先日の記事のタイトルが、あとから見て自分なりに面白かったです。笑
「 次、次、次・・ 」ってwww 笑
ただ、あの内容は、もちろん、次、次とストーリーに入り込んではいけませんよ。・・・という記事でもありません。笑
スターシードのような魂の場合、次々と行くことで、この地球の体験をしに来ている事も多いので、悪くもなんともないのです。
ただ、熱中しすぎるものは、いつも不満足に終わる時代かもしれません。
というのは、このストーリーは不完璧だからこそ、いつも言うように、続いてきたのです。
正しいと思うものは、とくに熱中しやすくなります。
そこがストーリーに入らせてしまう、この地球のストーリーの面白いところなのです。
もし、このストーリーに支配する人というのがいるとすれば、それを解っています。それは当然です。 ((ストーリーの役柄です。いてもいなくてもストーリーです。))
つまり、熱中すれば、するほど分離するようになっている事を知らないはずはないからです。
ですから、ストーリーを楽しみながら、ただ、分離するマインドにまでは、入らない事です。
分離すれば、するほどエゴの熱意は高まり、シフトどころではなくなるのです。
しかし、それをわかっていても、人々のカルマは動いてしまいます。
なぜならば、抑圧された感情は、ある日から噴き出して 振り子をもどします。
逆に快楽のままにやってきたマインドは崩壊も経験します。
陰が終われば、陽になり、陽になれば、陰となります。廻っているのです。
人々の心のカルマは、同じ気持ちを背負ったまま、その気持ちを実現しようと、集合的に念を発射していきます。願望の発射です。
この世界は二元の世界なので、片っ方だけを勝ち取ることはできないのです。勝ちの反対である負けが忍び寄って来るようになっているのです。
騰がれば、下がります。下がってたものは、いつか騰がります。
それが、この二元の世界なのです、 ここに、「 こうなってほしいー 」 というエゴが、この自然の流れに、反発しようとします。
「 こうなってほしいーー こうなるべきだー 崩壊だけはしないでくれー 」 といった抵抗です。
そして、正しければ、正しいと思えるその度合いによって、そこに分離感が生まれます。
いままで、統合とは逆の事が推進されてきたわけです。
いつか、このストーリーに熱中することが、疲れて、嫌になり、手放す・・・とします。
つまり興味が無くなる・・・・とします。 その時が人類の大きなシフトかもしれません。
目の前の事に、期待をして、落ち込んで、期待をして、落ち込んて、執着していくのは疲れるはずなのです。
でも、それに慣れてない、スターシードにとっては、そのゲームは面白く、スリリングに感じるのです。笑
ですから、ひと呼吸いれたり、ストーリーからあまり出て来ないと、重くなってきます。
大体、思う通りにはなりません。笑
それをわかっている、たとえば、テレビでも、ネットの放送でも、「 飽きない様に刺激を与えるのです。」
なんで、kuが、「 静寂 」 という言葉をいつもブログで使うのか、意味がわかりますよね。
それは、刺激がない言葉だからです。 止まらせる言葉だからです。
ですから、シフトされたい気持ちがあるなら、あまりにも、CMでも、なんでも次・次とエゴに刺激を与えるものが多いので、楽しいんでもいいですが、休憩もされた方がいいと思います。笑
御自身なりにシフトされたいのであれば、調整は必要ですよ ということです。
(ただ、そのコントロールも難しく言えば、調整する自分もいないんですけとね。笑)
それはさておき、今ここという この場所からシフトして行くと、今日のタイトルのようになってきます。
たとえば、「 次、次、次・・・・」といったゲームに自分が入ったとしても、これはゲームであることを 段々忘れなくなってきます。
本気半分、冗談半分 ・・・ といった観方です。その人のシフトによりますが、そうなります。笑 余裕をもっているのです。
自分の環境が変ってくれれば、自分や自分の周囲が幸せになれる・・・と思っている人の場合、まだ人生が束縛されている感覚があるのです。すこし精神的に窮屈なのです。
ですから、自分自身が光の感覚が弱いので、世の中の出来事や教祖の一言にまけて、しまって、ストーリーに熱中していきます。
しかし、シフトが進んでくると逆で、自分から光が溢れて来るようになってきます。
もちろん、霊的に見えなくても、日々元気である・・・とか、日々ポジティブである・・・とか、そのような事です。
すると、自分自身から光が出てますから、まず、環境が変わります。変わってきます。
それが、実感できるような人は、もうシフトも相当進んでいます。
そして、その光が伝達して、多くの人を潤すようになれば、それはそれで奉仕となっています。
しかし、この三次元では、いろんな法律や条例、マナー、ルールがありますので、肉体的には、それに準じて生きなくてはなりません。
つまり、受けるものは受けます。たとえば、マスクするならマスクもいいわけです。
ストーリーに入らないことはありえませんが、その本気度と、安心感が違うのです。
それは、光りが平均的に自分から発しているからです。
ネガティブな事があっても、自分の中にある もうすっかり大きくなったポジティブの中にそのネガティブが吸い取られて、消えて行く・・・・といった感じです。
そこには、何かに対して一時的に執着しても、最後は手放していける、流れです。
つまり、肉体的制約をいくら受けていても、精神的に負担を受けていても、あまり本気に最後はなってない自分がいるということです。
それは、いつもいつも、最後はすがすがしい場所に 自分はすっきりと立っているのです。笑
もうすぐ、春ですねー。笑 きもちいい風が吹きそうです。笑
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満員御礼です。 只今販売はしてません。
4月あたりに再販売するかもしれません。
参考程度にHPです。↓