※ kuラジオは明日あたり出します。

 

 

今日は少し、過去の傷のようなものと対決している方々の為の記事です。

 

⇓の線を引いてあるところが、本論のようなもので、わかる人だけわかってください。

 

その後の文は、なるべくわかりやすくしています。

 

 

本格的にシフトしますと、過去はあまり気になりません。 なぜなら、過去は学ばなくても、幻想と自然と感じて来るからです。 未来も幻想です。

 

だから、今の若い子たちは、今に生きているのです。シフトを感覚で解かっているからです。

 

 

エゴというのは、過去に対して後悔をして、その埋め合わせを未来にしようと躍起になります。

 

しかし、過去も未来も幻想なわけです。 今のこの瞬間しかありません。

 

しかし、エゴにはどうしてもそれがわかりません。 

 

自分自身がエゴだとわかってないと、過去と未来ばかり考えている人生となります。

 

過去が気になるというこは、過去があると真剣に考えているからです。それこそエゴです。

 

 

自分自身のすべてを綺麗にすれば、何かを得られると考えるので、過去にさかのぼって

自分を綺麗にしょうとします。

 

なぜなら、過去をなんとかすることで、エゴは活動してられるからです。

 

エゴにとってはいつもいつも、頭の中にいる事が大切なのです。 

 

つまり、問題があれば、あるほど、問題に意識が向くので、自分=エゴ とバレないで済むからです。巧妙です。

 

 

だから、悩みなんかとてもエゴにとっては、都合がいいのです。

 

 

自分をなんとかしなくちゃ、 こんな自分じゃだめキレイにしなくちゃ。 過去を癒さなきゃ。

などなど、幻想の自分であるエゴは、活躍します。

 

つまり、過去にこだわるということは、過去は自分のもの、自分が体験したもの、自分の傷、すべて、エゴの所有から来ています。

 

エゴはお金でも、名誉でも、過去の傷でも、体験でも 「 所有 」 が大好きなのです。

 

 

 

そして、エゴは、その自分の問題を解決することに、人生を駆け抜けて行くのです。

 

つまり、ストーリーの中のエゴの自分、主人公の自分が、過去を消したいのです。

 

でも、ほんとうの自分から見ると 過去というものは無いのです。笑

 

つまり、エゴそのものが、幻想の自分なのに、幻想である過去を幻想のエゴが消そうとしているのです。

 

だから、問題が沢山さらに出て来るのです。 いつまでも。意識を向けると問題は拡大する。

 

 

結論をいいます。 想いを過去に向けた瞬間に、エゴがやっていることになりますから、意味がありません。 つまり大昔の反省をしても、それはエゴの自己虐めです。

 

過去のカルマ、トラウマは、「 今ここ 」 という 目の前に 今 現れたときに、今 この瞬間で逃げないで、 観察するなり、浄化するなり、 今 消してください。

 

過去や未来にわざわざ出向くというのは、エゴがやっているので意味はありません。

拡大するだけです。

 

 

ここから、わかりやすく 話します。

 

 

それでは、「 過去を癒したい とおもう 私 という 頭の中の存在がエゴなの? 」

 

「 そうです 笑」  つまり幻想の自分なのです。

 

 

幻想であるわたし という自分が、幻想である過去を消そうとしているだけです。 

 

ですから、シフトして、真の自分が顕れて来るとします。

 

するとエゴがだんだん薄くなってきたり、ちいさくなってくると、過去は気にならなくなってきます。

 

それでは、浄化とは いつするのでしょうか? ⇒ 出てきたとき しかありません。

 

「 いまここ 」 でしか浄化はできません。

 

 

今は会議中だから、今嫌な感情が出てきたので、夜帰ってからやろう。。。➡効きません。

 

なぜなら、この瞬間、エゴは未来に逃げたからです。

 

 

 

つまり、当店の浄化は、「 今ここ 」 でやられせるようになっているのです。

 

過去の傷という幻想も、 今ここで 消すのです。

 

つ、ま、り、 過去にもどって 反省したり、過去に意識を戻どしてなんとかしようと、すること自体が、エゴが過去にもどっていじくっているだけなので、 無限に出て来ます。

 

