今のこの2020年、2021年というの、世界情勢などを見ると、面白過ぎて熱中しすぎるくらいの展開となっていたりします。笑

 

1999年や世紀末予言ではないですが、オカルトが現実になったような展開の中で、多くの人達が熱中してもしかたがないかもしれません。

 

身近なところではマスクしなくてはならなかったり、体感として臨場感がありすぎるので、どうしても思いを切れないのかもしれません。

 

普通の自分個人や家族にカルマが出ているということならば、まだわかりやすいのです。

 

 

ですが、このようにもっと広い範囲で、地球という舞台や日本国中という広い舞台で出て来るカルマは外側から影響されてくるような錯覚に入るので、カルマの隷属的になりやすいのです。

 

それが悪いわけでもなく、ゴチャゴチャしますが、それも楽しい事なのかもしれません。

 

ゆっくり沈んでいく船のように感じたり、ゆっくり上がって行く朝の太陽に感じたり、ひとそれぞれ違います。

 

インドのOSHOをkuは好きだったのですが、、昔こんなことをいってました。

 

「 今世界が終わるとして、それがどうした? 世界が終わればアナタ自身も終わるのだ。」

 

 

「世界が終わって何が問題なのかね? 終わりは終わりだ。何も問題ない。私たちはもうここにいないのだから。」

 

「私たちも一緒に終わるのだ。そして世界が終わる事を心配している人は誰もいなくなる。」

 

 

とまあ、執着をいきなり取り去られたような、言葉です。笑  さすが反逆のブッダです。笑

 

kuの意見ですが、このような状況の中、情報に翻弄されるか、もしくは一方的な観方になっている人もいます。

 

このような社会情勢の情報に真っ只中で今、熱中している人にたいして ひとことだけアドバスするとすれば、「 判断しないこと つまりレッテルをなるべく貼らないで静観すること」です。

 

 

この判断しないこと というのとても強力です。 

 

社会情勢が気になって情報の中に入っているときかならず、「 正しい正確な情報はなにか? なにが、だれが正しいのか? 」 という罠にはいっているはずです。

 

でないと、熱中できません。 つまり熱中するということは、○○派でも、○○のグループでもいいんですが、「 これが正しい 」という正確な判断と正確な情報を 自分は掴んでいる とおもっているから熱中できるのです。

 

しかし・・・・・・・・・・・「 この世界は幻想です。 映画です。映画の中でどれが正しくても 意味はありません。 」 

 

 

もし意味があるとすれば、「 正しさに固執しているから意味が出て来るのです。」 

 

ですから、そのようなゲームに熱中しすぎている場合、または世の中に敏感になり過ぎている場合、もし、いつでも出れるようにするなら、「 判断しないこと 」なのです。

 

 

判断しないから、幻想として観れていたり出来るのです。 判断したとたんに、「 正しさという概念を持ちますから 」 エゴキャラクターはカルマだらけになっていきます。

 

どっちが正しい、どっちが正義、どっちが悪、そして、「 真実は何? 」という正しさを求めるマインドです。

 

 

その証拠に、その中に出て来る人は、正しさを押し付けてきたり、なんとか世の中を良くしようとして発信したり、行動しているはずです・・・・正しい方向に。

 

そこに共感しているということは、もう正しさを信じている事になります。

 

世の中を操作しているという人も幻想のキャラクターですが、いるとしたら、それを知っているはずです。

 

つまり、「 人々に判断をさせて、正しさをそれぞれ持たせて、熱中させていくでしょう。それが目的です。」笑 そのように実は1枚も2枚も上手のキャラなのです。

 

 

もちろん、それさえ、幻想なので、意味はありません。

 

大切なのは、興味がなくなることです。 興味がなくならないように、操作しているのがこの幻想ゲームのリアル感があることなのかもしれません。

 

意識を向けるな というのは簡単ですが、エゴがあり、カルマがあるとどうしても「刺激的な事に興味が出るように、なってます。」

 

そうです。ほとんどに人々は「刺激」に意識が向くように、この世界は成り立っているのです。

 

ただ、個人個人が、それに気がついちゃうとマズいかもしれません。笑

 

 

でも、それがアセンションなのです。 世界中の人がアセンションするということは、みんながゲームだとわかることなのです。

 

映画だとわかることです。 

 

映画だとわかった観ているのと、映画の主人公になり切る事は意味が違います。

 

映画を見てる人は、映画の中をジャッジしません。真剣に主人公みたいに怒ったり、悲しんだりします。ストーリーとわかっているからです。

 

つまり、映画を見ている人は、「 判断しないのです する必要がないのです。映画という造り物だからと解っているからです」 判断するのは主人公です。

 

 

 

この世界情勢の中で、判断しない、正しさをもとめない。・・・・・・・ そしたらどうなるでしょう。 

 

オショーの言うように、「 世界が終わる ? だからなんなんだ。自分も消えるんだから。」と思える余裕が出て来るのかもしれません。

 

スピリチュアルという分野があるとすれば、世の中の刺激を煽るような事をすることではなく、刺激を抑えて、逆にやすらきを持ってもらう事がスピリチュアルの役割かもしれません。

 

役割もないのですが、あたなのスピりチュアルは、「刺激ですか? 」「 平穏ですか?」 笑

 

 

社会情勢の流れの中に、自分という存在を身を投じるという遊びもいいのですが、社会情勢を観察しながらでも、「 判断しないで生きる 」という幻想として楽しむ観方もできるわけです。

 

今日は、多くの方々が、あまりにも、今の世の中にのめり込んでいる人が多いので、社会情勢との付き合い方のような記事を書いてみました。

 

もし、御自身がもう卒業なさっているのでしたら問題ないです。

 

しかし、ごく普通に生活している方なら、どうしても影響を受けてしまいます。

 

 

いろんな、正しそうな情報が錯乱してます。

 

kuから見ると あらゆる角度からみた そのあらゆる情報は、この幻想をエキサイティングに楽しむ知識にすぎません。

 

もし、幻想ゲームを楽しむなら、「 判断しない。正しさはない 」というこの言葉だけでも、心にあれば、「 楽にゲームと付き合えると思います。」

 

ネガティブになるとシフトしませんよ。とはいいません。 それもありなんです。

ただ、付き合い方をもっと楽にされると、いいんじゃないですか? という事です。

 

私たちは、この地球のストーリーも楽しみに来ています。

 

 

だから、映画を見る時は、ポップコーンがあるといいのです。

 

ポップコーンを食べながら見ると、ストーリーに入りづらいですよね? 笑

 

最後は手放してください。笑 

 

 

 

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