どんどんシフトが進んで行く中、街は恐怖で煽られて、浄化が進んでいるように感じます。笑

 

解放中は、小さい事であっても、とてもとても大きな恐怖となって見えてきます。 それが、恐怖の真ん中で漂う人達の特徴のマインドです。

 

kuは東京の街並みを歩いてみましたが、ほとんどの人がマスクをしてます。当たり前ですけど。笑

 

このどうしょうもない事態に、ただ付き合って、合わせているマインドの人も多いようです。

 

しかし、そのような体験だからこそ、マインドはいつも外向だけしかなかったのが、内向きになって、自分という内観ができるという事は良い事なのかもしれません。

 

 

今まで、どれだけ苦労してきたのでしょうか。。お疲れ様 と言ってあげたいです。

 

そして、「 でもね・・・・ これからは楽になっていいんだよ 」 とも言ってあげたいです。

 

今までの社会は、しっかり、ちゃんとした生き方をしなくてはいけない・・・・という無言の教育の中を育ってきました。

 

それはそのとおりです。なぜなら、この人生は、不確かなものであり、とらえられないものであり、どうなるかわからないものであり、不安に満ちたものだと思っていたからです。

 

しっかりと、自分自身に規律をもって、未来に対してしっかりしたレールに乗る事で、安心という対価を社会からもらえたのです。 

 

 

また、一見、自由であるような、自営業、自由業というような職業でも、自分を律して自分自身に鞭打つことには変わりませんでした。

 

独立した中であるからこそ、会社に属するより、さらに厳しくしていかないと、勝ち抜けなかったわけです。

 

結局、この社会全体が、いつも自分自身に緊張感をもって、人生の不安を解消するため、または、叶いにくい願望の欠乏を埋めるために頑張ってきたわけです。

 

 

結局、「 何かを得るためには、何かを犠牲にしなくてはならなかった 」 というエゴ独特の欠乏感との闘いの社会だったのです。

 

 

その中で、まず、犠牲にしなくてはならないのは、「 自分自身 」だったのです。 

 

最低でも何かを得るために、不安感をぬぐうためには、自分自身をまず自己犠牲していくことが初めにあったのです。

 

ある意味、釈迦が言うように、「 無明の世界 」 だったです。つまり、明かりが無い世界で、暗闇で模索しているような世界に生きてきたのです。

 

その暗闇での模索は、自分を律したり、見えない先に、レールにのったり、人生の計画や、人生のリスクをしっかり回避したり、大変でした。

 

それは、暗闇の中で 右往左往する世界観でした。

 

 

その中で、しがみついて生きてきたのが現代の社会人です。

 

今回のコロナの件では、いままで、しがみついてきたものをさらに追い打ちをかけるように、手放されるような、良くない事が起きている人もいるでしょう。

 

これでもか、これでもか・・と追い打ちのような感じられるので、とても辛いはずです。

人生のどん底のような経験もされている方もいるかもしれません。

 

そのような時は、もう人生の終着点のように感じるかもしれません。

 

しかし、そこが終着地点ではないのです。 そのどん底が、O地点、 スタート地点と転換していく地点なのです。 

 

 

連続して起きる不幸のように感じるのは、強烈な手放しのサインなんです。 

 

つまり、「 そこまでしないと 手放せなかったでしょ 」 という、そのような人たちへの見えざるサインなのです。

 

しかし、ここまで激しく経験させられなくても、前もって徐々に解放しましょう というのが、今までのここのブログだったのです。 

 

それでも、そんなここの読者のような人でも、それぞれ、強烈な解放体験はされてきたと思います。 でもやはり時代的には、早かったのです。 笑 素晴らしいですねー。笑

 

あのオカルトでしたっけ? 関暁夫さんも、最近動画で、チャクラだの、松果体だの 話をしてます。これからの時代は松果体が活性化している人が、時代の先端らしいです。笑

 

 

でも、そのような事は、スピリチュアルでは当たり前のようにここでも話してきました。

この当然の事が、いよいよ、大切な時代になってきたようです。

 

松果体が活性化してくると、シフトしてくると、簡単に言うと、「 この世界がエゴが創った幻想であることが、薄々でもわかってきてしまうのです。 」

 

