初詣のような場面があれば、神社にも、kuはたまに行きます。

 

今日はその時感じたものを記事にしていければ、と思います。

 

今年、ある有名な神社に行ったとき、多くの人が並んでました。

 

このような時は、人の雑念も多く、精妙な波動とは言い難いですが、神社に関わる神々などは、活性化しています。 

 

八百万の神々も、パワーアップする時期なのかもしれません。

 

 

やはり、多くの方が集まり、想いを向けるので、活性化はするのでしょう。

 

今年その列に並んでみましたが、面白い光景を目にしました。

 

今年の特徴は並んでいる人々の波動がバラバラだったということです。

 

並びながら、笑顔で景気良さそうに活気づいている人、しかし、その後ろにはオーラも小さくなってしまい元気が無い人・・またその後ろには、笑顔で元気な人、その人の後ろにはまた元気のない人・・・・・

 

このように、波動が人それぞれ各人違いすぎていて、割れているのです。

 

 

もちろん、kuから見た投影ですから、自分の創った世界なので究極的には意味はありません。 

 

ただ、今という時代にマインド風景が如実に表れていたように勝手に思いました。

 

これが神社の並びではなく、普通の場所であるなら、出会わない人が、この場所に同時に集まってしまうわけです。

 

神社という場所は、.元気のある人も元気のない人も、景気良い人も悪い人も、関係なく平等に並ばされる場所なのです。

 

ですから、波動が全く違う人同士が、それにあったのです。

 

 

KUの場合、その人なりの心象風景が見えたりしますので、余計にわかります。

 

そこには、2021年という年の、マインドの顕れが、あったわけです。凝縮されていました。

 

つまり、その人その人で出る波動が、各人まったく違い、大きく開いている時代を感じます。

 

極端にです。 いろんな波動が入り乱れています。 これは今の時代をあらわしていそうです。

 

結局、幸不幸という単純なものではありませんが、どこに向かうのかは自分が波長同通する方向に動いて行く・・・・ということです。

 

 

言い方を変えれば、同じ地球にいても、まったく違う世界にいるような感じです。

少し大げさですけど。

 

大昔なら、みんなが向かう方向にみんなで行く事が正しく、無理に自由性をもって自分だけが行動する人というのは、逆に煙たがれました。

 

集団が向かう方向こそが、正しい生き方という 集団心理のようなものまでありました。

 

ですから、まだまだマスコミも一方の方向に、国民のマインドを持っていく事が出来、

特に日本という国では、無個性のままに、みんなと同じ方向に突進していけたのです。

 

 

ただ、この神社の並んでいる風景の人々は、各人の全く違う波動は、自分が選んだもの・・・・と言う事を受け入れなくてはならない時代なんだ と感じました。

 

もちろん一般の人の場合です。シフトされている方は、スピリチュアル的な判断はいりません。

ここでの意味は そういう意味での判断です。

 

やはり、個人が、個人で、自由なほうに 流れて行く・・・・という反面、まだかじ取りが出来ない人。

 

また自由性は持てたものの、経済的にも不安定だったり、ひきこもったり、動けなくなったり、といろいろなっているようです。そんな波動の人も感じます。

 

 

逆に、自由性を発揮して、どんどん イケイケー で 活性化している人もいます。

 

そのある意味、格差がはっきりしています。 

 

コロナによって、時間的に縛られなくなり、自由になった人、 会社や学校という場所から自由になった人、人との付き合いでヒトから自由になった人。それぞれです。

 

しかし、その自由というものに自分が直面してみたとき、思っていた幸福度の高い自由とはかけ離れている場合もあるわけです。

 

自由だから、幸せかというと、幸せとは言えなかったりします。

 

 

それは、よーーく見るとなにが原因でしょうか? 

 

そうです。カルマが沢山ありすぎて、重いままなのです。 重いまま身体だけ自由になっているのです。

 

すると、この自由そのものが、逆効果となって、自由であるがゆえに、負担にもなりかねません。 

 

つまり、これが外側だけに ユートピアを求めても、たとえ幸福の地がやってきたとしても、幸福とはいえない理由なのです。

 

ある意味、真の自由というのがあるとすれば、カルマを軽くするのも自由、カルマで重くのしかかって動けなくなるのも自由なのです。

 

 

ここでは、あえて、カルマという言葉を使いましたが、その人なりに心に重くのしかかっているものの事ですから、カルマと言っていも良いでしょう。

 

結局、そのくらい、自由度が高まって来ていて、自分自身が出している波動もストレートに現れいる ということです。

 

コロナによって、一見不自由になったような感覚もあると思いますが、逆に自由になれた面もあると思います。

 

その自由な面が、新たに不安を醸し出してくる こともあるのです。

 

このように、このストーリーの世界は、完全 というもの、完結 というのものはありません。

 

 

陰と陽の二極性は、いつでも付きまといます。 シフトしてこの幻想といい意味での付き合い方をしないかぎりです。

 

良い意味での付き合い方は、この世界に完璧さ、または理想を求め過ぎないことです。

 

世界で進行中の社会的な流れでもそうです。( アメリカなど )

 

すべてが完璧になったら いつか幸せになれる・・・ というのも、ストーリーの中での期待です。

 

もちろん、kuもそれは嫌いではなく、応援してます。しかし、あくまでも自分という軸からズレすぎると、依存となります。 

 

 

ストーリー性というのは、熱中しやすいので知らない間に依存になっていたりします。

 

期待する気持ちと、失望は いつの時代もセットです。笑 きにすることはありません。笑

 

それも悪いわけではありませんが、さらに軽やかになるためには、ある程度緩みが大切です

 

自分自身の緩みです。 それが二元性から少しずつ離れて行く 観方なのです。

 

この神社に並んでいる人達も、みんながみんな元気になればいいかもしれまんが、それぞれ神としての体現をその人なりに表しているとも言えるのです。

 

 

これからの時代というストーリーを創り続けていくために。笑

 

 

 

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