今日の記事は、いつもの内容とはちょっと違う話の流れになって行くと思われます。

 

このアセンションの中では、目の前が幻想だということに気づいて、自分自身がシフトし、自分が光となって、最終的に感化することができる存在・・・・。

 

特にスターシードは、そのようなちょっと時代から進んだ感覚で、進んで行きたいようです。

 

そのような自分軸の流れをこのブログでもおすすめさせてもらってます。

 

もちろん、ここに来られている方々のように、いち早くそのような新しい感覚の生きかたをされる人もいます。

 

 

ただ、人によっては、今回はこのアセンションの流れを無視して、まだどっぷりディセンションの中に浸かって、何かをやり遂げるような人もいます。 

 

そんな人は、しっかりハイヤーともう繋がっているのです、そして、自分なりの与え方で奉仕のような二元性ゲームを楽しみたいようです。

 

宇宙人です。 珍しいケースです。

やはり、もう魂がもともと出来上がっている優秀な方なのでしょう。

 

たったひとりきりでも、その目の前のゲームに翻弄されることも少なく、やるべきことをやって宇宙に帰ってくる人です。 

 

 

たとえば、そんな人を例でいいますと、年齢が50代くらいだとします。仮定としてです。

 

結婚はしてません。あまり興味がなかったという感じです。 というより、母親が身体が弱くどうしても面倒をみないとならなかったりします。 

 

そのほかに、弟が二人いて、二人とも知的障害者だとします。

 

つまり、母親、弟二人と囲まれてしまって、動けないわけです。

 

この人生を彼はどう在るか、、どう生きているのか?・・・ということです。

 

 

ここの記事でいえば、そのような設定に生まれてきてしまっているわけです。

または、そのような引き寄せもしているわけです。

 

このような設定ですと、「 家族に尽くさなくてはならないような設定なわけです。」

 

しかし、尽くすのが得意な宇宙人というのがいます。

 

このような人は、もう、それだけをやりたくて地球に来ているような人です。

地球に生まれてくるたびに、肉体を通じて、相手の中の自分を愛する という感じです。

 

宇宙では、尽くしたいけど、尽くす相手がいなかったり、まったく観念も違うので、地球でしか、人情ゲームができなかったりして、それを楽しみにしてくる人もいるのです。

 

 

まさに、そんな宇宙人は、人情ゲームの達人です。 笑

 

普通の宇宙人は逆で、何から何まで判らない事ばかりなので、あっちで恥をかいて、こっちで誤解されて、地球での人情とか、地球での愛情そのものが判らなかったりします。

 

でも、尽くすのが好きなその宇宙人の場合、周囲がそのような家族に囲まれても、 愚痴ひとついわずに、淡々と、相手のために尽くしていきます。 不平も不満もあまり感じずにです。

 

もちろん、世間体では、自分の家族がこのような状態であることを隠したり、または普通に気苦労はあると思われますし、周囲から見れば、大変そうだと思います。

 

しかし、本人的には、それでも、そんな苦境の中でも、淡々と生きれたりします。

 

 

なぜ、淡々とこなせるのかといいますと、無意識的に、ワンネス意識があって、障害者の弟達の気持ちの奥の奥の部分まで相手と繋がって、しっかり理解できていたりするのです。

 

それは、相手と同化しているような感覚かもしれません。 

だから、ほっと置けないのです。

 

普通の人の場合は、過去生の縁で、そうなっているのであれば、「 自分はなんでこんなに不幸なんだ・・・・ 」 と強烈に環境のせいにできる、運命のせいにもできるんです。

 

しかし、彼のような人は、そう思ってません。 このような人は過去生も僧侶とかやられて地球では奉仕好きだったりします。

 

 

やはり、普通の人で考えられないくらい、淡々と淡々と、尽くすことができるのです。

 

やはり、「 相手と同化する能力が長けているのだと思われます。」 自分の事を面倒見ている感覚で、相手に尽くすことができるという感じです。

 

このような人は、もう際立った能力というか、それ専門の遊び方として、地球に来ているとしかいいようがありません。笑  

 