つまり、映画の主人公なら、バタバタできますが、観客となってしまう感じなので、本気になれないのです。感覚が薄く薄く徐々になってくるのです。恐怖の感覚が。笑

 

つまり・・・・・ 「 恐怖にあまり真剣にならなくなってくる・・・・ 」 ということです。

 

つまり、今回のコロナ程度では、真剣に怖がれなくなってきているような、ここの読者の方々は、順調に 松果体活性化が出来てきているのです。 

 

 

それは、たとえまだまだ、仕事が忙しいような体験の中に居る人でも、どこかで幻想とわかっているので、仕事していても、どこかで隙間というか、のんびりさというか、本気になってないのに案外スムースにいく・・・・。

 

それは、繋がってきているので、人生に安定感覚が芽生え始めているのです。

 

というような、とても軽くなってくるわけです。つまり、昔に比べると楽に生きられるようになってくるのです。 

 

それは活性化して、魂での自己実現が軽くなってきているからです。

 

そうです。このように増々繋がって来る、活性化してくると、なんと内側に安定感が出てきます。

 

 

すると、外側のこのエゴの世界でやたら、真剣になって、緊張して自分を守ることはあまり必要ない事に気が付いてくるのです。

 

つまり、活性化してない、繋がってないら、暗闇の中を緊張して、しっかりして、努力でもって歩いてきただけなのです。

 

それでは、さらに繋がるとどうなるのでしょうか?

 

そうです。今日のタイトルのように、 「 ちゃんとした生き方はいらないかも。。 笑 」 となります。

 

ここで、観念もっていると、「 人生は、ふらふらして生きてはならない、しっかりしなきゃ それが正しい生き方だから、、、」 と言いたくなります。

 

 

このふらふら生きる という言葉を生理的に受け付けない場合は、緊張感がまだあるのかもしれません。笑 冗談です。笑

 

これからは、暗闇の渡り方ではなく、明るい世界の渡り方に変更していくのです。

 

つまり、松果体活性ではないですが、どんどん明るい観方ができると、その明るさで、不安がなくなります。 

 

つまり、ふらふらしても生きていけるということは、「 安心感を手に入れた人 」ともいえるのです。

 

高次の宇宙の星ではみんなフラフラしています。笑  ふらふらして楽しい事しながら、存在しています。

 

 

でも、それが初心に帰れば、アセンションなのではないですか?

 

ふらふら、できるということは、 とても、とても 豊かなことなのです。

 

波動が軽いということは、自由を獲得できます。

 

軽いのです。軽いからこそ、繋がりの感度がいい、パソコンでも、ドライブに何も無く、いらないものが削除されているから、インターネットにつながりやすいわけです

 

これからの時代のふらふら人間は、とても有益な仕事をするかもしれません。

 

あまりにも重すぎる恐怖という石を抱えている人と、とちらが競走したとしたら勝つでしょうか?

 

 

 

単に、ふらふらしていながら、とてもみんなが楽しいこと、みんなが喜ぶ事を有益に提供できる

そんなふらふら人の登場が沢山でるかもです。

 

そして、今、そんな素敵なふらふら人を時代から生まれるために、暗闇の緊張、暗闇の努力、暗闇の疲労を 出し切るための、 出来事が、起きている時期なのかもしれません。

 

幼少のころ、ふらふらしながら、よちよち歩きしてきました。

 

そうです。自由にやっちゃってたのです。

 

いつからか常識とか真面目という洗脳で、レールを踏み外せなくなってしまってたのです。

 

 

だから、赤ちゃんはワンネス意識をひきづって生きているのです。

それは、赤裸々に、それは素直に、それは輝きをもって、美しい存在としての赤ちゃんの姿があるでしょう。

 

いよいよ、この地球での存在の表れ方の価値観が変わりつつあります。

 

国民の映画で、一番の人気だった「 フーテンの寅さん 」 は、当時は、多くの国民たちの潜在的憧れだったのです。 

 

多くの人達は当時、心のどこかで、ふらふら してみたかったのかもしれません。笑

 

 

 

 

 

静寂さは、とても大切なのかもしれません。笑 ↓

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松果体活性・・・ 宇宙時代 ↓

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