これだけ、軽い時代になってたとしても、どうしてもひっかかって来るものがやはりあります。

 

カルマの解放、ストレスの解放も進んできて、どんどん軽くなってきたものの、なにか目の前の事に流されてしまう・・・・ という事です。

 

これは、カルマではなく、条件反射的に反応してしまう、物事に対する「 探求や、意味づけ 」です。

 

考え方の癖のようなものです。

 

意味を考える、推測する、などなどです。 これはある程度、この地球で生きるためには必要だった感はありますが、これも もう シフトの中では重くなってきている時期に入っています。

 

 

この時代になると、エゴが貪るように学習することや、目先の熱中して探求することにあまり興味が無くなってきそうです。

 

叡智に繋がるようなアイディアは、つながってさえいれば、無限に降りてきます。

 

もちろん、この世的な事を知っている事はベースになりますから、基本的な事は知っていて良いのですが、むさぼるように探求する先は、もう重くなっていく自分を感じるかもしれません。

 

いよいよ、カルマは薄くなってきているので、軽いのですが、いざ軽くなってくると、そのような探求心でさえ、重く感じて来るのです。

 

 

叡智というか、真なる存在と繋がって来るので、感覚的にめんどくさい感じになってくるからです。

 

それは、怠け者 という意味とは違くて、ゆとり なのです。 

 

それは、1日の中にいろんな事が起きたとしても、あまり、それを探求しない、意味を持たせない と言う事でもあります。

 

意味を持たせると、幻想ストーリーに入りやすくなるのです。 

 

だからといって、それでは、今日から意味を持たせないように修行します。ではないですよ。 

 

 

ここでは教条的になにかしたほうがいいとは、今日は言いません。そこじゃないです。

 

情報的に言えば、シフトすると、意味を持たせない ような心境になってくる ということです。ごく自然と・・・です。

 

たとえば、美しい馬の絵があったとします。 それが喫茶店にあったとします。

 

これに意味を持たせるということは、まず、探求から入って、「 これは誰が書いたのだろうか? あの画伯かな・・」「 いつかいたのだろうか? この馬はなんの種類の馬んだろうか ? 絵具はどんなものなのだろうか?  大きさは何センチ×何センチなんだろうか? 」 このような事です。

 

 

探求です。 探求は考える欲求のようなものですから、それ自体が人によっては快感なのかもしれません。

 

しっかりした情報の確認のような いつもやってしまうような脳の作業です。笑

 

そして、ひととおり、確認のようなものがすんだ後に、「 今ので合っているのだろうか? 」と思い直したりします。

 

いよいよ、「 意味づけ 」です。 最後は頭の中で意味付けするとエゴは安心するのです。

それで、ひととおり、確認が出来てエゴが安心すると、次にいきます。

 

 

絵の事は終わりで、次は絵ではなく、ふと聞こえて来るラジオのニュースになります。 そのニュースからまた思考が暴れ出します。同じ事を繰り返します。

 

つねに刺激を求めて、頭の中が探し求めて、レッテルを貼り続けて行くのです。

 

このようにして、ストーリーは続いてきます。 そしてエゴは飽きっぽいので、刺激になる事を模索して行くのです。

 

このように、1枚の絵を そのままに、そのまま感じて、在るがままに しておけないのがエゴなのです。

 

 

これがシフトしてくると、「 美しいものなら、それを美しいままに、ただ見ている・・・・・」 という事です。 

 

ある意味、極端ですが、その花の情報、つまり名前とか、何時咲くのか? など、どうでもよくなるのです。 「 花 」という名前もこの思考の世界の中でのレッテルです。

 

ですから、シフトするということは、ある意味怠け者になる事なのかもしれません。笑

 

そのとき、止まって、感覚だけはキャッチして楽しみますが、それ以上思考は動かなくなってくるのです。

 

つまり、あまり、頭の中の言葉を信じなくなってきているからです。つまり頭の中のエゴを信じなくなってきているからです。つまり、思考が外れてきているからです。

 

 

頭の中のエゴ信じている人は、それだけストーリーに入りやすく、入り過ぎてしまうと、どうしても余計なカルマがくっ付いてきます。 その度に 解放しなくてはならなくなります。

 

そんなメンドクサイ事をいつまでも繰り返せちゃうのが、この地球の肉体生活なのです。笑

 

それは人によっては、面白すぎるので、転生輪廻してしまうくらい、ネガティブな出来事もポジティブな出来事も気になって気になってしょうがないのです。

 

面白くないと、熱中してカルマになりませんよね。笑

 

 

そのとき、そのとき、興味がないものに、探求や意味付けはしません。興味がある事にしていきます。だから、なかなか止められないのです。笑

 

やめられない、止まらないwwww かっぱ○○○◎ 。笑 ( ⇐ 古すぎるwww知らなくていいかもwww)

 

今日の記事で、申し上げたいのは、このような 探求や意味づけ は しないほうがいいですよ と言った、さきほど書いた、注意喚起ではないのです。

 

情報として申し上げれば、ほんとうにシフトしてくると、このような事がめんどくさくなってきます。

 

 

そして、そのように昔の自分と思考を働かせて、しっかり確認作業ができたのに、最近は無頓着になってきた と思って、ご心配される方もいらっしゃるのです。

 

ただ、それは、シフトが進んでいくうちに、起きる自分の内面の現象なのです。

 

たとえば、オレンジが目の前にあるとして、 オレンジが今シンクロしてたまたま目の前にあるだけなのです。オレンジを観て 色が綺麗だね でしっかり観て いるだけです。

 

それ以上の意味はいりません。 それはこの幻想の中に、在りてある オレンジであって、それ以上のなにもなかったりします。

 

 

これはどこからきたのだとが、だれが送って来てくれたんだろうか、お返ししなくちゃならないとか、必要ならば、その思考も良いのですが、オレンジだけではなくて、必要以上の意味づけをしてしまうのです。

 

これは人生に置き換えると、このような事ばかりしてしまうと、そこから余計な行動、余計な神経使いをして疲れてしまうのです。これがストーリーに入るということです。

 

シフトするということは、観念も薄れて来るので、自然とそのような意味づけ、探求をしなくなってきます。

 

それがシフトなのです。 カルマも薄くなり、だんだん いろんな事に 注意喚起するようにもならなってくる・・・・ 笑

 

 

でもそんな安らぎの時が、シフトされた 恩恵なのかもしれませんね。笑

 

 

 

 

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