今日は、少し今の時代を全体的マクロに見て書いてみたいと思っています。笑
マクロでもあり、実は身近な家庭内の事とも捉えられますので、モノの観方として参考程度になれば、と思われます。
やはり、今の国家同士でも、大昔の星同士の関係に方おいても、「 支配 」 という言葉があります。
人にはやはり支配欲というものが出てきたり、国家のような全体主義を見てもなんらかの支配の力がいろんな形で、働らいています。
この支配というワードから更にもめると、 加害者、被害者がでてきたりします。
加害者=支配 という言葉も近いかもしれません。
わたしたちスターシードにとっても、この支配という言葉は、古き思い出のように、自分の内面に 言葉として残っているかもしれません。
または、管理される立場として、少し窮屈な家庭内があるかもしれません。または職場が、そして所属する団体の中にあるかもしれません。
管理というのは、一見安全ですが、それが強気に押し出されたとき、支配になるかもしれません。
今の世界を見ると、この三次元的な、ディセンション独特の、この支配という観念が、もうどうにもならないくらい、動揺してるようです。 アセンションの中であぶり出されてます。
揺れる、幸せな国や、天安門事件の二の舞になりそうだった香港や、世界では いろいろ激しいストーリーがあります。 日本でも、尖閣では、ギリギリの攻防となっております。
その中では、キャラクターとしての中国が、アメリカが、そしてロシアが、その国の立場での支配というワードを使って、ディセンションの最後の残香の幻想に突き進んでいます。
怯え過ぎる、コロナの敏感で神経質になりすぎた日本国民も、その中で右往左往しながら、なんとか生きています。
やはり、普段のこの記事では、もっとシンブルに、軽やかに・・・・とアセンションの観方で書き続けていますが、観方を変えて真剣に幻想にはまり込んでみると、とても暗く見えるはずです。笑
実は、まだまだ、今もこの世界に執着して、幻想を現実として、深く入る人達にとっては、とても 目の前が危険に見えすぎてしまうのかもしれません。
やはり、支配という、恐怖の根底にある、安心したい、安定したい・・・・そこから、もっと拡大してみたい。もっと手に入れたい。 いや、もっと手に入れておきたい・・・。
という、 恐怖と欲望という執着がはっきり表れているのが、この支配という言葉かもしれません。
ワンネス的な星々では、それはもう卒業してしまって、自分の目の前の事を 家庭でも、地域でも国でも、世界でも、支配すること・・・という原始的な発想はありません。
しっかり目の前が幻想だとわかっているからです。
この支配というのを身近で例として話してみます。単純なストーリーですが、例えば 「顧客」 というものがあります。
ひとり営業マンからみると、あるお客が自分との契約を交わしますと、その営業マンは自分の担当のお客とおもっています。
しかし、その契約者が事務にまわってくると、その会社の管理部の人達は、われわれ管理部が管理している顧客だとおもっています。
そして、その上の会社のオーナーがいるとすれば、そのオーナーは「 自分が経営している会社の顧客だと思っています。 」
営業マン、管理部、オーナー、それぞれが、その一人の顧客を自分のものだと思っているのです。
このように、一つの仕事の流れの中でも、エゴというものは、「 自分のもの、われわれのもの・・・・ 」 というような所有の思いを持ち始めます。
そして「 獲得したものを逃げないように管理したい・・・・」 という簡単な支配のマインドがすぐに働くようになります。
そして、その獲得したものが、増えるのか、減るのか・・・という状況の変化で、不安になったり、快楽になったりして、マインドが変化するのです。
だから、なんとか、「 その状況をコントロールしたい 」 のです。 これが支配です。
この「 支配 」 というのは、大いなる存在、根源の神、ハイヤーセルフなど、の「 おおいなる流れ 」 と関係しているのです。
想像してみてください。
実は、自分が気が付くとか、気が付かない関係なく、いつもいつも、豊かでおおいなる幸せの流れが、大きな風や大きな河のように、アナタにいつもいつも流れています。
実際には流れています。 自分が気が付くとか、わかるとか、認識できなくてもです。
でも、ほとんどの人は、エゴの活動に没頭しているのですが、、、どこかでこの大いなる存在や、大きなものの流れのようなものを 感じているのです。
それを無意識に感じているのにエゴの目の前には無いと感じるので、どうしてもエゴは、無償に欠乏感をもつのです。
そして、その疑似体験をこの幻想の世界で、獲得したがるのです。
つまり、豊かなもの、大いなるものをどこかで感じているので、無意識にそれを獲得しようとする行動が、「 支配 」 となったり、執着となったりするのです。
それは、個人としても、国家としても、いろんな形になって現れます。
しかし、時代は支配から、もっと自由という流れに入って行きます。
この自由は、肉体的束縛からの自由という意味ではなく、もっとマインドの自由という流れです。
マインドの自由が、 いままで遠くに感じていた、本質の部分が復興してわかってくる・・・・ というのがアセンションの流れなのです。
つまり、ディセンションの時代に どうしても手に入れられなかったマインドの自由が、エゴから解放された人から順々にドンドン、手に入って来る・・・・ ということです。
それがこれからの時代の大きな風の方向です。
もし、これからのリーダーがすることがあるとすれば、もう支配するやり方ではなく、自由でありながら、、「 きっかけを作ってあげる 」 という事がベストかもしれません。
きっかけを作ってあげる とは、 その人達が、神であるという事に「 気が付けるためのきっかけ 」の意味です。 それは安心の気づきであり、やすらぎの気づきであったりします。
自由というものの中で、本人たちが、さらに大きい存在であったことに気が付くということです。
今の学校教育でも、ここはポイントかもしれません。
支配だと、相手が弱者にみえるので、教導しなくてはならい という事になります。
つまり未熟な者を不完璧なものを 我々が管理して成長させていく・・・という手順です。
逆に、相手が弱者ではく、神としての強い者として見れれば、その生徒なら生徒という神の個性の発展のお手伝い としての教育となるからです。
それには、他でもない 自分自身が゜シフトしていかないと、そのような見方はできません。笑
また、精神界でも、未来に不幸を予言して、自分に気を持たせることなどは、支配と変わりません。
そうではなく、とても自然にその人自身が、大いなる存在であることに気が付かせてもらうような、きっかけの役割を その分野のリーダーがしてあげることが、これからの流れかもです。。
支配とは、自分に注目させて、縛っていく事です。
だから、重くなったり、ネガティブになってししてしまいます。
その逆があるとすれば、「 透明な風のような存在になることです。」
それは、透明なので、見えないのだけれども、いつもいつもそこにあって、爽やかさを感じさせて、癒してくれた 存在です。
そんな存在を マスターと呼ぶのではないでしょうか。
やはり、これからは支配する支配者ではなく、マスターの愛の時代です。
それは、とても限りなく透明なのに、自分を成長させてくれる、慈悲です。
大きな河を自分のものにしょうとすれば、河の流れにおぼれて死んでしまいます。
しかし知恵をもって、その川の浅瀬に、杭や、石をおいて、川の流れを変えることもできます。
きっかけというのは、これからの先生といわれる人にとっては、大切な言葉かもしれません。
支配という持っていないから獲得するという古いマインドではなく、喜びの中で、シフトし続けていく人達から新しい発進が始まります。
みんなに気づいてもらって、完璧な自分に戻ってもらうことのお手伝い。笑
ホンモノのマスターというのは、ある聖者が言うには、「 自分と同じような人を創る・・・」という事だそうです。
すべては、スムースに流れていくための 「 きっかけ 」こそが愛なのかもしれません。笑
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