宇宙でも高次の人達の中でも、地球に来る目的がオリジナルです。

 

多少の自己犠牲はあったとしても、やはり幻想から離れているマインドがあり、やはり淡々とできたりするわけです。

 

 

時代がアセンションしていく中での後かたずけ役のような存在、アセンション時代のサポート役のような存在です。 

 

やはり、そのような環境には、自由はないように見えますし、今の時代は、いつも言うように、愛が自由、自由が愛 となるような時代の中で、逆行しているように見えます。

 

しかし、そんな環境の中でも、淡々とやるべき事をやっています。

 

kuから見ると、素敵な人生です。 変わってますけど、素敵です。

 

このような人は、この人しかできないダイヤモンドの人生なんでしょう。

 

 

まさに、宮沢賢治の 雨にもマケズ に出てくる主人公のような人です。笑

 

kuは今の時代に、そんな損するような生き方をする人も、とても素敵だと思います。

 

kuのアイディアだけが、正しくて、その正しさを実践してないなら、相手を諭すというような、固い観念はkuには毛頭ありません。笑  

 

どんな生き方でもOK。笑 というか、変わった生き方してる人は、とても素敵だと思います。

 

だから、これって古いし、2012年くらまでの波動的生き方ではあるものの、でも、あえてそのような環境に飛び込んで行っているのです。

 

 

普通の人なら、もがいてもがいて、運命を強烈に呪って、苦しみ抜くような環境であるにも関わらず、本人にとっては、そこまで感じてはいないのです。 さらさら、淡々なのです。笑

 

やはり、相手に尽くしている、というエゴがもうないのだと思われます。 

 

光が増していく時代に、逆にそのような体験をしているのです。 

 

奉仕だ奉仕だと、肩に力をいれて気張るのではなく、もっと楽に、軽いマインドで淡々とこなしていく・・・ しっかり本人は軽いマインドの場所にすでに居て、行っているのです。

 

そして、多くの人が彼のような生き方を見て、極端な自己犠牲の疲弊は偽物の生き方であることをわかるのかもしれません。

 

 

やはり、人それぞれ、生まれてくるまえに、魂の輝かせ方の手法が全く違う という実例になりそうな人生です。

 

そのような人は、霊とかスピとかわからなくても、自分の魂の流れに忠実に、進まれているのです。

 

すべてが配役として、おのおのアセンション時代があるのです。

 

この記事も読み続けていると、判断の材料になってもらってうれしいのですが、それがやはり、裁きとか、正しさの押し売りには、なってほしくはあません。

 

真の意味での寛容さ というのは、真の意味での 多くの人達の 多様な人生を 沢山の種類の生き方を 認めてあげられるようになることです。それがシフトです。

 

 

 

 

ですから、アセンションだから、絶対 こうあるべきだ という考えこそ、地球的なのです。

 

彼らのような、天使マインドの人達は、 尽くして、尽くして、尽くしきるということの中に、相手の反応ではなく、自分自身の魂のダイヤモンドを相手に見ている という 存在なのです。

 

やはり、自分の手足のように、自分の心臓のように、自分の病気の事のように、相手を感じているのです。

 

このディセンションからアセンションの最終段階も、過ぎてしまっているのに、そんなことは無視して、ギリギリの体験しに来ている魂もいるんです。

 

それは、その人にとっては、究極的な遊びなのかもしれません。 

 

 

相手がいて、自分がいて、 苦労があって、悲しみがあって、というマインドでさえ、超えるようなハートがあるとします。

 

そんな人は、シフトしてる事さえ、気が付かないのかもしれません。

 

あまりにも巨大な真我の中での、巨大なハートの中での、小さな自分を使った 地球ゲームをしているのかもしれません。

 

この地球の中では、早い遅れもなく、みんながみんな自分なりの楽しみ方で、シフトしているのだと思われます。

 

素晴らしいですよねー。 笑

 

 

 

 

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今年の9月に販売をします。

大変混み合うため、価格変更する予定です。

 

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