スターシードがこの地球に来て、宇宙の記憶を一旦消して生まれて来ると、どうしても不安定になります。 

 

すると、どうしても自分自身を安定させるために、何か大切な真理を探すことが多いのです。

 

今日のタイトルのように、スピリチュアルな修行者という言葉も、もう流行りませんが、あえて修行好きの人がいるとして、一番嫌うもの・・・・ ってなんだと思われますか?

 

それは、「 テキトーに生きる 」 という事だったりします。笑

 

逆をいえば、テキトーになかなか生きられないとすると、ある意味、修行者気質が自分にあるのかもしれません。笑

 

 

それは、人生で、常に問題意識をもって、テーマに向かって進まないと気が済まない ということです。 スターシードがそれの場合、とても真面目な面があるからです。

 

なにか、フラフラ生きていることに、抵抗があって、やはりどこか真剣に生きていなくてはならないような感覚があるとすれば、それです。笑

 

今の現代の若い子達は、初めから繋がっていたりするので、修行する必要も感じなかったりするのです。 楽しそうな時代になりました。笑

 

でも、修行を無意識でし続けてきた大人から見ると、 いい加減で、ふらふらして生きているように思えるのです。  そして、そんな若い子の将来に不安を持ちます。

 

 

それは、自分が修行者としてしっかり目的意識や、目標のような人生のテーマを取り組んできたからであって、そのようなテーマや目的意識がない若い子をみると、不安になるのです。

 

当の親なら親本人が、そのような不安のキモチになっている自分が嫌で、自分を心配して、そのような不安になっているだけなのです。

 

肝心の子供の方は・・・・・・・ 「 俺大丈夫だよ。 私大丈夫よ。 」 という言葉しか返ってきません。 笑

 

「 どこが大丈夫なのよっ・・・・・!!! 」 と勝手に自分だけが不安がっていたりするわけです。笑

 

 

やはり、「 テキトーに生きる 」 という事は悪い生き方なんだ という刷り込みが潜在意識にあるのです。

 

テキトーに生きてしまうと、それでなくてもスターシードは疎外感があるのに、さらに孤立してしまう・・・・ 変な人と思われたくない防御が働くのです。

 

なぜ、仮に、スターシードなら、スターシードが真面目になりやすいのかと言いますと、スターシードはこの地球で、目隠しをして、肉体の中に、ポンっ と 入ってしまった感覚があるのです。

 

すると、宇宙にいたときは、あまり不安定さ、恐怖感などがなかったのに、地球に目隠しされたような感じのまま、肉体に入ってしまったので、方向感覚がなくなるのです。

 

 

それが、スターシードの不安の原因でもあるのです。 

 

ですから、しっかりした杖なり、しっかりした支えなり、 を 無意識で求めるのです。 

 

地球での肉体エゴに慣れてないので、つかまるものをほしがるのです。

 

それが、精神的指針だったり、目標のようなテーマだったり・・・・そんな事をしているうちに、修行者みたいな生き方になっていったりするのです。

 

やはり、いきなり肉体をもってしまって、生きて行く支えとなるようなものを欲しがってしまうのです。

 

 

昭和から平成当たりまでは、油断できない、肩に力を抜けなかった時代の中をスターシードは手探り状態で進んで来たわけなのです。

 

それが、「 テキトーに生きる 」 なんてテーマは昭和時代までは、と゛こにもなかったのです。

 

ほんとうにそれで良いのだろうか・・・・?  となってしまいます。

 

そんなこと教えてもらったことない、変った事はしたくない、目立ちたくない となる人もいます。 

 

しかし、シフトするためには、そこの部分こそが、「 肩に力が入っている部分です。 そして、その力が入っているからこそ、シフトを妨げていたりするのです 」

 

 

つまり、肩の力が抜けないで、防備に慣れ過ぎてしまって、気がゆるめることを拒否してしまうくらい、まだ力が入っているわけなのです。

 

もっとわかりやすくいえば、シフトというのは、人生を360度全体を変えて行きます。 それがシフトだとします。

 

しかし、修行マインドで、肩に力が入り過ぎてしまっている人は、前しかみえないのです。

 

前方とか、もっともっと先の方の前とか、 自分から一直線の前方しかみえてないのです。

 

自分の価値ある何かは、前方に進んで行った先にあると、思い込んでいるからです。

 

そして、自分が実力で勝ち取るものだと、思い込んでしまっているからです。

 

 

それは、大いなる何かにゆだねる事は出来ず、あくまでも自分の責任は自分にある という、頑なな気持ちで進んでしまうマインドです。

 

とても、責任感あるがゆえに、その責任感が自我であり、エゴであって、シフトを逆に阻害してしまうなどとは思えないのです。

 

しかし、シフトは委ねる事です。 安心感です。 

 

大いなるものに自分そのものを心のどこかで委ねている感覚なのです。

 

でないと、テキトーに生きられません。 テキトーに生きられるということ自体、真の意味で、自分を信頼してないと、テキトーに生きられません。笑

 

 

つまり、テキトーに生きれるということは、自分を信頼できています。 その自分とはハイヤーに繋がった自分、真我を感じて安心している自分です。

 

逆を言えば、自分を信頼してないから、テキトーにいきられないのです。

自分が襟を正して生きるような、人生のテーマが必要になってしまうのです。

 

クリアーする目標を達成しないと、自分への信頼なんか得られないとおもっているのです。

 

それは、エゴが思っているのです。笑

 

やはり、自分が修行者マインドだと、そんなに簡単に得られるわけがない。 テキトーにやっても何も得られない。怠けている・・・ というような発想になって、いつも欠乏からのスタートになるわけです。

 

 

もし、自分のこどもが優秀なスターシードの場合などには、親のほうが、子供の態度みて不安になります。 今だけ考えて、態度も堂々としてる子共も多いからです。

 

そして怖くなって、親が自分の弁当箱を持っているとして、その弁当箱のカタチ、大きさに、自由にテキトーなスターシートの子供を入れようとするのです。

 

この弁当箱のカタチや大きさに合うように、子供におしつけたりするのです。

 

しかし、スターシードの優秀な子供達にあっさり拒否されます。

 

その拒否感に、親はショックするわけです。 

 

 

ですから、もうテキトーに生きられるというのは、エゴな人生をあきらめた・・・とも言えます。

 

真剣に生きるのは逆で、エゴが自分をあきらめるどころではなく、自分を拡大するために頑張っている姿なのです。 もちろんそれが地球の生き方だったのです。

 

ですから、修行者のマインドのままだと、馬の眼の前に人参をふら下げて走らされているのと同じようになってます。

 

いつかは目の前の人参をゲットできると、真剣に走ってみるものの、いつまでたっても目の前10cmにある人参は口に入ることは、出来なかったりします。

 

 

もちろん、ここでのテキトーという言葉が、もうあまり印象よくなくても、力が入り過ぎたマインドはいつかは崩れるのです。

 

つまり、いつあきらめるか・・・・・ というような消極的な進み方が、新しいこの時代のシフトなのです。それは、消極的でも、ハイヤーと共に進むことを意味します。

 

あくまでも、エゴにとっての消極的であるので、真の意味の、新生、シフトという意味では、ハイヤーと繋がって行くので、力強さそのものだったりします。

 

テキトーに生きられるというのは、信頼している証拠なのかもしれません。

 

 

新しい時代のテキトー とは、罪悪感も、無価値観もない、真に本当の自分を信頼する生き方なのです。笑

 

それは結果を出すために、生きるのではなく、いつも結果が出てしまうような安心感ある場所に居れるようになる事かもしれません。笑

 

 

 

 

 

 

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