過去にこだわりすぎるとエゴが大喜びします。100億年まえの傷まで治したいくらいです。笑

 

過去の傷を癒して、一時的によくなっても、それは エゴが傷をいやし、快楽にはいっただけです。

 

 

 

 

もっとわかりやすくいいます。

 

過去というのは、あなたが、今もっている 手に持っている DVDなのです。

 

過去の傷というのは、そのDVDが、ダイハードだとします。アクション映画です。

主人公は ジョン 1980年とします。

 

つまり、過去の傷というのは、この主人公のジョンの傷なのです。

 

そして、過去の傷が気になってカルマになっている人は、そのDVDの事を考えた瞬間に、ジョンになっちゃうのです。

 

過去こんなことされた、危なかった、こうされて傷ついた、などなど、ジョンというストーリーの主人公は、この 過去というDVDの中での体験に入っています。

 

 

アナタが、いつまでもジョンを自分だと思っている限り、永遠にDVDの中にいます。

 

ジョンであるアナタというエゴは、1980年が気になってなってしかたがないのです。

この映画では、どうしても救われないストーリーとなっているからです。

 

でも、なんとかしょう、なんとかしょう とジョンは頑張ります。

 

ジョンのストーリーにはなんと、宗教の先生が出て来ました。ジョンの1980年の傷を治してくれそうです。

 

ジョンは相当傷ついたんだ。。。先生なんとかしてくれ。 「 はいわかりました 」

 

しかし、残念な事に、ジョンは幻想、映画の主人公であり、本当のあなたではないのです。

 

 

もし、本当に癒す事が必要なとき、ハイヤーセルフは、今 そのDVDを渡してきます。

そして、DVDを眺めている、観察している だけで DVDは消えます。

 

いまここ いまこの瞬間に、消す必要があるなら、ハイヤーは DVDを今だしてきます。

 

未来にもちこさないで、DVDというカルマですが、いまここで、観察して消して行きます。

 

いまここで統合。 いまここで、浄化。 今ここで解放。 いまここで観察 

 

なかなか消えなくても、ハイヤーが思い出させたその時、いまここで解放させてください。

 

 

身近な体験としては、多くの人は、夢を見るという いまここで解放させられているはずです。

 

夢を見るということは今ここで解放の大切なワークです。

 

 

 

もしアナタが、DVDをいつまでもDVDとして観れずに、DVDを見た瞬間からジョンになってしまうと、1980年までストーリーにはいり、格闘してしまいます。

 

ほとんどの人はこれにハマります。 過去を自分のものと思っている事、自体がジョンのキモチです。ジョンにとっては真実だからです。

 

このジョンというキャラクターは、このダイハードのストーリーの中をなんとか人生の危機を回避して、人生の傷をいやし、なんとかしようと躍起になっているはずです。

 

 

最後に、だから、それが悪いわけでもありません。

 

 

いつも登場する、鹿がを使ってもう一度説明します。

 

 

鹿はハイヤーや大いなる神と繋がって生きています。 ジョンというエゴはありません。

 

だから、いつも今ここなんです。

 

この鹿が幼い時、 危険な目にあったり、恐怖で縮み上がる思いをしたとします

 

その鹿も今は立派な大人の鹿です。

 

この鹿が過去の傷を癒すワークに通うでしょうか? 笑

クマはどうでしょうか? 象はどうでしょうか? 笑

 

もし、今この瞬間に、過去の嫌な精神的に傷が、今出てきたら、鹿は じーっとして消えるまで

気持ち悪くても、消えるまで じっとています。

 

 

そう、 鹿は 今ここという中で、消す事をしっているのです。

 

彼らには「 わたし 」 というエゴが無いからです。

 

意味なんかわからなくても、しかも、くまも、ぞうも 神だからです。。

 

 

大切なのは、ジョンがエゴだとわかっているかどうかです。 「 わたし 」 というのがこのエゴの世界では永遠にテーマです。

 

「 だれが過去を癒したいのでしょうか ? 」 ⇒「 わたしです 」 

 

わたしとは だれでしようか? 笑

 

わたしがいないときは ? もちろん、「 今ここ 」 です。笑

 

だからそのときこそ、癒せるのです。

 

 

 

 

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