※この記事は、kuラジオに準拠しています。kuラジオ、今でました。
タイトルは「 美しき崩壊とナチュラルな愛 」 という題名です。ちょっとカッコよくしました。笑
今年の流れの中で、大きなカルマを出している人は多いです。
このブログに来られる方は、17年、18年 19年と魂の変革、解放を進めて来たので、もう終わっている方も多いかもしれません。 笑 スムースかもです。笑
しかし、コロナと絡んで、カルマが出ている人にとっては、とても大切な時期を迎えています。
大きな意味では、問題ありません。 なんにも。笑
この時期、エゴは大暴れしている人が沢山いらっしゃいます。笑
やはりタイトルどおり、人はレッテルをつけることでエゴが安心することがあります。
エゴは不安になることが嫌いなので、「 これは、こういうことだ。あの人はこういう人だ 」という何かを貼ることで納得するのです。安定するのです。
たとえば、ネットニュースでは、秋篠宮家で、こんな事があったことを 記事になってました。
「 昨年10月22日午前、即位礼当日賢所大前の儀が執り行われた。雨が降っており、モーニングコートに勲章をつけた正装で歩く秋篠宮も傘をさしていた。
後に続く女性皇族たちのペースも考えず、一人、早足で歩く。
屋根のある場所に着いた秋篠宮は、傘をたたむと、傍らに立つ職員に無造作に傘を投げ渡したのだ。 」 という記事です。
これを近くでみた宮内庁の担当記者は、傘を受け取る職員なんて、皇族から見ればただの下僕の一人にすぎないのかもしれません と言ってました。
この記事をみて、kuは 「 大変だなあー 」と思いました。「 秋篠宮家となると、機嫌悪い時があってはいけないのか?・・・・笑 」と。
勝手にイメージつけちゃって、勝手に人を祭り上げちゃうような事を いままでの社会はしてきたのです。
これはエゴがレッテルを貼りたい という衝動から、それに人が集合すると そうなります。
これは、宗教でもスピりチュアル界でも昔は同じだったのです。
エゴというのは、美というものを美醜を越えたところから見れません。
美しいものは正しくて、汚れたものは悪 という単純な観方をします。
すると、いつも「 ピーン 」 と糸が張り詰めたような、緊張した式典のような 緊張した雰囲気に自然になっていたりします。
しかし、いつかそのイメージが崩れた時に、そのレッテルが剥がれた時に、そこから一気にネガティブが始まってきたりします。
でなければ、自分達だけの世界で、美しくまとまって、外には出れなくなります。
内輪だけで素晴らしいと言われている教祖は 宗教界にも沢山います。
組織として固めれば、そうなります。組織でなければ、イメージが崩れたら崩壊していきます。
やはり、それは自然ではないのです。
一方的なレッテルがあり、そのレッテルのみんなの期待する自分になろうとするリーダーのエゴがあり、知らない間に窮屈になっていきます。
自然界をみれば、ナチュラルというのは・・・・・そよ風が吹くときもあり、日差しの時もあり、曇り空の時もあり、雨の時もあり、嵐の時もあるわけです。
どれが正しくて、どれが間違っているのか・・・ということはありません。
しかし、エゴだけは 嵐がある時は無い方が良いと、勝手にレッテルを付けてしまうのです。
嵐を荒神だの、神の怒りだのレッテルに限りがありません。無限につけられます。
そしてそのレッテルこそ独り歩きして、窮屈な事になってくるのです。
でも前にも話しましたが、この本当のナチュラルな顕れという事の中には、エゴのレッテルがつけられないような事が沢山あるのです。
そよ風もよし、日差しもよし、曇りもよし、雨もよし、嵐もよし・・・・なのです。
この時間の中にあるものすべてが、恒常でありません。 常に流動的です。
しかし、レッテルというのは、常で永遠にしたいのです。
だから苦しむのです。 一般的な人間関係でも同じことがいえます。
だから、ひとりの人間でも 綺麗さでも、普通さでも、嫌なとこでも、ポジティブでも、ネガティブでもすべて合っていいんです。
何かに期待して、レッテルを貼る事はしなくていいんです。そのような一方的な観方こそ、苦しみの原因だったりするからです。
片方のイメージだけを創ってしまうと、そのように苦しくなります。
だから、ハイヤーセルフはそれを崩壊させるのです。 不器用なエゴは不安や恐怖のために、レッテルを貼って、安心して、それがつづくと苦しくなってくるので、崩壊させるのです。
つまりその崩壊は痛いかもしれないですが、ナチュラルな自分を創ろうとしているのです。
このレッテルは今まで、教祖を創ってきました。
すると教祖は表の顔だけは良い顔して、偉そうで立派そうに肩を張っているんですが、裏の顔見ると、「 はあはあ、ぜいせい 」しているのです。笑
ねっ、分離しているでしょ。笑 笑 これが人間的な分離してきた世界なのです。
このプライドというアイデンティティというか、自分を良く見せようとする エゴが固まってしまうと、崩壊するまで気が付かない事が多いです。
そういう意味では、ナチュラルになるために、崩壊は愛なのです。 定期的な新陳代謝のようなものです。
kuもそういうアイデンティティの表し方をしなわけでもありません。あります。
しかし、ちょっと違うのは、自分から進んで、たまに、そのプライドをぶっ壊しに入ったりします。笑
「 どう見られたいか・・・」というのは人の常ですが、変な人と思われるくらい平気にならないと、シフトが進みません。
穏やかな日も 嵐の日もあることを ワザと記事にしています。
このブログの愛読者は、それに慣れているので、kuの崩壊は、自分の内面の崩壊として、自分の鏡のように受け止めて活用されているのです。
しかし、綺麗どころばかり求めている人には、さっぱり意味がわからないかもしれません。
そこが、面白く進んでいるのが このブログなのかもしれません。
汚れているのか? 綺麗なのか? そんな簡単なレッテルはkuには関係ないんです。
そのレッテルを貼らせないような「何か新しいもの」を提供して、サンプルとして自分を出しているのです。
いままでの天皇家を見るような目、皇族を見るような目、美しい神々を見るような目、美しい女神様を見るような目、・・・・・ そうトイレにも行かない清潔すぎる視線・・・・笑
そのような完璧な存在を勝手に頭で作ってしまうことが、期待と裏切りというエゴのマインドを繰り返してきた原因だったするのです。
教祖は自分達に答えようとしているだけです。
すべて、自分達が勝手に演じていた 芝居なんです。
その肩の力を抜いて、ごく視線の在り方を ありのままに 受け入れていく、流れがはじまりだしたのです。
2020年が、いろいろ崩壊があっても、それはそんなレッテルの崩壊と、ナチュラルな愛の顕れが始まるという年なのかもしれません。笑
清々しいですよねー。笑
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