の太い枝に鳥の巣があったなー」 と思い出します。
その瞬間、「 これはその山の公園の樹の精霊が自分の事を呼んでいるんじゃないか・・・・? 」ということです。 これが意味を持たせたわけです。
この瞬間、「 木の精霊と自分 」 というストーリーに入ったわけです。
そして、そのストーリーを信じれば信じるほど、他のシンクロがやってきて、もっと信じられるようになるわけです。もちろん素敵なストーリーなので大切にしてもいいわけです。
ただ、いままでもこれからも このストーリーを愛しててもいいのですが、シフトが深まって来ると、そうは感じません。
自分軸という位置からズレなくなってきます。 「 そ、こ、に、意味を持たせなくなってくるのです。」
もちろん、すべてに意味をなくしてしまうと、これも困ります。笑
極端に思わなくてもいいのですが、あまりにも地球という場所は いろんな人がいろんな事に意味を沢山持ちすぎるのです。
ワンネス意識に近い人は、その逆になります。 良い意味で「 どうでも良くなります。 」少し投げやりな感じな言い方をお許しください。
先日、少し透明になられている シフトされている方がセッションに来ました。
もう、いろんな事に意味づけしていた過去とちがって、「 人生に意味はない 」ということを身体全体、波動全体で解かっているような方でした。
ものすごく、「 緩く 」生きていました。
つまり、シフトしてくると、問題意識も薄くなってくるのです。それは意味を持たせることがめんどくさくなるからです。ですから、良い意味で あまり物事と関わらなくなるのです。
さっぱりとした人生となってきます。
なぜでしょうか? この世界が幻想である事を体感し始めるので、自分に本当に必要な事しか、意味づけしなくなるからです。
それなので肩の力も抜けて、穏やかに生きられるのです。
それは目の前の世界に真剣になる姿とは逆の生き方です。
昔から道徳的な言い方をしますと、「 愛 」 の反対は 「無関心」 と言われてました。
これは、愛というのは相手があって、その人たちの悲しみに関心を持つことから奉仕が始まる・・・といったことなのでしょう。
しかし、関心をもちすぎても問題は増えていきます。
その人の欠乏や、悲しみに意識を向けすぎると ほんとうは、終わりません。永遠に奉仕ごっこが続きます。悲しみ、欠乏が拡大するからです。
つまり 「 幻想世界の愛 」の反対は「 関心が薄れる事 」 なのです。
それは「 無条件の愛 」の入り口なのです。 これはあくまでもku的な感じ方の参考です。
逆に、「意味を持たせる、なんでも意味があると思い込む癖 」というのは、不安定なエゴの安心感を求めようとする癖でもあります。
これは霊能でもチャネルでも この 意味を持たせ過ぎてしまっていると、ストーリーがやたら濃い内容のチャネル内容になるはずです。
過去の歴史から始まって、映画のストーリーのような内容です。
そしてストーリーの中で、「 常にやるべきこと・・・」のような使命が出てきたりするのも幻想が深いという事になります。
しかし、宇宙はもっとシンプルなのです。いつも中立なのです。 複雑にしているのはいつも人間のエゴによる「 意味づけ 」なのです。
この意味ではなく、象徴をまたさらに違う例で、話してみます。
例えば、当セッションの前に、散歩していると、変った雲が空にあったとします。
それを見た瞬間、「 アンドロメダだ 」 と思ったとします。
ストーリー的に意味づけすると、この雲の中にアンドロメダの宇宙船があって、今日のセッションに来る人がアンドロメダのスターシードで、応援してくれてるんだなあーーー という意味付けもできるのです。
もちろん、意味付け的には良い感じです。
ただ、もっと正確にいうとすれば、 自分内の大宇宙から、アンドロメダのエネルギーが自分から出ているわけです。
そしてその自分から今出ているアンドロメダのエネルギーの象徴として共時性によって、その雲がたまたま目に着いたわけです。
その時は共時性が働いているので、1111の時刻のとき、ふと目が時計に行くのと同じ事です。
ついついたまたまその雲が異様に気になってみえるのです。
しかし、アンドロメダのエネルギーを感じていることは、その通りなのです。
しかし、意味付けして、ストーリーにしなくても、そのエネルギーの象徴として、サインとして、目の前に雲が現われている、というか、そのように思えるのです。
この観方は自分は神であるという位置から観ています。
これが、「 意味付け 」と「 象徴の」違いです。
意味付けは、「 世界の中の自分 」 つまり、大きな宇宙が実際にあって、そこからアンドロメダがあって、宇宙船がきて、自分の近所の雲の中に待機してて、そしてkuにメッセージをしてコンタクトしてきた・・・ というものです。
象徴は 「 自分の創った世界 」 つまり、自分という無限の神の中から、アンドロメダのエネルギーが湧いて来たものの、散歩では気が付かなかったところに、高次の自分であるハイヤーがサインとして共時性を起こして、ふと雲に興味を持たせて、アンドロメダのエネルギーを感じる。
この違いです。
あくまでも「 自分軸 」という視点、自分が神であるという視点では、「象徴」 というのは、自分軸からずれてません。
意味付けのほうは、自分とアンドロメダ星人という 二元性のストーリーに近い回答になります。
その違いです。
これから、どんどんシフトが進んで行くと、もしかすると、意味付けと象徴の違いがどんどんわかって来るかもしれません。
すべて自分自身だったのだ。ということです。
だからといってストーリーが悪いわけでもありません。
ここで記事にしたのは、行き過ぎたストーリーはのめり込みやすく、自分軸にもどれないくらいストーリーに振り回されてしまう事を回避するための記事です。
どちらが高次かといいますと、後者です。象徴として捉える事です。笑
象徴とは 自分の内面の大宇宙から飛び出して来たものが現象化したこと となります。
今日ちょっと深めてみました。失礼しました。笑
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